年下の先輩の杞憂

 最近本社に異動してきた年上の後輩は、仕事ができる、容姿端麗、コミュニケーション能力抜群、優しい、声もいい等々、完璧すぎる人物像な人だった。

 この年上の後輩と出会ってからすでに一年が過ぎていた。

 その間に年上の後輩こと羽酉さんとは恋人になったり、私からしたら大きな出来事といえるほどのことが起こっていたわけで。

 それにだ。一年が経って、ようやく教育係も終わることが出来たのは嬉しい。けど、羽酉さんと離れるのが名残惜しくなってしまい、上司に異動の件は保留にしてくださいとお願いしたら、二つ返事で了承してくれたのと同時に俺が退職するまでいてくれと冗談交じりの言葉をもらったのはつい最近のことだった。

 公私混同はよくないのはわかっているものの、こればかりは仕方がない。私が羽酉さんの近くにいたかったのだ。

 羽酉さんの教育係という肩書きは消えたにしろ、何かあればいつでも聞いてきていいとは伝えてはある。他の人も、羽酉さんの人柄に我こそが教えてあげるとこぞって集まっているから大丈夫だろうけど……。

 羽酉さんは羽酉さんで、慣れているからそういう態度に満更でもなさそうだし。

 別に、仕事上の付き合いだし口を出すとかはしない。

 それはそれ、これはこれ。

 そこまで公私混同するつもりはない。が、羽酉さんについてどうしても気にかかることがあった。

 付き合う前から薄々感じていた違和感。羽酉さんは女の子に対してチャラい。なんなら、チャラすぎるくらいなのだ。

 男性に対してと女性に対しての扱いが全然違う。

 男性を蔑ろにするとかではないが、男性に対する態度が普通とするならば女性に対しては甘過ぎる。

 ふと話し声が聞こえるなと思えば、「今日も可愛いね」とか、「髪の毛のアレンジも素敵ですね」とか、「笑顔も素敵ですね」とやたら褒めまくっていた。

 噂に聞けば、何人かは羽酉さんのことを狙っているらしい。

 そりゃあそうなるよ。見た目も中身も素敵なら誰でも好きになるに決まってる。

 そんなことはわかっているし、わかりきっていることだけど。

 だけど……。

「…………やだな」

 束縛したいわけでもないし、行動を制限させたいわけじゃない。なにより、重たい、面倒臭いと思われたくない。

 そんなことで幻滅されたり嫌われる方がよっぽど嫌だし、それならこの出来事は見て見ぬふりをして自分の中に押し込めたままでいい。

 恋って厄介だなとつくづく思う。

 今も、他部署から書類を届けに来た綺麗で有名な芦名さんが羽酉さんに話しかけていて、羽酉さんは鼻の下が伸びてるんじゃないかというくらいデレデレだ。というより、二人が並んでいると様になる。

