10章:公式戦デビュー
東海西の攻撃が終わり、ベンチから名前を呼ばれた友生は、小走りでマウンドへと向かった。
公式戦初マウンド。
土を踏みしめた瞬間、その感触がじかに足裏を伝ってくる。ブルペンとは明らかに違う傾斜。足元から、じわじわと緊張が這い上がってきた。視線を上げると、スタンドを埋め尽くす観客のざわめきと無数の視線が、肌を刺すように突き刺さる。喉が渇き、呼吸も浅くなっていく。
投球練習に入るが、ボールは裕生のミットを捉えず、5球すべてがボール球。唇を噛む。頭では理解していても、体が言うことをきかない。緊張している。それを痛感した。そのとき、最初に裕生がマウンドへ歩み寄ってきた。
「大丈夫だ、友生。いつも通りでいい。俺が受けてやるから、何も心配いらない」
兄の穏やかな声に、肩の力が少し抜けた気がした。次にやってきたのは、今日ツーベースを2本放って勢いづいている飯田だった。友生の肩に腕をまわしてくる。
「おい友生、カッチカチだぞ! いつものお前のボール、見せてやれ!」
飯田の明るさが、友生の心をほぐしていく。さらに、小高もマウンドに歩いてきた。
「周りを見るな。力が入るだけだ。投げたいとこに集中すりゃ、お前なら大丈夫だ」
普段は多くを語らない男の言葉が、スッと胸に沁み込んだ。
「なになにー?友生、緊張してるの?」
背中から声が聞こえたので振り返ると、なんとセンターを守る清水が、ひょっこりと現れた。
「なんでお前まで来てるんだよ!早く戻れって、審判に怒られるぞ!」
飯田が清水の尻を叩くと、マウンドにいた全員が笑い声を上げた。それぞれの背中を見送りながら、友生は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。仲間の言葉が、張り詰めた空気を優しく溶かしていく。深く息を吐き、改めてミットを見つめる。
「プレイ!」
審判の声が球場に響き渡った。その瞬間、友生の高校野球の新しい一歩が、静かに、しかし確かに踏み出された。バッターボックスに右打者が入る。友生はセットポジションから左足を上げ、小さなテイクバック。内側から押し出すように放たれたボールは、低めにズバッと決まった。ミットに吸い込まれる音が乾いた破裂音のように響く。
「ストライク!」
「よっしゃ!」
練習と同じ感覚。余分な力が抜け、心が不思議なほど静かになっていた。裕生が一呼吸置いてボールを返してくる。そのボールが胸元にスッと収まる。思い返すと裕生と公式戦でバッテリーを組むのは、小学生以来だった。
続く2球目。サインを確認して小さく頷く。再び渾身のストレートを投げ込んだ。
しかし、相手打者はタイミングを計っていたのか、鋭いスイング。
カキーン!
金属音が球場に響き渡り、ボールは三塁線の外へファウル。友生は呼吸を整え、ミットを構える裕生の表情を見る。相変わらず落ち着いた目で、次のサインを送ってきた。迷いなく頷き、3球目を投げ込む。
腕の振りはストレートと同じ。だが、球速がふっと落ちる。
チェンジアップ。内角低めに沈み込んだボールに、打者は完全にタイミングを外されて棒立ちのまま。
「ストライク、バッターアウト!」
審判の声に、思わずガッツポーズが出る。
三球三振。友生は、公式戦初打者を完璧に打ち取った。応援席から、地鳴りのような歓声が沸き上がる。ボール回しの行方を見つめ、サードの小林からボールが戻ってきた。
「ワンアウトー! 球走ってるぞ!」
ファーストの飯田が声をかけてくる。視線を向け、指を一本立てて返す。
続く2人目。力強いストレートでテンポよく追い込み、最後は詰まらせてセカンドゴロ。
二者連続アウト。球場のボルテージがさらに上がっていく。
3人目のバッター。インコースへの速球でのけぞらせ、カウントは2ボール2ストライク。そして、サインに頷いて投じたのは外角高めのストレート。
打者のバットは空を切り、ミットに収まったボールが鋭く弾ける音を立てる。
バシッ!
