解放
昨日のリコからのメッセージは、『晴原先輩がバイトしてるお店の情報を手に入れた』というものだった。晴原の大学は、城翠学園の最寄り駅から三駅目にある有名私立大学だ。彼がバイトしている店は、その駅の近くに最近できた猫カフェだ。
昨日の放課後、咲希はリコといっしょにそこを訪れた。しかし、スタッフの中に晴原を見つけることはできなかった。間違いだったのかな、とリコがしゅんとした頃、奥で作業をしていたらしい晴原がドアを開けて入ってきた。
城翠学園の制服を着た二人を見て、晴原はすぐに話しかけてきた。太陽のような明るい笑顔に見とれているうちに、リコがオカ研の名前を出した。晴原の表情が一瞬曇るのがわかった。
「サキちゃんは、タロット占いが得意なんです。オカ研最強の占い師なんですよ」
「タロットか。俺も昔やってたよ」
「今は、やってないんですか?」
咲希の問いかけに、晴原は「忙しいからね」と眉尻を下げて答えた。
「オカ研にいた頃は、後輩に教えてたんだ。すごく筋がいい奴で、一週間で全部のカードの意味を覚えちゃったんだよ」
「そんな方がいたんですか?」
ミオの名前を引き出そうと、あえてわからないふりをして尋ねる。
「ああ。今もやってるかどうか、わからないけどね」
伏せられたまつげには、悲しみが重くのしかかっているように見えた。そのとき、他のスタッフが晴原を呼んだ。
「行かなきゃ。楽しんでいってね。あそこにいるシンガプーラのレミちゃん、人なつっこいよ」
「あの、すみません。ひとつ、いいですか」
咲希は晴原を呼び止め、「タロットをうまく使えるようになるためのアドバイスをください」と頼んだ。晴原はにこやかに笑って答えてくれた。
「タロットカードは物語だ。大アルカナの世界から一歩進めば、また愚者に戻る。人生はこの繰り返しだ。ひとつのカードが出ても、それで終わりじゃない。必ずその先がある。そう考えれば、どんなカードが出ても怖くないよ」
なるほど、と咲希はうなずいた。
「21たす1は、ゼロってことですね」
晴原が目を見開いた。やがて目を細めると、「そうだね」と穏やかに微笑んだ。
――内面から外へ。
土屋を占ったときにふと頭をよぎった、大アルカナの物語。愚者の冒険におけるその成長過程は、今思えば咲希に気づきを促すためのメッセージだったのかもしれない。自分の内側ではなく、外に目を向けること。自分の感情や思考ではなく、外の世界をまっさらな目でよく見ること。
それが、ミオへの占いを完成させるための最後の鍵となったのだ。
レジの後ろにあったシフト表によれば、晴原は今日もあの店にいるはずだ。
部室を出てから黙ったままだったミオは、二駅目を過ぎたところで口を開いた。
「ずっと、調べていたのか。晴原先輩と、俺のことを」
「晴原先輩……というか、ミオ先輩のことが知りたかったんです」
咲希の言葉に、ミオが怪訝そうな表情になった。
「ミオ先輩は、タロットに詳しいです。先輩の言葉からは、タロットへの愛が感じられました。なのにどうしてやめてしまったんだろう。何があったんだろう。もう一度タロット占いをしてもらうためには、どうすればいいんだろうって」
オカ研を存続させる、オカ研に入部するという当初の目的が、いつの間にか変化していた。ミオともっとタロット占いの話がしたい。ミオの占いが見たい。教えてもらいたい。ミオのそばにいて、タロット以外にもミオのことをもっと知りたい。
そんなおりに、晴原との間にあった事の顛末を知った。晴原が持っていたミオのタロットカードが「悪魔」であると知ったとき、咲希は自分がミオに重なったような気がした。自分の、ミオに対する気持ち。それはきっと、ミオが「悪魔」を使って晴原に伝えようとした気持ちと同じなんじゃないだろうか。
