花天月地【第8話 ひとつ星】

七海ポルカ

第1話




 ――中腹の部隊が動き始めた、その少し前。



 呂蒙りょもうは丁度ふもとから【剄門山けいもんさん】を見上げていた。


 幕舎を一つだけ立てた。

 その幕舎の前に用意された大きな卓に地図があり、事前に調べた【剄門山】の陣容が書かれている。

 照らし合わせながら、呂蒙は小さく息を付いた。

 数時間前に、中腹まで無事に達したという知らせは受け取った。


 だが完全に敵陣の真っただ中にいるので、何かが起こり得るとすればそれは夜間であろうから呂蒙は麓から、今夜はずっと中腹を見上げていてやろうと思っていたのである。

 大きな被害は出なかったようだ。

 それは安堵した。


「呂蒙将軍、湯をお持ちしました」


 副官がやって来て声を掛ける。

「ん? おお、すまんな」

 一度椅子に座り、湯に手を伸ばす。

「まずは、上手く行ったようですね」

「ああ。どうなることかと思ったが、少し安堵した。

 最も、龐統ほうとう相手では油断することも出来ないが」

「我々が【剄門山】の様子は見ておりますので、将軍はどうぞ一度仮眠をお取りください」

「いや。俺は今回麓で休ませてもらってるから、別に何も疲れておらん。さっき一時間ほど居眠りをしたから眠くないしな」

 呂蒙はもう一度山を見上げた。

 今日は月が丸く美しいが、小さくとも深いこの山は、黒い塊となって見える。

 山頂には今日も篝火が見えた。


(あれが敵本陣)


 中腹にも僅かに火の色が見える。

(そしてこちらが我が陣か)

 部隊を任せた者たちの顔が過る。

 麓から見上げるとあまり見えなかったので、呂蒙は戦闘が始まると対面の山の陣に一度戻った。

 そこからは深い山の中で、交戦する両軍の様子がよく見て取れた。


 八本ある上り口の西から三本目、東から三本目の二筋が突入路に選ばれ、

 甘寧かんねい淩統りょうとうに率いらせた二部隊が左右同時攻略を開始する。

 姿は見えなかったが、時々音や、木が倒れるのも見えた。

 何かが崩れたり、火のような光が立つのも見えた。

 それに、ある程度のことは予想していたが、予定よりも攻略は大幅に遅れた。

 断続的に行われる戦闘の音に随分はらはらさせられたが、二部隊とも死者無く、中腹へと進軍してくれたのだ。


(うん。やはりあの三人は、いいな)


 元々甘寧は戦場で、水上戦も山岳戦も、遊撃戦もなんでもこなす使い勝手の良さが頼りになる武将ではあったが、淩統もいい。

 甘寧に比べて軍の進め方は堅実だが、ここぞという時は果敢だ。

 甘寧が戦場で発揮する不思議な第六感は淩統に期待は出来ないが、

 それを陸遜りくそんと組み合わせると、陸遜も戦場で閃く才を持っている為、淩統に欠けがちな大胆さや一瞬の神速を補ってくれる。

 また陸遜の側に、堅実な淩統がいてくれるというのも、呂蒙にとっては安堵する組み合わせなのだ。



『こいつは戦場で変わる』



 自分も早く、甘寧ほどに陸遜を信じてやれるようにならねばと思ってはいるのだが、どうしても呂蒙は未だに蘇州そしゅうから建業けんぎょうに来たばかりの時の、今よりも幼げな陸遜を忘れられず、あの印象で守ってやらねばと思ったり、大丈夫だろうかなどと考えてしまうのだ。


(いかんいかん。いまや立派な呉の軍師殿だというのに)


 陸遜は強くなった。

 この五年ほどで強くなり、大人びた。

 多くの敵を討ち倒し、多くの苦しみを乗り越えて来たのだ。


 陸遜を含め、彼らは呉の若き才能だ。

 今こそ頼り、自分が上手く使って行かねばならない。



「呂蒙将軍!」



 西の方から、兵が駆けて来た。

 付近を見張っていた者だ。

「どうした?」

 兵は不思議な顔をしていた。

「はい……あの、今、我々二人で付近を巡回しておりましたらば、西の街道付近で妙な男と遭遇を」

「妙な男?」

「はい。自分はしょく趙雲ちょううん将軍などと申すのです。その割に武具も身につけておらず、槍すら持っておらぬ軽装の青年でして……まさかとは思ったのですが、追い払おうとしても江陵こうりょう方面軍の総大将呂蒙将軍にどうしてもお会いしたいなどと、頑として譲らず」


 呂蒙は目を瞬かせた。


「なに……?」



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