第35話 初めての森と、魔王城
俺が次に目を覚ました時、洞窟の中には、香ばしい匂いが満ちていた。
見ると、イリスが、焚き火で木の実を炙っている。その手つきは、ひどくぎこちない。
「……おはよう」
俺が声をかけると、イリスはびくりと肩を震わせ、慌ててこちらを振り返った。
「お、おはようございます、アレン! そ、その、何か食べなければと、思いまして……!」
彼女は、顔を赤らめ、しどろもどろに言い訳をする。
聖女様の手料理(?)。貴重なものだが、いくつかの木の実は、見事に黒焦げになっていた。
「……貸してみろ」
俺は、苦笑しながら彼女から串を受け取ると、火との距離を調整し、丁寧に炙り直した。
「すごい……。どうして、そんなに上手なのですか?」
「冒険者なら、これくらい、できて当然だ」
他愛のない会話。
だが、そのやり取りが、昨夜の出来事でまだぎこちない俺たちの間の空気を、少しだけ和らげてくれた。
◇
俺たちは、港町ザルツァを目指し、『忘れられた森』の中を歩き始めた。
イリスにとって、それは、驚きの連続だったようだ。
「まあ……! なんて綺麗な花なのでしょう!」
「それは『涙見ず草』だ。毒があるから、あまり近づくな」
「見てください、アレン! あの鳥、七色に光っていますわ!」
「あれは『虹羽鳥』だ。派手な見た目だが、味はいい。今日の夕食にするか」
「あ、アレンは、すぐに食べることばかりお考えになるのですね……」
聖都の堅苦しい城壁の中でしか生きてこなかった彼女にとって、この森は、生命に満ち溢れた、未知の世界。
土の匂い、木々のざわめき、生き物たちの息遣い。
その一つ一つに、彼女は、まるで子供のようにはしゃぎ、目を輝かせた。
俺は、そんな彼女の姿を、呆れながらも、どこか微笑ましく感じていた。
聖女ではない、「イリス」という、一人の少女の素顔。
その素顔に、俺の心が、少しずつ、惹かれていくのを感じていた。
「あなたは、剣の腕だけでなく、生きるための術を、本当にたくさんご存知なのですね」
休憩中、イリスが、感心したように呟いた。
「S級パーティってのは、ただ魔物を倒せればいいわけじゃないんでな。どんな環境でも、生き抜くための知識と技術がなきゃ、話にならん」
俺は、水筒の水を飲みながら、ぶっきらぼうに答えた。
だが、イリスのその尊敬に満ちた眼差しは、少しだけ、くすぐったかった。
◇
(その頃、魔王城では)
「もう我慢ならん! 妾が、自らアレンを探しに行く!」
作戦司令室で、魔王リリムが、机を叩いて宣言した。
その瞳には、涙の跡が残り、しかし、今は固い決意が宿っている。
「お待ちください、リリム様!」
ゼノンが、その巨体で、リリムの前に立ちはだかった。
「今、あなたが城を離れるのは、危険すぎます!」
「うるさい、ゼノン! アレンが、あの聖女に騙されて、今頃、ひどい目に遭っておるやもしれんのじゃぞ! じっとしておれるものか!」
「ですが!」
二人が睨み合う、一触即発の空気。
その間に、一人の男が、割って入った。
ライアスだ。
「待て、魔王」
彼は、リリムを真っ直ぐに見据えた。
「お前が動けば、聖王国軍に、城の主が不在だと知らせるようなものだ。それこそ、アレンの望むことじゃないはずだ」
「ぬかせ! お主のような、アレンを追放した男に、何がわかる!」
「わかるさ!」
ライアスは、叫んだ。
「あいつは、馬鹿がつくほどのお人好しだ! だが、同時に、誰よりも仲間と……自分の居場所を、大切にする男だ! あいつが、あんたたちのことを考えずに、無謀な行動をするとでも思うか!」
その言葉に、リリムは、ぐっと押し黙った。
ライアスの瞳には、アレンへの、歪んでいるが、しかし、確かな信頼が宿っていた。
「……面白いですわね」
その光景を、壁際に立つルナリアが、楽しそうに眺めていた。
「魔王様と、元勇者パーティのリーダーが、一人の男を巡って、言い争いとは。アレン様も、罪なお方」
◇
(アレン視点)
日が暮れ始め、俺たちは、その日の野営の準備をしていた。
焚き火の光が、俺とイリスの顔を、暖かく照らし出す。
「……アレン」
イリスが、ぽつり、と呟いた。
「もし、この戦いが終わったら……あなたは、どうなさるのですか? 魔王城へ、帰るのですか?」
その問いに、俺は、即答できなかった。
リリムたちの顔。
ライアスたちの顔。
そして、シオンの顔。
様々な想いが、俺の胸をよぎる。
俺の帰る場所は、一体、どこにあるのだろうか。
俺が、何かを答えようとした、その時。
―――ああ……愛しきは、我が君……。
―――その御魂、我が調べに、捧げたまえ……。
森の奥から、歌声が聞こえてきた。
それは、人間のものとは思えないほど美しく、そして、どこか物悲しい、子守唄のような、不思議な歌声だった。
「……なんだ……?」
俺とイリスは、顔を見合わせ、息を呑んだ。
この森には、まだ、俺たちの知らない何かがいる。
歌声は、まるで俺たちを誘うかのように、ゆっくりと、しかし、確実に、こちらへと、近づいてきていた。
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