午前一時のお茶会
「……眠れん」
借りた洋室で慣れない敷布団と掛け布団にサンドされる。スマートフォンの画面を見ると午前一時前。
リビングの方からカチャンと音が聞こえた。
もしかして……と思いゆっくりとドアを開け忍び足でリビングへ近づく。
「……あれ、起きてたん?」
来留さんだった。どうやらさっきの物音はホットドリンクを作るために生じたようだ。
一気に肩の力が抜け、空気を肺から押し出す。
「来留さんこそ……」
「綿来くんも飲む? ミルクティーかカフェオレ……いや夜にカフェオレはアカンか」
比較的カフェインが少なそうなミルクティーをお願いすると、ターコイズブルーの陶器マグカップに粉末とお湯を注ぎ入れてくれた。
「ありがとう」
二人でダイニングチェアに座り、静かに少しずつミルクティーを流し込んだ。
「……ってか、さっきそんな服じゃなかったよな」
おやすみと言葉を交わしたときにはグリーンのルームウェアだったはずなのに、今はグレーのパーカーにショートパンツだ。
「あ……いや、ちょっと……」
しどろもどろになる来留さん。
なにをしていたのかピンときてしまい、顔を顰めた。
「……寝れてるって、嘘でしょ。ここ毎日ずっとそんなことしてたんだ」
「で、できることはせな……」
「皆のこと……雲切のことも、
「……」
彼女はなにも答えず、ただミルクティーを飲む。ハンドルを持つ手の甲に血の滲んだ切り傷が見えた。
「その償いとして夜中もパトロール兼捜索ってこと?」
マグカップをテーブルに置き、長い嘆息を吐く来留さん。
「なんで綿来くんにばっかりこんなとこ晒してんやろなぁ、私」
カップの中身と同じ色をした髪は月明かりに照らされ、カーテンのように表情を隠した。
「……全部、正解。私が上手いことやってたら、こんなことになる前に止められてたはずなんよ」
「来留さんってバカ?」
「ば……」
俯いていた顔を勢いよく上げ、目をまんまるにしている。
「ば、バカって……! 人が頑張ってんのに——」
「頑張る方向性がバカなんだよ! ばーーか! なんでもかんでも自分が自分がって! だったら雲切の周りにいた人は!? 精神感応系の
思いのままに伝え、息が切れて肩が上下した。来留さんは口をはくはくさせている。
「……そんなに思い詰めてる来留さんに気づけなかった俺も、バカだよ」
「……っ、あははは! ……バカ……そやな、たしかにバカやわ。綿来くんの言う通りや」
「なに二人でこそこそ話してるんですか〜? 混ぜてよ〜」
ドアの近くに腕を組んでこちらを見ている宝木さん。
結局三人で夜更かしとなってしまった。
「へぇ、宝木さんは超能力の覚醒自体は小三からだったんだ」
「そうなの。彗と仲良くなったのも、偶然怪我してる彗を見つけて
ミルクティーを入れたマグカップを持ちながら、今まで深く聞けていなかった思い出話に突入した。
「来留さんはさ、絶対プライベートで
「正直……そうだよね。ちなみに私は礼奈に
俺も、とは言えず宝木さんと一緒になって笑う。来留さんはミルクティーを一口含んだ。
「……最初からそう決めてたわけちゃうよ。昔はなんでもかんでも
彼女はゆっくりと話を始めた。過去の過ちを懺悔するように。
「秘密とか弱みを握ろうとしたわけちゃうよ。ただ、どうしたら好かれるかとか、見てくれるかとか、そればっかり考えてた。もちろん学校では好かれたで。……けど、それは本人らの望みを叶える機械になってただけなんよ」
小さなゴムボールを投げたつもりが、ボウリングの球になって返ってきた。夜更かしで浮ついていた心を今更ながら引っ叩いてやりたいくらいだ。こんなの古傷を抉ったに決まっている。
けれど彼女の目は伏せもせず、まっすぐに前を向いていた。
「カンニングして好かれても、虚しいだけなんよ。……だから、私は私の頭で考えて、正解も間違いも選ぼうって決めたんよ。……まぁ、結局親はアレやし、今こんなザマやけどな……」
