婚約破棄されたので彼に1億円渡しました

ameumino

婚約破棄されたので彼に1億円渡しました

「ごめん。やっぱり、結婚はできない」


冬の夕暮れ、東京タワーを見下ろすレストランの個室で、圭介はそう言った。


「……理由、聞いてもいい?」


私が静かに問うと、彼はワインのグラスを揺らしながら、少し視線を逸らした。


「お前、変わっちまったんだよ。なんつーか、怖いくらいに」


私は黙って頷いた。確かに私は変わった。大学を出てすぐ、会社勤めを辞め、IT事業を始めた。初めはカフェの片隅でノートパソコンを広げていた私の小さな企画は、三年後には社員20人の会社になり、年商3億を突破した。


私が夢を語れば語るほど、圭介は遠ざかっていった。彼は平凡な営業職で、夢よりも安定を求める人だった。


「そう……わかったわ。じゃあ、これで最後ね」


私は笑って席を立った。未練はなかった。ただ、心の奥に、静かな“種”が撒かれた。



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半年後、私は彼に1億円を振り込んだ。


「今までの付き合ってくれたお礼」と一言だけ添えて。


すぐに彼から電話がかかってきた。


「これ、本気か? どういうつもりだよ」


「そのままの意味よ。あなたの新しい人生に必要でしょう?」


「いや、だけど……一億って、普通の金額じゃないだろ……」


「あなたにとって普通じゃないのは、私も同じ。でもこれは“区切り”よ」


彼はしばらく沈黙したのち、「ありがとう」と呟いた。その声の奥には、困惑と高揚が混ざっていた。


それを聞いた瞬間、私は心の中で静かに呟いた。


——これでいい。さあ、始まるわ。



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圭介はすぐに仕事を辞め、自由を手に入れた。港区の高層マンションに引っ越し、輸入車を買い、ブランドで身を固め、SNSでは贅沢三昧の生活を発信し始めた。


「俺もついに“成功者”の仲間入りだ」


そう語っていた彼の投稿には、羨望と憧れのコメントが並んだ。けれど、それらは虚ろな泡だった。


金は、ただの燃料にすぎない。使い方を知らなければ、やがて燃え尽きる。


半年も経たぬうちに、彼は海外旅行にのめり込み、数百万円単位で浪費。ホステスとの豪遊……彼の金の使い道は、次第に常軌を逸していった。


ある共通の知人が、こっそり教えてくれた。


「圭介、もう半分以上使い切ってるってさ」


私はカフェでコーヒーを飲みながら、ただ頷いた。


——いいペースね。想定よりも早い。


彼の投稿は次第に減り、姿を消した。


その代わり、週刊誌に載るようになったのは「元インフルエンサー破産か?」「知人から借金?」という見出しだった。



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一年後、彼の残高は底をついた。


だが浪費癖は止まらなかった。生活水準を落とすことは、彼にとって“死”と同じだったのだ。


カードローンに手を出し、借金を重ね、銀行にも見放され、闇金にすがった。返済のために競馬やパチンコに手を染め、「逆転」を夢見た。オンラインカジノで数百万を一晩で溶かし、叫び声を上げてスマホを叩き壊したという話も聞いた。


ギャンブルで勝つには運と理性が必要だが、彼にはどちらもなかった。ただ、焦燥と逃避だけが残っていた。


最後に残ったのは、借金と習慣性。そして、己のプライドだけ。


彼は駅の構内で、酔ったサラリーマンの財布を盗もうとして逮捕された。防犯カメラにばっちり映っていたという。


警察の発表によると、所持金はわずか320円。逮捕時、彼は呆然としたまま取り調べにもほとんど応じなかったという。



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「元・富裕層SNSインフルエンサー、窃盗で逮捕」


ネットニュースのその見出しを見て、私は静かにスマホを閉じた。


あの一億円は、彼にとっての毒薬だった。


自分の力で手にしたわけでもない金に、彼は人格を奪われた。金が尽きても、習慣と欲望は残る。そのズレが彼を破滅に導いた。


私が仕掛けたのは、“与える復讐”だった。


奪うのではなく、与えることで彼を壊す。

その種は見事に芽吹き、花を咲かせた。


私の感情に同情も怒りもない。ただ、冷静な達成感があった。



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三年後。


私はシンガポールに移住し、現地法人を立ち上げていた。海外投資家からも注目され、会社は年商10億円を超えた。


社員も増え、現地の大学で起業支援セミナーの講師を頼まれるようになった。あの頃、東京の片隅で考えていた未来より、ずっと自由で、ずっと鮮やかだった。


ある日、あるインタビューで「復讐とは何か」と問われた。


私は微笑んで答えた。


「優しさの仮面を被った刃、でしょうか」


記者は意味がわからないように苦笑したが、それでいい。

私の復讐は、私だけが知っていれば十分だ。


夜、シンガポールの高層マンションのバルコニーから海を見下ろし、私はワイングラスを傾ける。


風が心地よい。


「圭介、あなたに与えた一億、使い切ってくれてありがとう」


私はそっと、目を閉じた。


——この静かな夜の海のように、私の心も穏やかだった。

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