17.専属クラフター

 ――《VOIDLINE》三十二日目。

 クラブハウス・作業場クラフト台前。


 革手袋越しに、鋼の冷たさと、わずかな歪みが伝わる。

 ユイナの片手剣――普段は鮮やかな銀を帯びた刃も、よく見れば鍔(つば)の内側にうっすらと黒ずみが広がっている。


 使い込まれた装備は語る。

 持ち主の癖、戦闘のスタイル、そして、どれだけ命を懸けてきたかを。


 俺は丁寧に布を湿らせ、剣の鍔を拭った。

 これで、すでに五本目。

 だが作業台にはまだ、数点の装備が並んでいる。


 ハヤトの短剣――刃の根元に小さな凹み。

 ルカの革製ブーツ――靴底の魔力導膜が摩耗して、滑りやすくなっている。

 セツの魔導器――透明な核石の内部に、淡い濁りが沈殿しているのが見えた。


(これ、放っておいたら制御が効かなくなるかもな……)


 俺は魔導器をそっと手に取り、目を凝らす。

 わずかに震えている。

 核石の中で、魔力が反応して泡のように揺れていた。


 未使用時にこんな挙動を示すのは、本来ありえない。

 ただ、それを誰かに告げる前に、まずは確認しなければならない。


 必要な工具と調整薬を並べる。

 瓶の蓋を開けると、ほのかに甘い香りが立ちのぼった。

 魔力循環を穏やかにする「緩和液」。

 初級薬師でも調整できるレベルの補助剤だが、それでも取り扱いには集中が要る。


 俺の手は、まだ未熟だ。

 薬師としてもクラフターとしても、まだ道半ばにいることは自覚している。


 けれど、いま目の前にあるこの装備は――仲間の命を預かる“器”だ。

 その整備を任されているという事実が、自然と指先に力を与えてくれる。


(大丈夫。慣れてきた……少しずつ、だけど)


 細かく震える魔力の層を、ゆっくりと落ち着かせる。

 魔導器の核が、ごくわずかに光を放ち、濁りが引いていくのが見えた。


「……よし、ひとまず安定した、かな」


 自分に言い聞かせるように呟き、工具を置く。


 そのときだった。


 玄関のほうから風が吹き込んできた。

 ドアの隙間がわずかに揺れ、外の空気とともに土と草の匂いが入り込んでくる。


 足音。

 数人分の足取りが近づいてきたかと思うと、ドアが開いた。


「ただいまー。あー、暑い……こっち、思ったより荒れてたよ」


 最初に入ってきたのはルカ。

 その後ろから、セツとハヤトさんの姿も見える。

 全員、軽装のままだったが、靴に乾いた土がついていた。


「お帰りなさいです。採取に行ってたんですか?」

「うん。ちょっと街の南側の森までね」


 セツが帽子を脱ぎながら、水筒を開ける。

 その顔に、微かに緊張が残っていた。


「……実はさ、途中で“爪跡”みたいな痕を見つけたんだよね。しかも、二箇所」

「魔獣の?」

「たぶん。でも、大きさ的に中型まではいかないかな……小型獣くらい?でも妙に深かった」

「南側の森は、以前は安全圏だったはずじゃ……」


 俺がそう言うと、ハヤトさんが眉をひそめて答えた。


「そう。だから気持ち悪いんだ。魔獣っぽい気配もなかったし……」

「依頼を出しますか?一応報告だけでもしておいた方がよさそうですが」

「うん。後でギルドに言っておくよ」


 ルカがブーツを脱ぎながら、ふと作業台の上を覗く。


「あ、それ、私の?」

「そう。靴底の魔導膜、張り直しておきました。滑り止め効果も少し強化されたと思います」

「やった~!これでまた突撃できる!」


 ルカが冗談っぽく拳を突き上げる。

 その明るさが、さっきまでの話の空気を少しだけ和らげた。


 だが、俺は笑えなかった。


 机の上に戻った視線の先――セツの魔導器は、さっきよりも少しだけ、微かに震えていた。


 気のせいではない。

 緩和液で魔力を鎮めたはずなのに、また揺れが戻ってきている。


「……セツ。これ、少し魔力が不安定かも。今は大丈夫だけど、念のためもう一度調整しておきますね」

「うん?ありがと。最近使うこと増えてたし……ちょっと負荷溜まってたのかもな」


 セツは気にした様子もなく、奥のソファに向かっていった。

 