「ストライク、バッターアウト!」
三者凡退。完璧な公式戦デビュー。
ベンチに戻ると、仲間たちがハイタッチで迎えてくれた。
「ナイスピッチ! 友生!」
飯田が満面の笑みで肩を叩いてくる。裕生も、静かに頷いていた。
水筒を手に取り、一口含む。手が細かく震えていることに気づいた。
「どうした、まだ緊張してるのか?」
隣でバッティンググローブを締めながら、小高が尋ねてくる。
「いや、多分……武者震いってやつかな。まだ、自分がちゃんと投げ切ったって実感が湧かなくて」
答えると、小高がふっと笑った。
「とりあえず今日は完璧だった。これからも頼りにしてるぜ」
そう言い残して、ネクストバッターズサークルへ向かっていった。その直後、監督が友生に声をかけてきた。
「友生、初マウンドお疲れさん。今日はここまでだ。今の感覚を忘れるなよ。次も期待してる」
「はい!」
監督がブルペンに目をやる。
「秋本に伝えてくれ。次の回から行かせるぞ」
友生がアイシングを装着し終えるころ、東海西の攻撃が終わる。
「こんな展開で投げても、やる気出ねーよ」
欠伸をしながら、だるそうに秋本が歩き出す。その姿がマウンドに映った瞬間、球場全体がざわめいた。茶髪のピッチャー……高校野球ではあまりに異質な存在が、堂々とマウンドに立つ。
投球練習を終え、バッターに対する初球。目にも止まらぬ唸るようなストレート。
ドンッ!
乾いた音とともに、打者はバットを振ることもできず仰け反る。
「なんだ今の球!?」
「プロかよ、あれ!」
スタンドのあちこちから驚きの声が漏れる。秋本もまた、友生と同じくストレートとチェンジアップを操る投手だ。だがそのストレートは、150キロを超える。友生から見れば、まさに上位互換。自分が教えたチェンジアップとの緩急も相まって、秋本のピッチングは圧巻だった。あれが、本物の才能か……。マウンドを見つめながら、友生は無意識に拳を握っていた。三振を重ねながら、相手打線を圧倒していく。練習試合で見せたその力は、公式戦でも健在だった。
東海西の攻撃は止まらず、加点を続ける。
そして試合は、7回コールド。14対0で勝利を収めた。試合終了のサイレンが鳴り響く。選手たちは互いに手を叩き合い、健闘を称えた。
スコアボードの「14-0」の数字を見上げながら、友生は胸の奥からこみ上げてくる熱を感じていた。公式戦初登板、1回無失点。そして、勝利への貢献。
「友生、ナイスピッチだったな。お前、本当に良くなったな」
裕生が肩を抱いて顔を覗き込んでくる。その言葉に、友生は照れくさく笑った。
「裕生のおかげだよ。それに、みんなが声をかけてくれたから」
今日のマウンドは、決して一人で立てたものじゃない。
仲間たちの言葉と支えがあったからこそ、成し遂げられた。ベンチでは飯田と小高が談笑しながら荷物を片付けている。スタンドでは、清水が深々と頭を下げていた。それぞれの場所で、皆が勝利を喜んでいる。
友生の胸は、静かに、そして確かに熱くなっていた。
これは、ほんの小さな一歩かもしれない。
けれど、この一歩が、きっと、未来へとつながっていく。
もっと、もっとチームの力になりたい。
秋季大会もいよいよ佳境。準々決勝の相手は、攻守にバランスの取れた県立西条高校。序盤から緊迫した投手戦が続いた。この試合の先発は武藤。立ち上がりから140キロに迫るストレートをテンポよく投げ込むが、相手の粘り強い打撃と、好守に阻まれ、なかなかリズムに乗れない。しかし、味方の内野陣が武藤を支える。ショートの毛受が難しい打球を逆シングルでさばき、セカンド竹内は鋭いライナーを横っ飛びでキャッチ。ベンチで見ていた小高が、隣の友生に小声で言う。
「やっぱ守備が堅いと助かるな。今年も内野はマジでレベル高い。俺も負けてられないな」
友生は表情を変えずにうなずく。中盤、1点を先制した東海西は、6回裏、監督の指示で継投に入る。
「友生、肩作っとけ」
「はい!」
ブルペンへ向かう途中、小高が声をかける。
「出番だな。調子はどうよ?」
「悪くないよ。任せて。今日も三振、取るつもりで行くから」
小高が少し驚いたように笑う。
「最近の友生、本当に良い意味で図太くなったな」
ブルペンで体を温める間も、友生の中では落ち着きと高揚が入り混じっていた。そして7回、ついにマウンドへ。
裕生がマウンドまで来てミットで胸を小突く。
「自分の球、信じろよ」
その言葉にうなずくと、友生は先頭バッターに対して、インローいっぱいのストレートで見逃し三振。続く打者もチェンジアップで泳がせ、ゴロを打たせる。センターの位置から清水が「ナイスボール!」と声をかけてくれた。
その後飯田、秋本と継投し、最後のアウトを奪った瞬間、キャッチャーの裕生がさっとグラブを外し、軽くガッツポーズ。その後ろで、スタンドの応援席から大きな拍手が巻き起こった。結局この試合は4-0で勝利した。
閃光の遅球 @kaminaga_shiro
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