第35話 帰りましょう

 マンションの入り口の自動ドアをくぐり、エレベーター乗り場まで走った。


 エレベーター乗り場上部にある電光板では、エレベーターは現在、七階で止まっていることを示している。


 梅原さんから来栖さんのスマホに送られていた住所の最後には、部屋番号が記載されていて、番号的にマンションの七階だとすぐに分かった。


「次から次へと嫌な予感が的中するな、まったくっ!」


 エレベーターが降りてくるのを待つのも、もどかしいから僕は、エレベーター乗り場の横にある、階段を七階まで駆け上がることにした。


 「ハァ……ハァ……間に合ってくれ…………!」


 ちょうど今日、ランニングしていたこともあり、体が軽く、少し息は上がりながらも、途中で立ち止まることなく一気に駆け上がり、七階へ到着した。


 七階フロアの外廊下に出ると、一室だけ開いたままの玄関を見つけた。


 よく見ると、黒ジャージの男が、玄関を押さえ、そのまま中へ入ろうとしている。


「それはダメだろッ……!」


 僕は七階フロアの外廊下を全速力で走り、部屋番号も確認しないまま、玄関を開け、黒ジャージの男の首根っこを掴み、力任せに外へと放り出した。


 黒ジャージの男が、外廊下の塀に背中をぶつけ、うずくまっている姿を確認するとすぐに玄関よりも奥に倒れ込んでいる人を見つけた。


 その人のことを、見間違うはずもない。


「大丈夫ですかっ!? 白河さんっ!?」


 僕はすぐに、白河さんに駆け寄った。見た感じ、特にケガはしてなさそうだ。


 すると、白河さんの碧眼は涙で揺れ、そして、大粒の涙が流れる。


「あっ……麻宮君っ…………!」


 そう叫び、白河さんは僕の首に手を回し、抱きついてきた。

 僕は、白河さんの突然の行動に驚き、抱きしめ返していいものか戸惑っていると、背後から黒ジャージのうめき声が聞こえてくる。


「イッテーなぁ……。なんだよ、お前は…………?」


 背中を押さえながら、よろよろと立ち上がる黒ジャージの男。

 僕は、その男にはっきりと言い放つ。


「僕は彼女の、同居人です」


「同居人……だと…………?」


「はい。なので、ここまでにして、お引き取り願いませんか?」


 警告のつもりで言ったのだが、黒ジャージの男は、聞いているのかいないのかわからない様子で、体を震わしながら笑いを堪えていた。


「くくくっ……同居人? あへへっ……つまり、お前ら……付き合ってるってことか?」


「そんなんじゃありませんけど」


「嘘つけッ! クソがッ! ああ、そうか……。結局、シーナたんも、そこら中にいるただのクソ女と一緒だったってことかよッ…………!」


 黒ジャージの男は情緒不安定な様子で、外廊下の塀を蹴りつけている。


「……もう、どうでもいいや…………。俺をここまで弄んだ罪を償わせてやる…………!」


 黒ジャージの男は、僕たちの方へと振り返り、


「一生、配信できない体にしてやるーー!」


 黒ジャージの男は叫びながら突進してきた。


「あ、麻宮君…………」


 怯えて震える声の白河さん。

 僕はゆっくりと立ち上がり、寂しそうな表情を浮かべる白河さんに向けて、自然と笑顔を作る。


「大丈夫ですよ、白河さん。、あなたを守ります」


「えっ……?」


 僕はすぐに黒ジャージの男の方へと向き直り、殴りかかって来ている黒ジャージの男の拳を左手で防ぎ、がら空きの顔面へと、右ストレートを放つ。


「ひぇっっ……!? …………へっ?」


 黒ジャージの男はすぐに眼を瞑ったが、何も起きていないことに気付き、ゆっくりと目を開けた。


 僕の右ストレートは、黒ジャージの男の鼻先数センチのところで寸止めしている。当たっていれば、鼻骨は陥没骨折していただろう。


「はぁぁぁぁぁぁ…………」


 黒ジャージの男は、全身から力が抜けたのか、その場に崩れ落ちた。


「くそ……くそ……くそ……」


 何やらずっと呟いている。まだ懲りてなさそうだな、この人……。


「あの、一ついいですか?」


「……話しかけんな、くそリア充が…………!」


 鼻の骨くらいやっぱり折ってやればよかったかな? いや、そうしたら、師匠じいちゃんと約束した、『己の拳は、他人を傷つけるものではあらず』を破ることになるな。


「何度も言いますけど、僕は、彼女の同居人です。それ以上でもそれ以下でもありませんから。それに――」


「一つじゃねーのかよ……!」


 鋭いツッコミ、ありがとうございます。


「それに、僕の言っていることが信じられなくても、仮に彼女が、あなたの言う、シーナたん? だったとして、あなたが、そのシーナたんのファンであれば、適切な距離を保つことは必要だと思いますし、推しって言うんでしたっけ? そう言う好きな人が、どんな生活を送っていようが、どんなものが好きでいようが、ファンとして優しく見守ることが大事じゃないんですかね?」


「……………………」


「すみません。僕も、星海シーナのファンで、水兵さんなんです」


「……!?」


「だから、あなたの気持ち、わからないことないんです」


「…………」


「でも、今回はやりすぎです。もっと星海シーナのことを考えて、ファンとして、一人の水兵さんとして、これからも星海シーナのことを推していくことが大事なんじゃないですか?」


「……………………」


 何にも答えなくなっちゃったし、ピクリとも動かなくなったな……。


「うっせぇんだよ、このガキがッ!」


「うおっ!?」


 黒ジャージの男が急に立ち上がり、僕は突き飛ばされてしまった。


「麻宮君っ!?」


 やっと動けるようになったのか、白河さんが駆け寄ってきた。


「お前みたいな説教臭いクソガキなんか、俺のシーナたんが好きになるはずねーんだよッ! よく見たら、そこの女も全然可愛くねーし! 全然シーナたんの方が可愛いし! お前らなんて、ブス同士、好き勝手にイチャコラしてやがれってんだッ! バーカ!」


 黒ジャージの男はそう叫びながら、エレベーターの方へと走っていき、ちょうど止まっていたエレベーターに乗り込み、下へと降りて行った。


「(わかってくれたようで、助かります……?)」


「麻宮君、ケガしてるよっ!?」


「え? ああ、こんなのただの掠り傷ですよ。唾つけとけば治ります」


 さっき黒ジャージの男に突き飛ばされた拍子に、腕を擦りむいたらしい。


「だ、ダメだよっ!? バイ菌入ったら大変だよっ!? ええっと待ってね? あれ? 救急箱ってあるのかな? この家に来てまだ日が浅いから、どこに何があるか――」


「白河さん」


 僕は、慌てふためく白河さんの手を取った。


「あ、麻宮君……?」


「今度はちゃんと、あなたのこと……守れてましたか?」


 白河さんのきれいで透き通るような碧眼は見開き、驚いた表情になったが、すぐに僕の言わんとしていることを理解したように目を細め、優しく微笑み、


「うんっ! ありがとっ! 私の、っ!」


「おっと!」


 また抱きついてきた白河さんを受け止め、今度は迷うことなく、僕は、しっかりと抱きしめ返した。そして、伝えたかった言葉を口にする。


「白河さん」


「ん? なに?」


「帰りましょう、僕たちの家に」


 降り続いていた雨は気づけば止んでいて、雲の隙間から光が差し込む。

 その光を浴びて、白河さんの銀髪が輝き、天使の輪っかを作っていた。

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