雰囲気を紛らわせるためか最後には笑いを混ぜた。が、俺と来留さんは笑わなかった。
「それって、私と出会う前の話でしょ? 小学生の間にそんなふうに考えられるって……偉すぎない!?」
「うん、俺も思う」
俺は宝木さんの意見に首肯する。
来留さんは「二人とも大袈裟すぎやって」と細めた目尻が濡れていた。
「『こんなザマ』にした奴を一緒に倒そうぜ。来留さんはもう単独行動禁止な」
「分かった分かった」
「明日は皆でアテナに行くぞーー! おー!」
この時点で午前二時。次に目覚めたときは平日であれば一時間目が始まっている時間だった。
身支度をして来留家を出たらアテナ——の前にカフェへ寄りモーニングを注文。
来留さんはエッグデニッシュをかじりながら「パスタ美味しそう……あっ十時からか。……パフェもあんの!」と目を輝かせていた。
「食べたいなら食べなよ」と促すも「見てるだけやよ」と窓の方を向いてしまった。
腹ごしらえが済んだらアテナを目指し、上空を飛行。往復四百キロの長距離飛行は初めてである。
「綿来くん、キツかったらいつでも言うてや?」
「ありがとう、今のところ大丈夫! ……ってか俺に合わせてくれてるよね、ごめん」
飛行速度は上がったとはいえ、到底来留さんのようにマッハには届かない。来留さんの場合は
「これくらいが丁度ええよ」
「今でも十分早いんだから大丈夫だって〜」
そうしてアテナへ着いたのは一時間と十五分が過ぎた頃だった。
「めっっちゃ疲れた……」
「もー、やから無理せんとき言うたのに」
中庭ベンチに座りボーッと一点を見つめた。
上を向いて目を閉じると、陽が瞼の血管を透けさせオレンジ色がいっぱいに広がった。
黒瀬はちゃんと飯食ってんのかな。……ってか敵に良いようにされるくらいのモノ抱えやがって、誰かに少しくらい話しても良かったんじゃねえのか、と考え出すと心配よりも腹立たしさが勝った。今度会ったら一発顔面に入れてやろう。
アテナへ入るとテミスの職員も混ざって右往左往しており、雲切の件で本来の業務まで手が回っていない様子。
来留さんは迷うことなく受付へ進み、雲切の件で調査したい旨を伝えると二つ返事で了承を得る。これは来留さんだからすぐに許可が出たのだろうということは雰囲気から察した。
「さて……この何もない部屋から
雲切にかつて与えられていた個室は夜逃げしたかのように物は何もなかった。あるといえば元々備え付けだったであろうデスクとチェア、スチールラックくらいだ。
来留さんはデスクに片手をついて目を閉じた。
「じゃ、ここは礼奈に任せておこうか」
宝木さんに同意し邪魔にならないよう個室を出る。その瞬間ある人が横切った。
「あ」
特に呼び止めるつもりもなかったのに声を出してしまい、その人は振り向いた。来留さんと同じ色の短い髪を揺らして。
「え? ……そういえば貴方たちは礼奈の……」
「お、お久しぶりです。姿が見えたのでつい……」
「礼奈のお母さん、いつもお世話になってます!」
俺がぺこぺこと軽い会釈をする隣で宝木さんはしっかり挨拶をした。
「そういえばあの子、なんか大変やったんよね? ごめんなさいね、迷惑かけて」
「いえ……」
いざ目の当たりにすると驚きを隠せなかった。
自分の娘が命の危険に晒されたというのに、ここまで他人事のように言えるのか。いや、そもそも本当に事情を知らないのだろうか。
「それじゃあ私は……」
「あの! ……来留さんもいるので、顔見るとか……話、されますか?」
来留さんの母はぽかんとした顔になった。
「私があの子の顔見て……なんの話を……?」
冷水を顔面に浴びせられたようだった。
あの子はずっとこんな気持ちで生きてきたのか。
今までどんな思いで過ごして、どれだけの努力を重ねてきたのか、知りもしない。知ろうともしないんだ。
「来留さんが危なかったんですよ……? なんで……なんでそんなに他人なんですか!?」
