第8話 見廻り

「いるな。じゃあ見廻ろうか。」

 提灯のほのかな光に照らされた。

「うん。」

 夜中。旅館ここには月々に夜廻よまわりを担当するルールがある。夜廻とは旅館を巡回することだ。

「…………。」

 ギシ

 木の床が鳴る。っ暗い廊下なんていつも見ないから、なんだか妖怪でも出てきそうだ。

「おい、雑用。お前はあっちを。私はこっちの廊下を見てくるから。」

「……?ちょうちん……いいの?」

「あぁ。お前は鈍臭いから、今どこにいるかも分からないだろ。」

 二手に分かれた。

「……。」

 何も無い、普通の廊下。月明かりが四辺あたりを照らす。

 月が出ていてよかった。暗いと何も見えないから。

「…………、」

 ふと月を見上げた。今日は上弦の月だった。

 月に行くと何かあるのだろうか。ウサギがもてなしてくれるのか。そういえば、天文学の奴が宇宙がどうとかこうとか言ってたな。

「……己れはいつか月に行けるだろうか。」

 この世から消え去りたい。己れが消えたって世界は変わらぬだろう。なんの変哲もない日常が訪れるだろう。

「…………。」

 角を曲がった。

「………り、…だまり、」

「……っ!!?!」

 背中に蟻が登って行く。幽靈ゆうれいだ。あれは小供の靈がボソボソと何か言っている。

 雑用、雑用、どこにいる……!

「あれ、仲介。」

「……!雑用、あぁ、あぁ……、」

 幼い顔立ちを見て安心した。ほっと胸を撫で下ろす。

「そっちは異常無しか。」

「うん。なんにもなかった。」

「そうかそうか。」

 次は縁側だ。

「…………。」

 夜風が氣持ちよい。首筋を通った汗に風が吹く。

 ワンっワンっ

いぬか……。」

 さっきの幽靈より怖くない。怖くない怖くない。

「…………?」

 待てよ。なんでこいつと夜廻をしてるんだ?

「……どうしたの?」

 雑用の顔を見てため息をついた。

「……?」

「なにも。」

 また二人で歩いた。

「…………。」

 虫の音が耳元で囁く。惡くない。

「仲介、」

「なんだ。」

 雑用を見下ろす。ちょうちんの位置にいるからか、くっきりと輪郭が見えた。

「仲介はなんでご飯、食べないの。」

「…………。」

 仲介が黙った。それ以上でも以下でもない。

「なんで。」

「お前はなんでだと思う。」

「僕は、」

 そよ風が頬を撫でる。

「僕は仲介が、」

 仲介を見上げた。仲介は長い廊下の先を遠く見ていた。

「生き……、好き嫌いしてるからでしょう。」

「……違う。」

 仲介は多分眉を八の字に曲げているだろう。

「じゃあなんで。」

「…………。」

「なんで。」

 袖をひっぱられる。小さい刀。すぐ解けて、崩れるくらいの力。

「なんでよ。」

 そんな目で見るな。己れがみじめになるだろう。

「さぁ。」

「長に言うから。」

「言えばいいとも。」

 次は長に夜廻の報告だ。長の部屋へ行こう。

「くははっ!」

 襖の外から声をかけようとしたら、中から豪快な声が聞こえた。

「長。夜廻の報告です。」

「――、―、入ってこい。」

 いつもの言葉だけが耳に入った。

「失礼します。」

「やぁ。」

 にぱっと長の八重歯が見えた。

 一人の部屋なのにすごく奥行きがある。それなのに、かなり質素な造りだ。

「報告にまいりました。」

「…………。」

 狐顔でこちらを笑って見た。寝酒をしているようだった。

「廊下、縁側。それぞれ異常無しです。」

「おぉ。そうか。ご苦労さん。」

 長の赫い舌がチラリと見える。

「仲介。一緒にどうか。」

 おちょこをチィっと上げて「どうだ?」っと首を傾げる。雑用には目もくれない。

「……呑みたいのは山山なのですが、私、寝不足なもので……。」

「……。そうかそうか。残念だ。また呑もうじゃないか。」

「えぇ。」

 すると長は奥の方へと向いた。首の一筋が、着物の襟からチラッと見える。

「無薬、なんか言ったらどうじゃ。仲介らは氣付いとらんぞ。」

「……いい。」

「……!?」

 びっくりした。いたなんて。相変わらず存在感の薄い奴だ。

「無薬さん。前はありがとう。お蔭で風邪治りました。」

「…………。」

 無薬は何も言わない。長は机の向こうでうんうん頷いている。

「なに、仲介。」

「何も。」

 こいつ、私には敬語使わないくせに、無薬にはさん付けだって?腹が立つ。

――――――

「あ゙ぁーっ……!終わった終わった。」

「何もなくてよかったね。」

「……、そうだな。」

 こいつは第一に旅館の安全を考えているのか。眞面目な奴だ。早く戻ってたい。

「……まり、…だまり、」

「………ひっ!!」

 とっさの判断で何かにしがみつく。

「何この声。」

「さっきの奴だ……!幽靈だ……!」

「近付いてくるよ。」

「…だまり、…だまり、」

「黙れと言うとる……!黙れ、雑用。」

「仲介も黙ってよ。」

 雑用は肩に掴まっている仲介を見上げ、仲介は蒼ざめた顔で雑用を覗き込む。

 

「「………来る!」」

 

「あれ、何してるんですか?」

「……え、」

「ほら違うじゃん。幽靈じゃない。」

 幽靈の正体は転んだ雑用だった。

「なんだ……雑用か。」

 仲介が雑用と言って心なしか、僕は嫌になった。

「なんで"黙り"なんて言ってたの?」

「黙り……。あぁ、はは。黙りではなく"陽だまり"ですね。」

「「陽だまり?」」

 もう眠気なんて吹っ飛んだ。

「そう陽だまり。陽だまり♩陽だまり♩」

「なんだぁ?その唄は。もう良しとくれ。」

「自作ですよ。陽だまり♩陽だまり♩」

「やめろやめろ!夢にでてくるわ。」

「ふふっ。出できましょうか。」

「嫌じゃ。嫌じゃ。」

「仲介、」

 雑用が私の袖を引っ張った。

「……?なんだ?」

「もうよう。」

「あぁ。そうだな。こんな奴ほっとこう。」

「あぁ、もう就寢なさいに?わたくしもご一緒したいですね。」

「なんでよ。」

 雑用が迷惑そうに眉をひそめる。

「いいじゃありませんか。一緒の部屋でしょう?」

「…………知らない。」

「あぁ。待ってくださいまし。」

「お前ら仲良くしろ。」

 幽靈じゃなくて安心した。今日は良く眠れそうだ。

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