真相

 空き教室を出て迷いなく歩いていく男子についていきながらも、咲希の頭の中は「?」でいっぱいだった。

「あの、先輩」

 足音を立てずに歩く男子の体は、左右にぶれることもない。紺色のブレザーの背中に声をかけても、後ろを振り返るために頭が動くこともなかった。

「なんだ」

「犯人って、その……どういうことですか? 先輩、何か知ってるんですか?」

「知ってるかと聞かれたら、そうだな。――『マル茶』が去年の十月にリニューアルされ、パッケージラベルが変わったことは知っているか?」

「えっと、はい。そういえば、そうだったかもです」

 ペットボトルの花瓶について話したとき、それがマル茶のものであることも話した。前の会長がいつも持ち歩いていたらしいことについても。

「でも、パッケージラベルが変わったことは、今回のこととは関係ないですよね。ラベルは最初から取り払われていますし……」

「変わったのはラベルだけじゃない。ペットボトルそのものの形も微妙に新しくなっているんだ」

「え、形?」

 渡り廊下をぬけ、階段を下りる。どうやら、生徒会室前の忘れ物ケース――花瓶のところに向かっているらしい。

「これで犯人につながる情報はすべてそろった。どうだ、わかったか?」

「えっと……」

 昨日覚えた違和感が、もこもこと頭をもたげる。去年の十月に形が変わったペットボトル。前の会長が引退したのは六月。七月以降使われていない花瓶。

 ――どこかに転がってたとか? 空のペットボトルなんて、簡単に倒れちゃうよね。

 ――それか、役員のだれかが持っていってきれいにしていたのかもしれないわ。底にホコリもたまっていないみたいだし。

 そう言って、ペットボトルの中をのぞく一色会長の姿。

「そうだ。私……昨日、ペットボトルに一度も触っていません。だから……」

「そう。つまり、持ち上げてもいない」

 男子がそう言ったとき、生徒会室が見えた。ドアは閉ざされている。忘れ物ケースの上には、装飾された花瓶が置かれていた。男子はちらりとそれを見ると、躊躇なくドアの取っ手に手をかける。

 がらり、と勢いよく開けられたドア。男子の背後から身を乗り出して中をのぞくと、ひとりの女子生徒が驚いた顔でこちらを見ていた。

「やっぱりな。いると思ったんだ」

 男子の声に愉悦のようなものが交じる。女子生徒――一色さやかは、不快を示すように眉根を寄せた。

「……ヒダカ君」

 咲希は、はっと男子を見た。

 ヒダカ。それがこの、オカ研部長の名前なのだろうか。

 ヒダカと呼ばれた男子はその呼びかけには答えずに、生徒会室にずかずかと足を踏み入れた。

「今日は生徒会の活動日じゃないよな。何をしているんだ?」

「書類の整理とか片付けとか、いろいろとした雑務よ」

「きれいに片付いているように見えるが」

 四角く並べられた長机の上には、カバンが一つ乗っているだけだった。おそらく一色のものだろう。

「それは部外者の見方ね。棚の中は大変なことになっているの。それで、何の用かしら」

 一色が一瞬、こちらに目を向けたのを咲希は見逃さなかった。その目に、不快以上の困惑が見て取れた。昨日の落ち着いた表情とは違う、初めて見る顔だった。

「手短に言う。消した絵を元に戻してくれ」

(……!)

 ヒダカのその言葉に、咲希は息をのんだ。一方の一色は、眉ひとつぴくりとも動かさない。

 まさか、と思いつつも、やはりそうか、と拳をにぎった。絵の消失事件の「犯人」は、一色さやかだ。

「……何のこと?」

「これを見てくれ」

 ヒダカはズボンのポケットからスマホを取り出した。少ない操作で出した画面を、一色に向かってつきつける。

「これは、マル茶のメーカーのサイトだ。去年の十月に行われたマル茶のリニューアル内容の詳細が記載されている」

 一色は黙ったままスマホ画面を見ている。咲希も自分のスマホを取り出し、「マル茶 リニューアル」で検索をした。

「この画像のとおり、上部の傾斜が以前より若干きつくなっている。さらに底にある歯車のような形のくぼみが、新しいものではぐっと小さくなっている」

 メーカーサイトのリンクをたどり、ヒダカが画面に表示しているものと同じだろうページを見る。そこには、新旧のペットボトルの画像が並置されていた。確かにヒダカが言ったように形が以前より「なで肩」になっており、くぼみの大きさも変わっていた。

