第35話 初めての森と、魔王城

俺が次に目を覚ました時、洞窟の中には、香ばしい匂いが満ちていた。

見ると、イリスが、焚き火で木の実を炙っている。その手つきは、ひどくぎこちない。


「……おはよう」

俺が声をかけると、イリスはびくりと肩を震わせ、慌ててこちらを振り返った。


「お、おはようございます、アレン! そ、その、何か食べなければと、思いまして……!」

彼女は、顔を赤らめ、しどろもどろに言い訳をする。

聖女様の手料理(?)。貴重なものだが、いくつかの木の実は、見事に黒焦げになっていた。


「……貸してみろ」

俺は、苦笑しながら彼女から串を受け取ると、火との距離を調整し、丁寧に炙り直した。


「すごい……。どうして、そんなに上手なのですか?」

「冒険者なら、これくらい、できて当然だ」


他愛のない会話。

だが、そのやり取りが、昨夜の出来事でまだぎこちない俺たちの間の空気を、少しだけ和らげてくれた。



俺たちは、港町ザルツァを目指し、『忘れられた森』の中を歩き始めた。

イリスにとって、それは、驚きの連続だったようだ。


「まあ……! なんて綺麗な花なのでしょう!」

「それは『涙見ず草』だ。毒があるから、あまり近づくな」


「見てください、アレン! あの鳥、七色に光っていますわ!」

「あれは『虹羽鳥』だ。派手な見た目だが、味はいい。今日の夕食にするか」


「あ、アレンは、すぐに食べることばかりお考えになるのですね……」


聖都の堅苦しい城壁の中でしか生きてこなかった彼女にとって、この森は、生命に満ち溢れた、未知の世界。

土の匂い、木々のざわめき、生き物たちの息遣い。

その一つ一つに、彼女は、まるで子供のようにはしゃぎ、目を輝かせた。

俺は、そんな彼女の姿を、呆れながらも、どこか微笑ましく感じていた。

聖女ではない、「イリス」という、一人の少女の素顔。

その素顔に、俺の心が、少しずつ、惹かれていくのを感じていた。


「あなたは、剣の腕だけでなく、生きるための術を、本当にたくさんご存知なのですね」

休憩中、イリスが、感心したように呟いた。


「S級パーティってのは、ただ魔物を倒せればいいわけじゃないんでな。どんな環境でも、生き抜くための知識と技術がなきゃ、話にならん」

俺は、水筒の水を飲みながら、ぶっきらぼうに答えた。

だが、イリスのその尊敬に満ちた眼差しは、少しだけ、くすぐったかった。



(その頃、魔王城では)


「もう我慢ならん! 妾が、自らアレンを探しに行く!」


作戦司令室で、魔王リリムが、机を叩いて宣言した。

その瞳には、涙の跡が残り、しかし、今は固い決意が宿っている。


「お待ちください、リリム様!」

ゼノンが、その巨体で、リリムの前に立ちはだかった。

「今、あなたが城を離れるのは、危険すぎます!」


「うるさい、ゼノン! アレンが、あの聖女に騙されて、今頃、ひどい目に遭っておるやもしれんのじゃぞ! じっとしておれるものか!」


「ですが!」


二人が睨み合う、一触即発の空気。

その間に、一人の男が、割って入った。

ライアスだ。


「待て、魔王」

彼は、リリムを真っ直ぐに見据えた。

「お前が動けば、聖王国軍に、城の主が不在だと知らせるようなものだ。それこそ、アレンの望むことじゃないはずだ」


「ぬかせ! お主のような、アレンを追放した男に、何がわかる!」


「わかるさ!」

ライアスは、叫んだ。

「あいつは、馬鹿がつくほどのお人好しだ! だが、同時に、誰よりも仲間と……自分の居場所を、大切にする男だ! あいつが、あんたたちのことを考えずに、無謀な行動をするとでも思うか!」


その言葉に、リリムは、ぐっと押し黙った。

ライアスの瞳には、アレンへの、歪んでいるが、しかし、確かな信頼が宿っていた。


「……面白いですわね」

その光景を、壁際に立つルナリアが、楽しそうに眺めていた。

「魔王様と、元勇者パーティのリーダーが、一人の男を巡って、言い争いとは。アレン様も、罪なお方」



(アレン視点)


日が暮れ始め、俺たちは、その日の野営の準備をしていた。

焚き火の光が、俺とイリスの顔を、暖かく照らし出す。


「……アレン」

イリスが、ぽつり、と呟いた。

「もし、この戦いが終わったら……あなたは、どうなさるのですか? 魔王城へ、帰るのですか?」


その問いに、俺は、即答できなかった。

リリムたちの顔。

ライアスたちの顔。

そして、シオンの顔。

様々な想いが、俺の胸をよぎる。

俺の帰る場所は、一体、どこにあるのだろうか。


俺が、何かを答えようとした、その時。


―――ああ……愛しきは、我が君……。

―――その御魂、我が調べに、捧げたまえ……。


森の奥から、歌声が聞こえてきた。

それは、人間のものとは思えないほど美しく、そして、どこか物悲しい、子守唄のような、不思議な歌声だった。


「……なんだ……?」


俺とイリスは、顔を見合わせ、息を呑んだ。

この森には、まだ、俺たちの知らない何かがいる。

歌声は、まるで俺たちを誘うかのように、ゆっくりと、しかし、確実に、こちらへと、近づいてきていた。

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