恋、と名づけるにはあまりに性急すぎるし、どうも違う気がした。「恋人」のカードに描かれている「恋」は、雲のようにふわふわしていて軽い。自分の中にある気持ちは、そんなものじゃない。体の芯のほうで熱くうずいている、魂そのものの叫びのような感情。カップというよりワンドの性質に近いそれは、咲希の中でどんどん大きくなっていった。
「私は、入部とか関係なく、ミオ先輩の運命を変えたいって思ったんです。止まったままの運命を、動かしたいって」
そう言った途端、車内アナウンスが次の駅名を告げた。ミオは「そうか」と小さくつぶやく。
「店に着いたら、その……悪いが、帰ってもらえないだろうか」
ミオの遠慮がちな声に、咲希はすぐさまうなずいた。
「はい。最初から、そのつもりです」
電車を降り、猫カフェのあるビルに向かって歩く。ちらほら学生とすれ違うが、城翠学園の生徒はさすがに見かけなかった。
「……占いは、まだ終わっていないよな」
ミオの言葉に、え、と声が出る。
「占い師が一方的に結果を告げるだけでは、占いとは言えない。それを受けた相談者の言葉を聞いて、必要があればさらに占う。それが、いい占いだ」
「はい」
「ひとまず、これだけ伝えておく。『悪魔』のカードを晴原先輩に見せたとき、俺はただ、『晴原先輩への自分の気持ちを占ったらこれが出た』としか言わなかった。先輩は、こう答えた。『おまえの気持ちには気づいていた。どうにかしようと悩んだが、俺では無理だった。すまない』と」
(ミオ先輩の、気持ち……)
告白の返事だとしたら、拒絶にしか聞こえない言葉。しかし、「悪魔」の逆位置の意味に対しての言葉だったらどうなるだろう。
関係を断ちきる。支配から抜け出す。
晴原が、もしミオからのメッセージをそう受け取っていたとしたら。
「晴原先輩の言った『おまえの気持ち』が、俺が伝えようとした思いとは別のものだったなら……俺は……」
だんだん小さくなる声とともに、ミオの顔も下を向く。
「今からでも、遅くないです」
ミオの隣にぴったりと寄り添い、告げる。通りの先に、猫カフェの看板が見えた。
「先輩の気持ちは、あの『悪魔』のカードに閉じ込められたままなんですよ。出してあげてください。解放してあげてください」
ミオが顔を上げて咲希を見た。
「……そうだな。やり直す、べきだな」
ビルの前で立ち止まり、咲希とミオはしばらく互いの顔を見つめ合った。
「あそこです」
階段で二階に上がり、猫のイラストが描かれた看板を指差す。その奥にガラス扉があり、ピンク色の受け付けカウンターが見えた。
「それじゃあ私、行きますね」
「いや、待ってくれ」
ミオが咲希の袖を掴んだ。
「その……ああいう店に入ったことがないし、一人で入るのは勇気がいる。やっぱり、いっしょに行ってくれないか」
そうして、咲希の目をのぞき込むように見つめる。
「見届けてほしい。占いの結果を、最後まで」
前髪の下の目に、小さな光が見えた。最初は真っ黒で意思の感じられなかった瞳が、思いを持って咲希に訴えかけている。
「わかりました。行きましょう」
咲希の言葉に、ミオは花が咲くように口元をほころばせた。
「よかった。ありが……」
はっと、ミオが咲希の背後を見た。微笑みが解け、表情が凍りついたように固まる。
「――あれ。昨日の……」
振り返った咲希が見たのは、ロングトレンチコートを羽織った背の高い男性だった。
「晴原、先輩……」
ミオの声だった。晴原は目を見開くと、まばたきもせずじっとミオを見つめた。
「ミオ」
驚きと懐かしさと、わずかな恐怖のにじむ声だった。階段からドアまでの狭い空間を、沈黙が支配する。
「えっと……バイト、これからなんですか」
笑顔を貼りつけて咲希が尋ねると、晴原は「いや」と首を振った。
「さっき終わったんだけど、忘れ物したから。二人は、これから入るところ?」
伺うようにミオを見るが、晴原を見て固まったままだ。