「…………はぁ」

 だめだだめだ。こんなことを考えてる場合ではない。

 そんなことより仕事をしなくては、と頭の中を切り替えていく。

 パソコンに向き合うと隣から困った様子の声が聞こえてきて、

 ちらりと横目で確認するとどうやら操作がうまいこといかないらしい。

「どうしたの?」

 見かねて隣のデスクの後輩に聞く。

「ここのやつ、何度やってもうまくいかなくて。他のをいれたらいれたで文字とかおかしくなってしまい……大橋さんどうやってやればいいのかわかりますか?」

「あー、うん。ごめんね。ちょっとマウス貸して」

 後輩からマウスを借りて、モニターを見ながら作業していく。

「これは、ここの所をクリックして、これね。ここから差し込んだ方が文字にも影響なく綺麗にできるよ」

「あ、あの、ありがとうございます」

「いいよ。なんかあったら遠慮なく聞いて」

 自分としては丁度よく気分も切り替えられ、残りの業務にとりかかった。

 そのことがあってからなのか、隣の後輩もわからないことを聞いてくれるようになり、それを私も教えながら自分のもしながらと作業を進めていく。

 ただ、この時の後輩とのやり取りを遠くから見られているなんてこの時の私には知る由もなかった。

「はぁー、終わった。残業一時間かぁ。頑張った。偉いぞ自分」

 さてと、とロッカーを出てエントランスを抜けて外に出ると、春を過ぎても流石にまだ夜は冷えていて、寒さに少しだけ身体を震わせてしまう。

「はぁ、帰ろ」

 明日は休みだ。一人鍋でもして、シメはうどんかラーメンにでもしよう。

 そうと決まれば、とりあえずスーパーに寄って帰ろう決め、スーパーに寄るとお腹が空いていた影響であれもこれもとどんどんとかごに放り込んでいく。

「やっば、買いすぎたかも」

 両手に荷物を持ちながら家までの道のりを歩いていく。

 お菓子もたくさん買ったし、明日は家でゲームをしたり映画でも見たりしてもいいな、なんて明日以降の予定も考える。

 本当は、羽酉さんに逢いたい。けど約束なんてものはしてない。

 昼間、食堂に行った時に聞いてしまったのだ。芦名さんが、羽酉さんを映画に誘っていた。周りには他の後輩もいたし、なんならみんなで行くみたいになってたから二人きりではないはずだけど……。

