第16話 狂犬の取引と聖女の視線

「もう一度、アレンと一対一で戦わせろ!」


ライアスの絶叫は、呪いのように玉座の間に響き渡り、そして吸い込まれていった。

誰もが、その常軌を逸した提案に言葉を失う。

衛兵に拘束されたまま、肩で息をするライアスは、ただ一点、俺だけを睨みつけていた。


最初に沈黙を破ったのは、意外にも魔王リリムだった。


「―――くっ」


肩を震わせるリリム。

次の瞬間。


「くくく……あはははは! 面白い! 実に面白いぞ、人間!」


リリムは腹を抱えて笑い出した。玉座に座り直し、足を組みながら、心底楽しそうにライアスを見下ろしている。


「正気か、お主は。奴隷の身でありながら、魔王たる妾に取引を持ちかけるとは。その度胸、気に入ったわ!」


「俺は、お前に屈したつもりはない。これは取引だ。魔王、アンタにとっても悪い話じゃないはずだ」


ライアスの瞳は、一切揺るがない。


「ほう? 聞かせてもらおうか。妾にとって、どこが『悪い話ではない』のかを」


リリムが、挑発するように顎をしゃくる。


「聖女イリスが率いる、聖王国軍。厄介な相手なんだろ? なら、戦力は多いに越したことはない。俺たちはS級だ。足手まといにはならん」


「信用できるとでも?」


冷たく言い放ったのは、ルナリアだった。彼女は俺の腕から離れ、ライアスを品定めするように見ている。


「つい数日前まで、我らを殺そうとしていた人間を、どうして信用しろと? 聖王国軍と合流し、我らに牙を剥くのが関の山ですわ」


「同感だ。裏切る者を、戦場に置く意味はない」


ゼノンも、静かだが確かな拒絶の意思を示した。


「裏切りはしない」

ライアスは断言した。


「なぜ、そう言い切れる?」

俺は、初めて口を開いた。ライアスに問いかける。


「……お前を、奴らに殺させるわけにはいかねえからだ」


「何?」


「聖女イリスは、お前のことも『魔族に与した裏切り者』として、浄化するつもりだろう。だが、それは許さん」


ライアスの瞳に、狂的な光が宿る。


「お前を断罪し、引導を渡すのは、この俺だ。他の誰にも、その役目は譲らん。その目的を果たすまで、俺はアンタたちを裏切らない。……いや、裏切れない。これは、俺のプライドの問題だ」


その歪んだ、しかし一点の曇りもない覚悟。

俺は、ライアスという男を、少しだけ見直していた。こいつは、俺が思っていた以上に、どうしようもなく不器用で、真っ直ぐな馬鹿だった。


「……ぷっ。あはははははは!」


再び、リリムの哄笑が響き渡る。彼女は涙を拭いながら、俺を見た。


「アレン! こやつ、最高じゃ! 妾、気に入ったぞ!」


「リリム様、正気ですか!?」


ルナリアが慌てて声を上げる。


「正気じゃとも! こんな面白い見世物、逃す手はないじゃろう!」

リリムはすっくと立ち上がると、ライアスの目の前まで歩み寄った。


「よかろう、人間。その取引、乗ってやる」


「リリム様!」


「ただし、条件がある」

リリムは、ライアスの顎に指をかけ、くいと持ち上げた。


「お主らには、妾の『呪印』を刻ませてもらう。これは、妾への忠誠を誓うものではない。ただ一つ、『魔王リリムとその配下を裏切らない』というだけの契約じゃ。もし、その心を僅かでも抱けば……」


リリムは、悪戯っぽく笑う。


「お主らの心臓は、即座に停止する。痛みも、苦しみも感じる暇さえなく、の」


「……!」


「どうじゃ? これで、裏切りの心配はなくなったであろう? お主のプライドと、妾の呪印。二重の枷があれば、さすがの妾も安心できるというものじゃ」


ライアスは、一瞬ためらった。だが、すぐに顔を上げ、リリムを睨みつけた。


「……いいだろう。その呪い、受け入れてやる」


「話は決まりじゃな!」


リリムは満足そうに手を叩いた。


こうして、俺たちの奇妙すぎる共同戦線が、正式に結ばれることになった。

リリムがライアスたちに呪印を刻み、一時的に牢から解放する。俺たち魔王軍の奇襲部隊とは別に、ライアスたちは陽動を兼ねた別働隊として動くことになった。

指揮権は、俺にある。悪夢のような采配だ。



「さて、と。では、改めて敵の様子を……」


リリムが水鏡に視線を戻した、その時だった。

鏡に映る聖女イリスが、ふと、こちらを向いた。

まるで、俺たちがこの鏡で覗いていることに、気づいているかのように。


その唇が、ゆっくりと動く。

声は聞こえない。だが、その形は、はっきりと読み取れた。


『―――待っていますよ』


そして、彼女の視線が、リリムから俺へと移る。

その美しい顔に、氷のように冷たい笑みが浮かんだ。


『魔王、そして……裏切り者の、アレン』


「「「!?」」」


その場にいた全員が、息を呑む。

リリムの顔から、初めて余裕の笑みが消え去った。


「馬鹿な……。妾の魔術を、看破したというのか……?」


聖女イリス。

その存在は、俺たちが想定していたよりも、遥かに深く、そして底知れない脅威であることを、俺たちはこの瞬間、思い知らされた。


開戦の火蓋は、すでに切られている。

そして、俺たちは、最初の一手で、すでに相手に読み切られていたのだ。

絶望的な状況。だが、俺の心は、奇妙なほどに燃え上がっていた。

やってやろうじゃないか。

聖女だろうが、何だろうが、この魔王城に指一本触れさせるものか。


俺は、静かに闘志を燃やし、腰の剣の柄を、強く握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る