 俺がもし気付かずに、セツが魔導器を持っていってしまっていたら――

 本人ですら深くは気に留めていない、小さな気付き。

 クラフトの最中に深く考えることはないが、いざ本人を目の前にすると、彼や彼女らの命を握っているのだという事実が突きつけられるような感覚を覚える。


 未熟さ故なのか、そもそも性格の問題なのか、そんな感覚が、魔導器の揺れと重なって、なかなか離れなかった。



――――――



 片付けを終えて、作業場でひとりぼんやりしていた俺は、部屋の隅にあるお気に入りのソファに身を沈めた。

 気持ちの整理がつかないまま、ただ頭の中だけが、ぐるぐると回っている。


 そのとき――


「ぅわぁぁ〜!ダイトくぅぅん!!」

「うおぉぉぉぉぉお!」


 甲高い声と、驚きで思わず出た俺の雄叫び。


 俺の上にドンッと飛び乗ってきたのは――くま。

 いや、ノラさんだった。


 ふわふわなくまの着ぐるみ、今日は水色。

 手にはなぜか、カラフルな瓶をぶら下げている。


「うわっ……ノラさん、危ないですって……!」

「だいじょーぶだいじょーぶっ。くまちゃんは軽やかに着地できるのだっ!」

「そもそもどうやって入ったんですか!」

「それは〜くまちゃんの、ひ・み・つ〜☆」


 ぽふっと俺の隣に飛び乗るように座り直すと、ノラさんは瓶をくるくると回して見せた。


「ところでところで〜、今日もクラフト三昧だったんでしょ?ちょっとお疲れ顔だって聞いたから、元気補給に来ちゃった!」

「えっと……ありがとうございます。たしかにちょっと、考えごとしてて」

「うんうん、考えすぎるのは毒だよ〜?クラフターってね、悩み始めるとキリがないの!」


 そう言って、ノラさんは自分の胸元をぽんぽん叩く。

 もこもこの素材から、ほのかにハーブの香りがする気がした。


「えーっと、今日は何を悩んでるのかな〜?《くまちゃん悩み相談室》、開店しまーす!」

「……セツさんの魔導器が、ちょっと不安定だったんです。緩和液で調整したんですが、さっき見たらまた少し揺れてて……」


 ノラさんのくりっとした瞳が、ぱちりと瞬いた。


「そっかぁ……それってつまり、ちゃんと“見えた”ってことじゃん。気付けるの、すごいことだよ?」

「でも、それを抑えきれていなかったんです。もしかして、整備ミスだったんじゃないかって……」

「ん〜……」


 ノラさんは、くま耳フードを少し引っ張りながら考えるふりをしたあと、瓶のふたをぽんと外した。


「じゃん!これ、今日私が作った“くまちゃん癒しスプレー”!」

「……癒しスプレー?」

「うん!効能は“自分を責めすぎなくなる効果・中”! 気持ち、ふんわり〜ってなるよ?」


 笑顔で差し出されたその瓶を、俺はおそるおそる受け取る。


「……どうやって使うんですか、これ」

「枕にしゅっ、ってして寝るだけ〜!」


 反応に困っていると、奥のほうから低めの声が響いた。


「お前、それ、薬師ギルドに怒られなかったか?」


 振り返ると、エドさんが道具袋を肩に提げたままこちらに歩いてくる。


「エドさん……」

「ノラの言う“癒し”はさておきだな。お前が落ち込んでたって聞いたから、二人して顔見に来たんだ」


 エドさんは俺の正面に腰を下ろし、肘を膝に乗せるような姿勢で言った。

 扉の側では気まずそうにこちらに手を振る、ハヤトさんの姿が見える。


「道具の不調に気付けるのは、いい兆候だ。調整が足りなかったとしても、そのことに“怖くなる”なら、お前はもう十分にクラフターだよ」

「……でも、それで誰かが傷ついたら、俺の責任で――」

「責任を背負うってのはな、“絶対にミスをしない”ことじゃねぇ。“絶対に雑にしない”ことだ」


 その言葉が、じわじわと胸に染み込んでいく。


「それにさぁ〜、私も最初の頃、毎日のように爆発させてたし〜。クラフト台、三つダメにしたの、実は私だよ?」

「えっ……」

「エド、ほんとに怒ってたもん。『ノラぁぁぁぁぁっ!』って」

「お前が“くま語録”でごまかすからだろうが……」


 ふたりのやり取りに、思わず笑ってしまった。


 少しだけ、胸の中の重しが軽くなった気がした。


「……もう一度、魔導器を調整してきます。今度は、もっと丁寧に」

「よし、いってらっしゃーい!くまちゃんスプレー、必要ならまた言ってね〜!」

「くれぐれも、実戦で使うなよ」


 エドさんとノラさんに見送られながら、俺は再びクラフト台に向かって歩き出した。


 この手で守れるものが、きっとある。

 未熟でも、不安でも。だからこそ、俺は手を動かし続ける。


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