声が聞こえてしまったのか、個室のドアから来留さんが出てきてしまった。
「どうかした!? ……お、母さん……?」
彼女からすればチームメイトが自分の母親に怒っているという最高に気まずい場面。誰の視点から見ても気まずい。
「あ、礼奈ちゃんたち! ……ごめん、取り込み中かな?」
テミスから足を運んできたであろう実働課課長の萩本さん。更にカオスな現場になってしまった。
「いえ、私は特に用事はないので。では」
「そ、そう?」
来留さんのお母さんは何も言わずに去って行った。来留さんは怒るでも悲しむでもなく、ただ過ぎていく背中を一瞬目で追っただけだった。
「萩本さんごめん、なんか用事やった?」
「さっき総監長から礼奈ちゃんに伝えてほしいことがあるって言われてね。ちょうど来てるなら今しかないと思って」
萩本さんに渡された緑色のメモには『春ノ木総合病院』の文字。聞いたことのない病院だ。
「雲切くんは非常勤でここにも勤めてたみたいでね。礼奈ちゃんに
「お、
マップアプリを開き検索すると見事にヒット。すぐに病院を目指して飛んだ。
「隣の県って言ってたから遠くなるかと思ったけど、もう通り過ぎてた県だったんだね」
「ラッキーやったな」
そうして三十分ほど飛行し無事に春ノ木総合病院へ到着。普通に行くならば最寄駅からバスに乗る必要がある少々不便な立地。住宅街に囲まれた中でひっそりと存在していた。
「マップで見たらぽつんと建ってる病院と思ったけど……デカいな!?」
「高級マンションちゃうんか……!?」
「これ絶対迷子になるよ〜!」
迫力に慄きつつも足を進める。自動ドアを潜り来留さんが受付で事情を説明すると事務員の方が案内に来てくれるというので待機することに。
土曜日だからか人はわんさかいた。体調が悪そうな人はもちろん、付き添いやお見舞いであろう人たち。一角にはカフェまで併設しており、そちらにもかなり人は入っていた。
「病院の中にコンビニがあるだけでも嬉しいのに、カフェってテンション上がるな」
「レアチーズケーキ……モンブラン……か」
来留さんは真剣な眼差しで新メニューとして売り出されているケーキを見つめる。
そうしていると初老の女性事務員が頭を下げながら近づいてきた。
「テミスの方たち、ですかね?」
「はい」
来留さんはポケットから実働隊員だとわかる手帳を見せると事務員さんは納得された。
「では案内しますね」
エレベーターで二階へ上がり廊下をうねうねと曲がる黄色みがかった白色のドア前に辿り着いた。
「ここが医局です」
ドラマで聞いたことある単語だ、と謎に感動していた。事務員さんがノックと共に挨拶をしてからドアを開けると緊張感から背筋が伸びた。
部屋は向かい合わせになったデスクがずらり。デスクには各々が所持しているであろう医学書の数々。壁にはシフト表や学会のお知らせ、会議の予定などプリント類がところせましと掲示されている。
そして白衣を着た男性医師が二人。ノートパソコンと向き合いこちらには見向きもしない。
「すみません、雲切先生の使ってた机ってどこでしたっけ?」
「雲切先生? 先月辞めた先生ですよね? ……たしかー、ここ」
一人の男性医師が指差したのは窓際のデスクだった。もちろんアテナと同様、痕跡は全て消していた様子だった。
「
来留さんはデスクに片手をついて目を閉じる。数秒してからゆっくりと目を開けて静かに笑った。
「こっちの方では残留思念ベッタリやな。居場所は分かった」
「本当に!?」
「うん。それと……」
彼女はどこかから
「なにそれ?」
「机と机の間に落ちてたの
印刷された罫線からノートの切れ端だと推測できる。が、メモ代わりにもできないような小さな紙であり、誰が見てもゴミと判断するものだった。それでも来留さんは
「……え?」
来留さんは目を開けて呆然とした。
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