葛藤の最中
パッと視界の色が変わる。視界の半分は青が広がっていた。つまり上空である。
「な、えええええ!? 空ァ!?」
「なにびっくりしてんよ。いつも飛んでるやん」
横を見ると平然としている彼女がいた。胸元のリボンタイがひらひらと舞い、セーラー服の襟がはためいている。
「地上から飛ぶのとは全然違うだろ! ……あ」
「言うたな」
にやりとする来留さん。硬い表情を崩した彼女を見るのは初めてで、思わずじっと見てしまった。
……いやいや、と頭を振る。お人形さんに気を取られている場合ではない。そんなことよりも墓穴を掘ってしまったんだ。しかしこれで相手も普通の人間ではないと判明したわけだが。
「……来留さんも、普通じゃないんだな」
「そう。綿来くんと同じ、
超常的な能力を持っている点に関しては同じだが、彼女の中に流れる血は俺とはやはり違う。彼女は普通でなくとも人間なのだ。
それでも、仲間を見つけたようで嬉しいという感情は堰き止められなかった。
「で、本題なんやけど。……その
「別のこと……?」
「私、超能力犯罪を取り締まる裏の組織におるんよ。『テミス』って言うんやけど。そこの実働部隊に所属してる」
頭の上はハテナでいっぱいだ。しかも裏の組織と来た。つまりは闇の組織じゃないのか。
「えー……っと……それは友達同士でやってるサークル……みたいな?」
「ちゃうちゃう。もっと規模デカい。……あと反社会的なグループでもないから安心してや」
今のところ安心材料が無いのだが。
怪しすぎる勧誘につい眉間に皺が寄る。しかし彼女の超能力も本物であり、嘘ではなさそうだ。
「裏の組織とか、結構テンション上がると思たんやけどな……」
なぜ食いついてこない、と言いたげに来留さんは拳を顎に当て斜め下を向く。
「俺別に中二病じゃないからな!?」
「そうか……ほなちゃんと言わなな。『テミス』は超能力犯罪阻止機関。そこで
「私ら……ってことは他にも
「その通り。今は三人チームでやってるんやけど、そこに綿来くんも入ってほしいんよ」
この能力を人のために。今までに無かった発想であり魅力的だ。
けれど、公の場で能力をさらすなんて悪目立ちも良いところだ。ごく普通の平穏な日常を送りたいんだろ。何を迷うことがある。
対立する二つの考えが戦いを繰り広げた。
「ま、ちょっと考えてみてや。……せっかくやし、家まで送るわ」
「いや地上に降りて普通に帰る。まだ明るいのに飛んだら目立つし——」
「正確に言うと、私の超能力は飛ぶことちゃうで」
先ほどのようにまたしてもヒュパッと場面転換。自宅の玄関先だった。
「また一瞬で……ってことは」
「そう。私は
来留さんは左腕を伸ばして見せると一瞬にして上腕まで消えた。……いや、よく見ると周辺に細かな粒子が漂っている。
「か、体が粉に……」
「これは
漂っていた粒子は元の位置へ集まり、彼女の左腕となった。
「あと……やっぱええわ。じゃ、また明日!」
また、と返事をする前に来留さんは
半妖の俺よりもよっぽど人間離れしてないか、となんだか妖怪としてのプライドも折れた気がする。
「まぁ、所詮一反木綿だしな……酒呑童子とか大天狗だったらもっとカッコ良かったのに……」
夕食の時間。
いつもと同じように三人で食卓を囲む。今日はトンカツよ〜、と母がニコニコで運んでくるが今日ばかりは少々重い。
今日の一件、黙っておくか? けれど一人で考えて答えが出るか? と悶々とし、ついには意を決した。
「……あのさ、今日クラスの子にバレたんだ。空飛べること」
二人が同時に箸を止め俺の方を向くと心臓がより大きく拍動した。
説教が飛んでくる前に言葉を急いで紡ぐ。
「けど、その子も普通の人間じゃなくて……
怒られたくないからか、彼女のようになりたいからか、ペラペラと言葉がこぼれた。
「あぁ、『テミス』?」
「え」
「お父さん知ってるの?」
来留さんから聞いた単語が父から聞こえた。トンカツを噛みながらご飯を追加で口に入れる父。普通に食い続けるな。
「昔にな。唯一繋がりがあった妖怪仲間から聞いたんだよ。でも
「そうね、良いと思うわ」
「いや軽ゥ!? 止めるだろ普通!」
俺としたことが失念していた、この二人が基本はちゃらんぽらんだということを。
「俺たちは散々人前で飛ばないように言ってきたけど、妖怪のハーフだってバレないようにって意味だし」
「似たような人が他にもいるなら別に構わないわよ。……それに自分から社会貢献するなんて、綾人も立派になって……」
「生まれたときはこーんなちっさかったのになぁ」
「大袈裟に感傷に浸るな! あとそんな小さく生まれてねぇから!」
胸に手を当てしみじみとする母と人差し指と親指の間を少しだけ空けてふざける父にツッコんだ。俺以上に浮かれている二人を見ているとだんだん冷静になってきた。
それでも心の中の天秤はずっとゆらゆらと揺れていた。
*
「で、昨日のこと考えてくれた?」
翌日。帰りのホームルームが終わるや否や、来留さんは俺の席にまで飛んできた。
