第6話  熱田湊の邂逅

(1559年5月)尾張 熱田湊

永禄二年(1559年)――。

織田信長は、今川との決戦を念頭に置きつつ、三河との境を見極めるために熱田湊を訪れていた。

港は活気に満ちていた。

焼き団子の香ばしい匂い、帆船が軋む音、商人や旅人、物見遊山の町人、旅芸人――混沌とした人の波の中に、ある一人の少年がいた。

麻布の粗末な服、日に焼けた頬。しかし、その目は異質だった。

周囲の動き、言葉の端々、視線の流れまでを冷静に観察し、常に“全体”を把握しようとする鋭さを宿していた。

日吉丸――八度の生き戻りを経て、今は熱田で水あめを売る身であった。

木箱の上に小鍋を据え、赤銅色の飴を練るその手は、信じがたいほど器用だった。手元の小刀で瞬く間に鳥の細工を作り、わずか数秒で鳴子細工へと変化させる。

集まる子供たちに飴を渡すたび、彼は言葉と間で笑いを引き出す。

「一本買えば、もう一本は恋文付き! このあめ、貴女の心も溶かしますぞ!」

その口上もただの商売ではなかった。

相手の年齢、服装、関係性を一瞥で判断し、それぞれに最適な言葉を投げる。

まるで軍略のような即応性だった。

その光景に、港を歩いていた信長の一行が足を止めた。

「……おもしろいな」

赤備えの陣羽織を翻し、信長が人混みを割って水あめ屋の前に立った。

彼の目は、日吉丸の飴細工ではなく、飴を売りながら人を“読み切る”その在り方を見ていた。

「おぬし――何者だ?」

その一言に、周囲がどよめく。

日吉丸は静かに頭を下げた。

だが、八度も死を経たその眼は、一切揺らがなかった。

「中村村の出でございます。親と兄弟はまだ村に……私は口減らしのために村を出ました」

「……それだけの手際、どこで覚えた?」

「駿府にて。岡部元信殿の屋敷で小間使いをしながら、臨済寺で学ばせていただきました。雪斎和尚のお言葉も、いくばくか耳にいたしました」

その名に、信長の眉がわずかに動いた。

「雪斎……あの男の薫陶を受けたか。して、岡部は今も元気か?」

「はい。ですが、私は……桶狭間の山谷に地理的な危うさがあると進言したことで、不興を買いました」

信長の目が細くなった。

「……ほう。あの山谷の地形を言い当てたか。駿府では誰も気づかなかったと聞くが?」

「地元の旅人や問屋仲間から断片的に地理を集め、描いた絵図をもとに推したまでです」

沈黙が落ちる。その場にいた家臣たちの空気が、まるで張り詰めたかのように変わった。。

信長はしばし彼を見つめ、ふいに笑った。

「……見どころがあるな。ついてまいれ」

そう言い残すと、信長は踵を返し、日吉丸に背を預けて歩き出した。

日吉丸がその背中を追って歩き始めた瞬間、まるで世界の“重力”が変わったように感じられた。

彼の運命は、この時から確実に、歴史の渦へと巻き込まれ始めていた。

信長は、港でも格式高い商家「末次氏」の店へ立ち寄り、小ぶりな緋色染の裂地や、南蛮細工のガラス杯を品定めした。

さらに「茶屋四郎次郎」の店では、青花の小皿と香料を手に取り、笑いながら呟いた。

「妹への土産だよ。これでも可愛くてな」振り返ることなくそう言った信長の言葉に、日吉丸ははっきりと感じた。

冷酷な覇王と評される男の、かすかな人間性。

この人の隣に立つには、誰よりも早く、深く、“空気”を読む力が要る。

それは、武力や知略だけではない、人としての多面性を理解する力でもある、と。

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