「そのつもりだったんですけど……」
「そうか。ゆっくりしていってよ」
穏やかな声で言うと、晴原は二人の横を通り抜けてドアを開けた。
「あの、晴原先輩」
麻痺が解けたように、ミオが晴原に向き直る。
「先輩と、話したくて来ました。この後、お時間ありますか」
初めて聞くミオの敬語は、少年のような頼りなさを含んでいた。晴原はドアを閉めると、
「うん。いいよ」
と口元だけで微笑んだ。
近くの喫茶店に場所を移し、咲希はミオの隣に遠慮がちに腰かけた。向かいに座った晴原は、「びっくりしたよ」とおしぼりで手を拭きながら言った。
「まさか、ミオを連れてきてくれるとは思ってなかったな。二人は、オカ研の先輩と後輩なんだよね。俺が作った部がこうやってまだ続いてるの、すごくうれしいよ」
笑顔ではあったが、その声音はどこか表面的だった。すると、
「成沢」
ミオが咲希に顔を向ける。
「カード、持ってるか」
「はい」
カバンの中から、タロットカードのケースを取り出す。それを見た瞬間、晴原の表情がこわばった。ミオはケースを開け、一枚ずつずらしながら絵柄を確かめている。
「なんだ? 占い、してくれるのかな」
笑いながら言った晴原に、ミオは真剣な顔で「はい」と答えた。視線は、カードの束に落としたままだ。
「ただし、占うのは晴原先輩ではなく、俺です」
言いながら、ミオは一枚のカードを取り出した。親指と人差し指でつまんで持ち上げると、絵柄のほうを晴原に向ける。
「これが、俺の先輩への気持ちでした」
「悪魔」の正位置。晴原は射るような目つきでそのカードを見た。次いで、唇を震わせてミオに顔を向ける。
「それ……」
「晴原先輩は、俺にとってこの『悪魔』のような人でした。どれだけ冷たくあしらっても、あなたは俺にしつこくつきまとってきた。とうとう捕まえられて、オカ研というオリに閉じ込められた。ひどい人だと思いました」
晴原の眉間に薄いシワが寄る。「でも」とミオは続けた。
「それでよかった。捕まってさえいれば、俺は一人にならずにすみました。捕まっているふりさえすれば、自分から望んでそこにいるわけじゃないという姿勢を保てました」
晴原は唇を薄く開けたままミオを見つめている。
「俺は昔からずっと、人が怖かったんです。親しくなっても、みんな必ず離れていく。それが怖かった。だけど先輩は違った。ぐいぐい俺のほうに寄ってきて、俺が何を言ってもニコニコ受け入れてくれて、絶対に俺を置いていかなかった。『師匠と弟子』と呼ばれるようになって、すごくうれしかった。俺は先輩の弟子で、先輩の特別な存在なんだと思えたから。だから、離れるのが怖かった。ずっといっしょにいたかった。俺はずっと、先輩に捕まっていたかった」
ミオは「悪魔」のカードをテーブルに置いた。晴原から見て、正位置になるように。
「でも、それを直接口で伝える勇気がなかった。だから、このカードで……なんとか、思いを伝えようとしたんです」
ふっ、と晴原が笑いとも嘆きともつかない息を吐いた。
「嘘、だろ。だってそれじゃあ、全然……逆じゃないか」
テーブルに肘をつき、その手で額を押さえる。
「俺は、ミオに嫌われていると思ってた」
ミオは口を閉じたまま表情を変えなかった。
「ミオは『弟子』と呼ばれて、俺よりも占いの実力が下だとみんなには思われてた。直感で占って、聞こえのいい言葉を並べるだけの俺より、相手の心の奥底まで見通すようなミオの占いのほうがずっとずっと上だったのに。ミオはこの師弟関係が不満で、俺の存在をけむたく思っているんだと思ってた。だから『悪魔』の逆位置を見てすぐに、現状を断ち切りたいという決別宣言だと思った」
「違います。逆です」
ミオが首を振って言う。
「俺はすぐに逃げ出せるゆるい鎖に、いつまでもしがみついていたかったんです」