前の席にいる楽間が「お前らどういう関係?」と訴えるような目をしているがスルーする。
「いや〜良さそうだとは思うけど、俺に務まるかどうか……う〜ん」
あちらこちらを目を移動させながら歯切れ悪く答えた。
「……行くで」
「えっ!? あっ」
彼女に学ランの袖を引っ張られ教室を出る。そのまま階段を下りて裏に回ると彼女は
目の前にはワインレッドのドア。どうやらマンションの廊下に
「ここの一室を借りて根城にしてるんよ」
「へえ……」
「一回見学しようか。ほんだら雰囲気分かるやろ」
有無を言わさず来留さんは鍵を差し込んでドアを開けた。
「急にわけ分かんねぇ奴来たら他の人がびっくりするだろ!? てか怒られるだろ!」
「大丈夫。話は大体してるし、私がチームリーダーや」
「えぇ……お、お邪魔します……」
リーダーと言う彼女に中へ入るよう引っ張られ、抵抗せず従った。
中はごく普通のワンルームマンションの内装だった。部屋の中央には折り畳みテーブルが二卓並べられ、パイプチェアが四脚向かい合っている。
窓際にはカラーボックスが置いてあり、来留さんはそこにスクールバッグを押し込みながら「適当にその辺座って」と言い放つ。俺は窓側のパイプチェアを引いて腰を掛けた。
彼女は一人暮らし向きの冷蔵庫を開け「これ飲める?」と炭酸飲料を見せてきたため、大丈夫だと返事。一応客人として扱ってくれるらしい。
お茶運び人形のごとくシュワシュワと音を鳴らしているコップをテーブルに持って来ると向かい側に座った。
来留さんはテーブルの上に置かれていたガラス製のキャニスターからディアマンクッキーをつまむ。
キャニスターの側面には『ご自由にどうぞ』とメモ書きが貼られておりチームの誰か、おそらく女子の手作りクッキーなのだろう。
「食べる?」
「じゃあいただきます……」
差し出されたキャニスターからチョコチップを飲み込みグラニュー糖を纏ったクッキーをつまみ、口へ運ぶ。
噛んだ途端ほろっと崩れ、バターのコクと小麦の香ばしさが広がる。……いや女子の手作りクッキーに夢中になっている場合ではない。
「来留さん。なんで俺が飛べるって分かったんだ?」
「任務帰りに見かけたから。……気ィ悪くせんとってほしいんやけど、もしかしたら超能力犯罪者かもと思って見張ってたんよ」
「まぁそれは良いんだけど……俺、周りは確認してたぞ? 来留さんはどこにいたんだよ」
「私も
盲点だった。地上しか見ていなかったばかりに上空から発見されるとは思っていなかった。俺は心の中でしくじったと頭を抱える。
「あぁ、なるほど……」
「能力見た感じ、多分
毛穴から冷や汗が滲み出そうになる。この話の流れはまずい。
「俺は昔から飛ぶだけなんだよ。物浮かすとかは……ホラ、無理だろ。多分飛行限定の超能力なんだ」
目の前にあったコップに手をかざして見せる。もちろんコップは微動だにしない。
俺は超能力について詳しくない。「飛ぶことしかできない超能力はおかしい」なんて指摘されたら終わる。
しかしそれは杞憂であった。来留さんはクッキーを含んだ頬を上下にしながら「飛ぶだけの超能力か、珍しな」と呟いた。
なんとか
直後、玄関のドアがガチャリと開いた。
「おつかれ」
「おつかれ〜! え、誰!?」
入ってきたのは男女二人。
男性の方は黒のウルフヘアで気怠げな雰囲気を醸し出している。女性の方はブラウンの髪を左右に分けて耳あたりで結んでおり、元気な今時の女子高生といったかんじだ。二人ともブレザーの制服を着ており、別の学校なのだと分かる。
見た目は普通だが、この二人も人間離れした力を持っているのだと思うと勝手に親近感が湧いた。
「この前話した人や。綿来綾人くん」
「礼奈が見つけたって言ってた人か! 新メンバーだね、よろしく! 私、
鞠を転がしたような声で近づいてくる宝木さん。表情豊かで薄ピンクのリップがよく光る。
笑顔でいる彼女に対して非常に言いづらいが致し方ない。
「俺、入るってわけじゃなくて……今日は見学で来たんで……」
「えっそうなの!? そっかぁ……じゃあ入りたいって思ってもらえるようにしないとね!」
「いや、入らなくて良いでしょ」
ウルフヘアの彼ははぁ、と嘆息を吐いた。
「やる気ない人が入ってもチームワークが悪くなるだけだよ。それに話聞いた感じ技術磨いてるとは思えないし、飛ぶだけなら僕の下位互換でしかない」
「
「僕は覚悟があるなら良いって言ったまで。なのに見学しないと決められないくらいなら反対」
想定していなかった厳しい目とお言葉に怒られたような気分になる。思っていたよりストイックなチームなのかもしれない。
「見学しよう言うたんは私や。それにすぐ覚悟決められる奴の方が逆に怖いし嫌やわ」
黒瀬と呼ばれる少年と来留さんの表情が険しくなる。
「まあまあまあ! 礼奈の言う通り実際に見てもらうのは大事だと思うよ!
「……」
「……じゃあ打ち合わせ始めるで」
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