 咲希は廊下に出て、花瓶を持ち上げた。装飾は側面だけで底には施されていない。そしてそのくぼみは、「新」の画像と同じ形をしていた。

「これは、リニューアル後の新しいものです」

 花瓶を持ったまま、静かに生徒会室の中に入る。リニューアルは去年の十月。つまり――

「このペットボトルは、前生徒会長が花を生けていたものではない。去年の十月以降にすり替えられたものだ」

 じっとヒダカに視線を注いでいた一色が、ゆっくりと目を伏せた。

「真坂さんが撮った写真は、すり替えられる前――前の花瓶が奪われた直後のものだった、ということですね」

「そうだ」

 そのとき、咲希の中に疑問が生まれた。

「でも、ちょっと変です。すり替えって、一瞬でできますよね? 前の花瓶を取ると同時に、用意してた新しい花瓶を置けばいいだけなんですから。どうして、花瓶が置かれていない状態が発生したんでしょうか」

「それができなかったんだろう。用意していなかった、つまり、突発的な犯行だったということだ」

 一色は目を伏せたまま何も言わない。ヒダカは続ける。

「勢いで拝借したはいいものの、その後で不安になったんだろう。代わりの花瓶を置こうと考え、マル茶を購入して同じ形にカットした。そうして、前のものと同じようにケースの上にテープで貼りつけた」

「テープ?」

 言ってから、咲希ははっとした。ヒダカが初めて咲希のほうを振り返る。

「半透明の養生テープだ。輪っかにして底の部分に貼りつけ、ガラスケースに固定していた。ガラスケースをよく見ると、わずかだが粘着剤が残っている」

 花瓶をもう一度ひっくり返すと、底の部分にわずかな白い濁りがあった。触れると、ぺたぺたと指につく。

「昨日真坂と成沢がここに来たときも、花瓶はテープで固定されていたはずだ。おそらく、一色が花瓶の前に立つとかして、成沢たちに触らせないようにしたんだろう」

 咲希は昨日、花瓶を触っていない。持ち上げてもいない。

 一色は、話しながら花瓶に触れていた。まるで、触らせまいとするように。

 咲希と真坂は、自然と一色と花瓶を少し離れた位置から眺める形になっていた。一色がどこか近寄りがたい雰囲気を持っていたこともあり、彼女が花瓶に触れていたことが、そこに手を伸ばす、あるいは「触ってもいいですか」と許可を取るといった発想を妨げたのかもしれない。

「花瓶が写真に写っていないのは転がっていたから、という考えを成立させるために、成沢たちが去った後、一色はテープを剥がした。そのうえで装飾を加え、ペットボトルのすり替えがバレないように最後のあがきをした。けど、底のくぼみが変わっていることまでは気づかなかったか?」

 一色は床に視線を落としたまま、一言も発しなかった。ただ、左右に垂らした手が堅く握られ、かすかに震えているらしいことだけが咲希の位置からでもわかった。

「入学式であの絵を見たとき、あんたは不安に駆られた。花瓶が描かれていないことに気づいた誰かが今の花瓶を調べ、すり替えがバレるかもしれない。可能性を少しでもつぶすため、絵を消すことを決意した。しかしそのうち、絵が消えたことをきっかけに逆に誰かがすり替えに気づくのではないかと不安を増大させていった。予感は的中し、成沢たちがやってきた。そこでテープを剥がして装飾を加えたわけだが――少し、やり過ぎたな」