「私なんかでいいのかな……」

 羽酉さんは、本当に私なんかを好きなんだろうか。もっといい人がいるんじゃないかと考えてしまう。

 そんなことを考えていると深みにはまっていってしまうし、なんならすでに気分は落ちている。

 行かないで、とも言えない。以前のままだったら、私が羽酉さんに相手すらしてもらえなかったかもしれないけど、今は一応恋人なんだ。

 みんなに比べれば少し多めに相手してもらえるもんね、と誰に言うまでもなく自分に言い聞かせながら人通りの少なくなった道を歩いて家路に着く。

「ただいまー」

 玄関の電気をつけて、誰もいない部屋にいつも通りに挨拶をするが……。

「おかえりなさい」

 靴を脱いでいると、普段なら聞こえないはずの声と返事に驚いて顔をあげた。

「えっ……? なんでいるの?」

「ふふっ、まずは家の中に入ってからお話しましょ」

「あっ、はい」

 家の中に羽酉さんがいた。

 いつでも来ていいように合鍵は渡してあるし、羽酉さんのも貰っている。

 けど、私がいない時に使ったのは今日が初めてだと思う。

 手洗いうがいを済ませて、買ってきたものは玄関先で奪い取られ冷蔵庫とかにしまってくれていた。

「ありがとう」

「どういたしまして。それより、ご飯勝手に作っちゃったけど食べてくれる?」

「うん。食べる」

 いい匂いがするなと思って机の方を見ると、そこにはお味噌汁、茶碗蒸し、だし巻き玉子、鱈の西京漬けともう一個は……。

「イカの西京漬け」

「イカの? 美味しそう」

 美味しいのよ、とご飯をお茶碗によそって渡される。

 こたつテーブルを二人で囲み、「いただきます」と食べ始めていった。

「イカ、柔らかくて美味しい。これ美味しいね」

 イカの西京漬けが美味しくて、羽酉さんに伝えながら食べてしまう。

「わかったから、ゆっくり食べてね」

 喜ぶ私に羽酉さんは優しく微笑んでくれていた。

 いつもは嬉しいはずなのに、今日はその表情がなんだか駄目な気がしたというより、うまく顔が見れなかった。

 さっきまで考えていたことが脳裏をかすめていく。

「……うん」

 なるべく視線を合わせないように食事を進めていく。

「どうしたの? 今日はあまり目を合わせてくれないのね」

 ..……やっぱりバレた。羽酉さん、こういうの意外とじゃないけど目敏いんだよね。

「そんなことないと思うけど、気のせいじゃない?」

 ここでは目を合わせて笑顔をつくる。

 これで大丈夫だろう。

「ふぅん。私に嘘をつくのね」

 冷たい声音に自分の中で緊張がはしった。

 羽酉さんの表情は笑っていても、目が笑っていなかったのだ。

 んぐっと、口の中のものを勢いよく飲み込む。

「お、怒ってるの?」

「なんでそう思うの?」

「いや、だって、なんか声が……」

「怒ってないわよ。ご馳走様でした」

 空気が一気に悪くなってしまった。私のせいだ。だけど、さっきまで考えていたことを羽酉さんに言うのは気が引ける。

 そもそもなんて伝えるべきなのか。

 羽酉さんが他の人といるだけでもやもやした気分になる、なんて言えるわけがない。

 こんなことを言って嫌われたくないのに、一体どうしたらいいのか。さっきまで美味しかったはずのご飯も、味がわからなくなってしまった。

 どうしたらいいかなんてわかんないよ……。

「ちょっと、綾ちゃん?」

 洗い物をしている、羽酉さんの背中に抱きつく。

 黙ったままいると、水を止めて手を拭いてから私の手に重ねてくれた。

「このままじゃわからないから。ね? ちょっとだけ離して?」

 羽酉さんに言われた通り、少し腕の力を緩めると身体を反転させて、私と向き合うよう形になった。

 顔を見られる前にまた抱きつく。

「もう、なんで泣いてるのよ」

 羽酉さんが優しく背中や頭を撫でてくれている。声も優しくて、抱き締めてくれる力も優しい。

 この人はなんで私なんかにもこんなに優しいんだろうか。

「羽酉さんはさ、私よりももっといい人がいるよ」

 私の言葉に羽酉さんの手が止まった。

「どうしてそう思うの?」

「だって……よく羽酉さんがいいなって話聞くし、他の部署からも声かけられてるし。芦名さんだって羽酉さんのことが好きみたいだし。芦名さん……綺麗だし素敵な人だって聞いたよ。それに今日も二人でいるところが様になってた……。私なんかよりよっぽどお似合いだと思う」

 言いながら胸の奥の方が痛くて苦しくなってくる。

「そんな顔して……」

 両手でグイッと顔を上げられた。

 羽酉さんの目が優しくて、愛おしそうに私を見てくれている。

 泣き顔なんてブサイクにもほどがあるのに、見られたくないのに涙は止まらなくて。んぐっ、ふぐっ、と嗚咽まで出てしまっているのだ。

「綾ちゃんは可愛いね。嫉妬してくれたんだ」

 聞きなれない言葉に一瞬思考が止まった。それと同時に涙も止まった。

「しっ……と?」

「えっ、もしかしてわかってなかったの? なにそれ、可愛すぎる。無意識すぎるから気をつけてね、って前にも言ったと思うけど。それに、綾ちゃんも人のこと言ってるけど自分もだからね。今日なんて隣の子とも距離が近かったし、あのあと大橋さんって「カッコよくて、優しくて、いい匂いもするし、好きになっちゃうかも」なんて言ってたし。今回だけじゃなくて、他にも色々してるみたいじゃない。色々な子から、大橋さんともっと仲良くなりたいとか聞くのよ。最近特に。あと、日に日にそういう子が増えてくるしで、こっちも防ぎようがなくなるのに。あんまりカッコいいとことか他の人に見せないでほしいんだけど。あと可愛いところは特に見せないでほしい」

