ザ・ブレーメン

東雲 律

プロローグ

俺は先日、居場所の一つを壊した。

 居場所、というのはそのままの自分で過ごせるようなところのことだ。それは友達だったり、恋人だったり、部活仲間だったりと、人によって異なるだろう。

 もっとも俺の場合は自己をさらけ出せていなかったからこうなってしまったわけだが。

 居心地は良くとも騙している気分はいつも纏わりついていたため、後悔よりもスッキリした気持ちの方が強かった。

 とはいえ、これからどうしようかと悩みながら俺は自分の席でスマートフォンを弄る。適当にSNSを開いてひたすらスクロールとタップを繰り返す。

 それは格好だけであり、意識は教室の扉に集まっていたため画面の内容など頭に入るはずもない。


 ちらちらと目だけを動かして五分、十分と経過——彼女が来た。来留礼奈くるどめれなだ。

 ミルクティー色の髪は大きく波打っており、ふわふわと揺れている。薄い色素の瞳も相まってドールのよう。フリフリのドレスに着せ替えれば今すぐにでもお茶会に呼ばれるだろう。

 俺はお人形さんから一切目を合わせずにスマートフォンへ集中した。席が遠いこともあり、言葉を交わすことなく彼女も自分の席へと向かった。

 そう、これでいい。

 襲ってくる寂寥感と喪失感を飲み込んだ。自分が選択した道なのだから、受け入れるべきだ。


 授業が始まればいつもは教師の話半分に聞いてどうでもいいことを考えていたが今日は違う。

 勉学に励もうと心を入れ替えたわけではなく、単に思考ノイズで頭の中を溢れさせたかったからである。

 休憩時間になれば席が近いクラスメイトと談笑するか、教室を出てトイレや購買へ行き、とにかく何かしている様子で過ごした。

 慣れないことをした六時間は恐ろしく疲労し、明日もできるだろうかと不安がよぎった。


「——じゃあ、気をつけて帰るように」

 帰りのホームルームで担任がそう告げると、俺は黒のバックパックをすぐに背負い急ぎ足で廊下へ出る。

 が、後ろから左腕を掴んで引っ張られた。

「なんでなんも言わんの?」

 透き通った芯のある声が鼓膜を振動する。平坦なトーンで感情が読み取れない。

 錆びついたような関節をなんとか動かし、振り向く。予想通り、来留礼奈だった。

 登校したときと表情は変わらず真顔。

「それはそっちもだろ。……てか、聞かなくても感知めばいいじゃん」

 彼女は一瞬だけぴくりと眉根を動かした。

「友達は感知まへん主義や言うとるやろ。感知んだ上で接しても意味ないわ」

 甘い容姿に似つかず流暢な関西弁で反論する彼女。おまけに声が鋭くなるのだから、心臓を直で握られたような気分だ。

「……」

「とりあえず、行くで」

「えっ、ちょっ」

 順番が入れ替わり彼女が先頭を切って俺の腕を引っ張りながら歩み出す。言葉は躊躇いを含みながらも足は抵抗しなかった。

 階段を下りるとそのまま裏側へ回る。そして、俺と彼女は学校を後にした。

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