 語尾にわずかな笑いが交じる。ぴくり、と一色の拳が動いた。危うさを感じた咲希はヒダカをなだめようとしたが、なんと呼びかけたらいいものか考えているうちに彼の口が動き出してしまった。

「何事も考えすぎる真面目な性格が裏目に出たんだ。そもそも、花瓶のことなど誰も気にしていない。絵にペットボトルが描かれていないことだって、気づくのはせいぜい生徒会役員、さらにいえばあの花瓶に強い思い入れがある人間くらいしかいないはずだ」

 その言葉で、一色ががばっと顔を上げた。ヒダカを睨みつける瞳には、怒りとも悲しみともつかない感情が渦巻いているように見える。

 その視線に気圧され、咲希は思わず一歩後ずさった。そうして、花瓶をなでる一色の姿を思い出していた。前会長のことを語りながらなつかしそうに目を細める、その表情を。

「あなたに……何がわかるって言うのよ」

「認める気になったか? 絵を消したことを」

 言われて、一色は疲れたようにため息をついた。

「今の話は、全部ヒダカ君の想像よね。そもそも、証拠はあるの? 花瓶のすり替えや、絵を消したのが私だっていう証拠が」

「確かに、すべて俺の想像だ。証拠はない。が、あんた以外の人間には、絵を消すことは難しい」

 ヒダカの凪いだような口調に、一色が眉を持ち上げる。

「どういうこと?」

「あんたは顔パスで自由に鍵を持ち出せるただ一人の生徒だ。副校長をはじめとした教員の皆様方の覚えめでたい一色会長なら、入学式の後で美術室の鍵を持ち出して侵入するのはたやすかったはずだ。元美術部員であることも役に立っただろう。今から副校長に聞きに行くか? 入学式の日に生徒会長が美術室の鍵を持ち出したかどうか――メモに残っていなくとも、記憶に残っている人間が一人はいるはずだ。そうでなくても、職員室には防犯カメラが設置されている。さすがのあんたでも、カメラのデータを消すことはできないはずだ。品行方正な生徒会長だからな」

 一色は、静かに腕を組んだ。ヒダカをじっと見つめた後で、考えるように視線を床に這わせる。

「……絵が無事だと考えたのも、同じ理由なのかしら」

「まあ、そうだな。元美術部員のうえ、大事な後輩が描いた作品だ。破損や廃棄など、到底できないだろう。文化祭の後、いや卒業間際になってから『発見』して返すつもりだったんじゃないか?」

 はああ、と咲希は音にならない息を漏らした。――すごい。

 ただただ、ヒダカの言葉に圧倒されてしまった。自分の話した情報から、即座にこんな推理を組み立てられるとは。

 この観察力、洞察力、そして共感力。どれも、占いをする人間には必要不可欠な能力だ。

「――わかった。認める」

 一色の顔から、一気に力が抜けた。あきらめとも落胆ともつかない表情で、無理矢理のように笑みを浮かべる。

「ちなみに、だけど。あなたは、絵がどこにあるか、わかっているの?」

「そうだな。30号サイズの絵を持ち歩くのはさすがに目立つだろうから、美術室か準備室のどこかに隠されている可能性が高いだろう。キャンバスの木枠を切って半分に折り曲げる――というのはさすがに気がとがめるだろうから、釘を抜いて枠と画布を分解したんじゃないか。枠は棚に戻し、画布は丸めて掃除用具入れの奥にでも入れればすぐには見つからないだろう。他の美術部員は知らないが、少なくとも真坂は『キャンバス』と連呼していた。つまり、キャンバスが入りそうな場所しか探していない可能性が高い。30号の正方形キャンバスは一辺が約90センチ、対して掃除用具入れはせいぜい40から50センチほどの幅と奥行きしかないからな」

 その流れるような言葉を聞いて、咲希は呆気にとられた。キャンバスって、分解できるものなのか。けれど確かに、棚には画布が貼られる前の木枠がたくさん置かれていた。元美術部員の一色なら、キャンバスの分解もたやすいだろう。