 …………急に早口でたくさん話すじゃん。

「ねぇ、聞いてる?」

「あっ、うん。……なんか、憂ちゃんも嫉妬してるみたいだね」

「みたいだねじゃなくて、してるのよ」

 驚いてしまった。私の表情を見て、羽酉さんは困ったような表情で笑いながら「閉じ込めておきたいって言ったのは本当なのよ」と呟いた声が少しだけ震えていた気がした。

「………………」

 あぁ、そっか。私だけじゃなかったんだ。

「泣いてたと思ったら、なんでにこにこしてるのよ」

 両頬を横に引っ張られる。

「い゙だい゙ぃぃぃぃ」

 ふひひ、と笑いながら抱き締めると抱き締め返してくれる。それだけで、さっきまで落ち込んでいたのが嘘のようだ。

 その後、落ち着いてお茶を啜りながら話すことはさっきのことで。

「憂ちゃんは、芦名さんとかに狙われてるんだから、私なんかよりももっと気をつけてね。私だって、あの……そのさ、閉じ込めておきたいくらい……その想ってるんだから」

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 羽酉さんが盛大に溜め息を吐いた。

「芦名さんは、私じゃなくて綾ちゃんを狙ってるのよ」

「へぇっ?」

「なんか、前に故障したパソコン直してもらったり、プリンターのトナーを汚れも気にせず変えてくれたり、他もさり気無く助けてくれるところが男性社員よりカッコいいし、かわいいから綾ちゃんともっと仲良くなりたいって言われて。明日の映画にも誘ってくれってしつこかったから断ったのよ。他の子には悪いけど、芦名さんのこと好きな子達に行ってもらうことになったから。綾ちゃんは無自覚すぎるんだから気をつけてよね」

 あと、と言われた言葉に続いたのは。

「ごめんなさい。綾ちゃん本当は行きたかったかもしれなかったのに勝手に断ってしまって……」

 急にしおらしくなるじゃん。

 さっきまでの威勢はどこいったのか。

 …………まったく。可愛いのは羽酉さんもなんだよね。

「ううん。週末は憂ちゃんと過ごしたいなって思ってたから気にしなくていいよ」

 それは本当だ。迷惑かと思って言えなかっただけで、一緒に過ごしたいと思っていたのは本心だった。

 しょんぼりしている羽酉さんの頭を撫でてあげると、少し照れながらも急に真顔になってドキリとしてしまった。

「もっと、思ってることや不安なことは伝えてほしいの。私がいないところで綾ちゃんが泣いてるのだけは嫌。それに、綾ちゃんのこと本当に好きだから。わかってくれてる?」

「……うん。それは、はい。……私も好きです。思ったことを口にするのはすぐには難しいけど、なんとか頑張るから憂ちゃんも伝えてね」

 それじゃあ駄目かな、とちらりと羽酉さんを見ると頭を抱えていた。

「ねぇ、可愛すぎるんだって。上目遣いとか、他の人には絶対にしないでね。本当に、どうしたら自覚してくれるの? もう、我慢するこっちの身にもなってほしいわよ」

 可愛すぎて怒られてる状況ってなんだろ。初めてすぎて面白くて笑ってしまう。

「憂ちゃんにだけだよ。憂ちゃんに可愛いって思ってもらいたいから。それに、ねっ、我慢しなくても……いいよ?」

 羽酉さんの手を握って、指先にそっと唇で触れた。

「ねぇ……そこじゃなくてこっちにはくれないの?」

 ちょんちょんと指定されたところを見ると、なにやら不満げな表情。

「だめー」

 笑いながら羽酉さんから距離をとる。

「ちょっと、なんでよ」

 ちょっとだけ拗ねてしまった羽酉さんに近づいて、耳元で「続きはまたあとでね」と囁くと同時に顔を両手で覆ってしまった。

「憂ちゃんも仕事中に、私のことを見ちゃうくらい好きなんだね」

 いつものお返しにからかい返すが、急にぐいっと腕を掴まれてそのまま腕の中へ。

「あんまり調子に乗る子にはおしおきね」

 やっば、しくった……。

 調子に乗りました、と思わず謝ろうと口を開いたが思いとどまることに。

「不安にさせたぶん……その、責任とってね」

「あたりまえよ。そっちもだからね」

 抱き締められながらも、週末に備えてたくさん買い込んでおいてよかったなと頭の片隅でふと思い口角が自然と上がっていく。

 今夜は長くなりそうだ。



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