第10話 マゾの論理

「んふふふっ……ご主人様……見つけちゃった」


 ゲーミングチェアの上でくるくる椅子を体で回しながら、私は到底人には見せられないような表情でニヤついていた。

 今日は記念すべき日だ。

 

 私のトラウマの払拭した日。

 そしてご主人様──レイナちゃんと出会えたこと。


「ご主人様、とか言ったらすっごい冷たい目と声で罵られそうだなぁ……」


 ……リアルで会ったらどんな目で見てくるんだろうか。

 レイナちゃんのリアル姿がアバターと同様に合法ロリだったらめちゃくちゃ最高なんだけど……まあ、直結厨みたいな思考はやめておこう。

 

「そうだよね。別に自分を偽る必要も無いし、我慢する必要も無いんだ。もっと性格悪く行こう、私」


 どれだけはっちゃけた性格を見せたところで、レイナちゃん風に言うなら"本当の素"なんてリスナーには分からない。

 だからこそやりたい放題やってもいいよね。


「ご主人様の性癖が聞けるの……めっちゃ楽しみ」


 私は三日月のような笑みをした。


☆☆☆


 昔から私はどうにも傷つくことが無かった。

 物理的にではない。精神的に。


 誰に何を言われようと平然と受け止めることができたし、どれだけ罵られても「そっかそっか」と受け流すことができた。


 ただ、自分の失敗で人に迷惑をかけた場合はその限りではない。

 申し訳なさと罪悪感が湧いて、とてもじゃないけど受け流すことなんてできなかった。


 そんな幼少期を過ごして、中学生になった頃。

 多感な時期でおませだった私にも、性への興味が徐々に湧いてくるようになった。


 今の時代スマートフォンなんて便利なものがあれば大抵の情報は手に入れることができる。

 例に漏れず、スマホを使って様々な情報を仕入れた私はふと己のアイデンティティ──"性癖"に気がつくことができた。


「私ってもしかしてドM?」


 マゾヒズムとは……肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得ること。(by Wikipedia)。


 ということらしい。

 しかしながらマゾヒズムにも色々な種類があって、精神的苦痛は耐えられないけど肉体的苦痛はイケる……またはその逆……など、性的快感を味わうシチュエーションもその人それぞれだった。


 つまりは大枠の性癖をマゾだとして、その中に自分の好みのシチュエーションだったり、仕組みみたいなものをプラスしたモノこそ──性癖のアイデンティティ。


 私はその中でもとりたて、精神的苦痛に快感を感じるタイプで、特に冷たい視線やドン引きされること……または、理不尽な叱責や説教が最高だった。


 ただし、自分が迷惑をかけた場合は一切快感を感じることが無い……という若干面倒な性癖であることが分かった。


「私さ、もしかしたらドMかも」


 中学の頃、親友にそんな告白をした。

 親友とは性についての情報交換をしていた仲なのもあって、ちょっと異端な自分のことも受け入れてくれるんじゃないか……っていう希望があった。


 だけど……、


「え、キモ……Мはちょっと無いかな……」


 返ってきたのはドン引きと軽蔑の目だった。

 正直言ってその目線はかなり最高だった。


 ただし最悪なのはその後。

 中学生女子のネットワークは多岐に渡る。


 二日後には瞬く間に私がドMであることが曲解して同級生たちに伝わり、私はその日からイジメの対象になった。


 女子からは無視、嫌がらせ、水をぶっかけられたり……などなど、割と典型的なイジメられ方をした。

 無視と微妙な嫌がらせに関してはどうでも良かったけれど、水をかけられるとか物理的な損害は辛かった。

 

 そして、男子からは変な噂をされた。

 曰く、簡単にヤれるビッチだとか男好き……とか。

 そのせいでニヤついた気持ち悪い男子から声をかけられることも少なくなかった。

 私はその一件で男子のことが完全に苦手になった。


 そして男子のことを全力で遠ざけていたら、今度はレズだと言われ女子からも変な噂を立てられるようになった。

 どないせいと。


 まあ、なんやかんやあって私は"マゾヒスト"というアイデンティティを三年間に渡って否定され続けたことで、ということが完全にトラウマになってしまったのである。



 ──だからこそ。

 受け入れるわけでもなく、否定することもなく、なんら当然と言わんばかりに受け流したレイナちゃんに──激重感情を抱いてしまうのも仕方なくて。


「もっとあの冷たい声を聞きたい……でも嫌われるのは嫌だなぁ」


 レイナちゃん、女の子好きとかないかな。

 でも相思相愛になるのはちょっと解釈違いというか……うーん、でも嫌いになられて関われなくなるのは嫌だしぃ……。


「そっか、リスナーにてぇてぇカップルだと認知させて囲い込めば良いのか」

 

 うん、良いアイディアかも。

 それならもしも嫌われても仕事ならレイナちゃんは絶対に断れない。

 嫌われなくても関わる機会は増える。

 私に利しかない。


「自分を出して我儘に。性格悪く行こう、って誘ったのはレイナちゃんだからね? だからさ、責任取ってね」


 私はスマホに映していたレイナちゃんの金髪ロリアバターに、そっと口づけを落とした。


 ふと、部屋の姿見で自分の姿を見る。

 ゆるっとした水色の部屋着。

 黒髪ロングで、我ながらスタイルはかなり整っていると思う。

 顔も少し何考えているか分からない、と言われることはあるけど悪くはないはず。


 イジメられてても中学、高校はかなりの男子に告白されたものだ。全員断ったけど。

 うん、手入れは怠ってないし完璧だよ、私。


「あっ……」


 ただ──今の自分の表情は到底見せられるもんじゃない。

 


 頬を染めて、歪んだ笑みを浮かべている女の顔なんて──ご主人様には見せられない。

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