「ああ、そう」

 一色が力なく笑った。

「失敗した。話す必要がなくなったわ。絵のありかを教えるのと引き換えに、取引をしようと思っていたのに」

「口外するな、と? 心配しなくても、そんな面倒なことはしない。メリットがないからな」

 ただし、とヒダカは続けた。

「俺の作ったシナリオに則って、ちょっとした演技をしてもらう」

「シナリオ?」

 そうしてヒダカは、「シナリオ」の内容を一色に説明した。いっしょに聞いていた咲希だけでなく、一色も目を丸くして驚く。

「それは……全く、かまわないけれど。でも、どうして?」

「俺のためだ。今回のことは、成沢の『占い』が発端でな。成沢の占いで解決した形になると俺が困るんだ。それに真実を知ったら、真坂はまた面倒なことを持ち込んできそうだからな」

「……えっ、あっ! ちょ、ちょっと待ってください! それじゃあ、私の入部は――」

「当然、白紙に戻った」

「えええ!? いやおかしいです! そもそも最初は、先輩の――ヒダカ先輩のことを占うっていう話だったじゃないですか! それに名前すら教えてもらってなかったのに占えとか、フェアじゃないです!」

 それを聞いた一色が、眉をひそめた。

「ヒダカ君。あなた、後輩に名前も教えてなかったの?」

「ああ。必要がないからな」

「あるでしょう、どう考えても。成沢さん、私が教えてあげる。この人の名前は、ヒダカ――」

「言うな。言ったら、口がすべるかもしれないぞ。生徒会長の悪行とその動機である秘めた思いの真相を」

(うわ、性格悪っ)

 すんでのところで口に出そうになった言葉を、あわてて飲み込む。

「わかった、言わない。でも、隠していたって、そのうちわかるときが来ると思うけど」

「来ないな。どのみち、オカルト研究部は廃部だ」

「晴原先輩は、それを望んでいるのかしら」

「卒業したんだ。もう関係がないだろう」

「――本気で言っているの?」

 一色がヒダカに一歩歩み寄る。

「ヒダカ君。私、後悔しているの。生徒会長として、いえ、ひとりの生徒として、あなたと晴原先輩とのことを傍観したことを」

「もう終わったことだ。あんたが後悔する必要なんてない」

「でも、わざわざここまで来たのは、あれが晴原先輩の花瓶だったからでしょう?」

「――えっ?」

 咲希の驚きの声に、二人が同時に振り向いた。

「え、えっと……晴原先輩って、オカ研の前の部長さん、ですよね」

「そうよ。晴原律先輩。オカ研の前部長であり、私の前に生徒会長を務めていた先輩よ」

「そ、そうだったんですか!?」

「言っていなかったかしら」

 ふるふると首を振る。一色があこがれていた生徒会長と、自分の運命を変えてくれたオカ研の部長。そこがイコールでつながるなんて考えもしなかった。

「ヒダカ君」

 一色はヒダカに向き直って続けた。

「私は、あの噂を信じてない。信じられないの。それに今日わざわざここに来たのだって――」

「やめてくれ」

 低く鋭い声だった。生徒会室の空気が、ぴりりと冷たくなる。

「俺が出張ったのは、成沢に解決されたら困るからだ。それ以上の感情はない」

「でも……」

「俺は終わりにしたいんだ」

 ヒダカは一色から顔をそむけた。視線を落とし、独り言のようにつぶやく。

「オカ研を廃部にして、ぜんぶ終わりにする。ぜんぶ過去の中に押し込めて……封印する」

 そうして一色に背を向けると、咲希の横を通ってドアへと向かった。

「花瓶は、そのまま大事にするといい。価値を見出した人間がいるなら、その手元に置かれたほうが花瓶も幸せだろうからな」

 そのまま廊下に出ていったヒダカを、一色は黙って見つめていた。咲希もしばらく立ち尽くしていたが、やがてぺこりと頭を下げ、あわててヒダカの後を追った。

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