咲希はミオの横顔を見た。晴原にまっすぐに向けられた瞳と白い鼻筋。ミオの中に隠されていた「真実」を、自分は今至近距離で目撃している。彼自身が「誰にも見せたくない」と語った、秘めた思いを。
「……俺は、カードを読み間違えてしまったんだな。それも、絶対に間違っちゃいけない場面で」
額から手を離し、晴原が顔を上げる。
「呪いの噂のとき、入院していたせいでおまえを守ってやれなかった。後で聞いて驚いたよ。噂の大本は、俺のクラスメイトだった。ミオの占いできついことを言われたのを根に持っていたんだろう」
すまなかった、と目を伏せた晴原に、ミオは再び首を振った。
「いえ、全部俺のせいです。俺のせいで、タロットが呪いの道具扱いされてしまった。先輩の顔に泥を塗ったのと同じだと、先輩との大事な思い出を自分の弱さのせいで汚してしまったと、ずっと悔やんでいました」
「俺のほうこそ、弟子のフォローもできないだめな師匠……いや、最初から師匠でもなんでもなかったな」
「そんなことないです。晴原先輩は、昔も今も、俺のただひとりのタロットの師匠です」
言われて、晴原は照れるように目を細めた。
「ありがとう。でも、俺がちゃんとタロットの勉強をし始めたのは、ミオに出会ってからだ。ミオがたくさん質問してくるから答えられないとみっともないし、何より追い越されそうで焦っていたしな」
意外な言葉だったのか、ミオは驚いたように口を開けた。
「そう、だったんですか」
「ああ。ミオのおかげで俺は成長できたし、タロットのことをもっと好きになれた。おまえは俺の大事な後輩で、親友で、ただひとりの弟子――いや、弟分だ」
笑顔で言った晴原を、ミオはうるんだ瞳で見つめていた。その目が、うれしいような、悲しいような笑みによって細められる。
「これからも、たまに会ってもらえますか」
少し震えたその声に、晴原は大きくうなずいた。
「もちろん。タロットもまたいっしょにやろう。俺とおまえを結びつけてくれた大事なものだしな」
「ええ。こうしてまた会って話ができたのも、タロットの――後輩のおかげです」
そう言って優しい目を向けてきたミオに、咲希の心臓が跳ねた。初めて見るミオの穏やかな表情と、別人かと疑ってしまうほどの素直な言葉。
――これが、本当のミオ先輩なんだろうか。おそらく晴原先輩の前だけで見せる、このどこか頼りない少年のような表情をする彼が。
いつの間にか運ばれてきていたコーヒーや紅茶をそれぞれ手に取り、そのあたたかさに心をほぐす。
「いい後輩ができたな。今度は、ミオが教える番だぞ」
「そうですね」
え、と咲希は飲みかけた紅茶のカップをソーサーに置いた。
「あの、先輩。それじゃあ、オカ研は……」
期待のまなざしとともにミオを見る。「ああ」とミオはコーヒーをすすった。
「廃部にはならないし、入部も認めよう。人の運命を変える、見事な占いだった」
そう言ってすぐにまたカップに口をつけた。うれしさが胸に広がる前に、咲希は身を乗り出して言う。
「ミオ先輩は? ミオ先輩も、残ってくださるんですか?」
カップを口から離すと、ミオはふうっと細く息をついた。
「当然だ。晴原先輩の作った大事な部を、一年生一人に任せられるか」
目を合わせずにそう言ったミオを前に、改めて感動と喜びが胸を満たすのを感じた。
「ありがとうございます……!」
泣きそうになるのを、必死でこらえる。けれど、ぽたりと一粒、膝の上に涙がこぼれた。
「よし!」
晴原が、ぱんと手をたたいた。
「オカ研のこれからを、タロットで占ってみよう! サキちゃん、カード借りていい?」
「あっ、はい! どうぞ!」
指で目をこすりながら、咲希は晴原に笑顔を向けた。ミオは再びカップを口に運んだ。その表情は、カップに隠されて読み取ることができなかった。
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