ガンナーズ・ハイ
無能無彩
1節
北大陸の都市国家サルモヴィッセル。その歓楽街は、地上の喧騒が生む熱気とは裏腹に、空は冷え込み、乾いた雪がちらちらと舞い始めていた。休日を間近に控えた大通りは、家路を急ぐのか、あるいはこれから夜の街へ繰り出すのか、途切れることなく人々が流れていく。その喧騒の中、男はただ一人、まるで時代に取り残されたかのような出で立ちで、人の流れに逆らって歩いていた。
使い古されたテンガロンハットを目深にかぶり、埃っぽいウエスタンポンチョ風の布を無造作に纏ったその姿は、雪舞う北の都市には明らかに不釣り合いだった。やがて男は、大通りの賑わいから外れ、人通りの絶えた薄暗い路地裏へと足を踏み入れると、古びた「ゲートハウス」の看板を掲げた店の前に立った。煤けた木製の扉を押し開けると、カラン、と乾いた鈴の音が鳴った。
店内はがらんとしており、簡素な受付カウンターに気だるげな店員が一人。その背後には同じような扉が二つ並んでいるだけだった。
「いらっしゃいませ」
店員は、男の場違いな格好にも特に頓着する風でもなく、抑揚のない声をかけた。
「ゲートボックスを一つ、個人用だ」
男は短く告げると、左腕にはめた腕時計にも似た
「……承知いたしました」
店員は居住まいを正し、宙にキーボードでもあるように指を動かすと、客側に向けられたカードキー発行機から、一枚の黒いカードキーが音もなく滑り出てきた。男がそれを受け取ると、店員はやや改まった口調で告げる。
「13番のブースをご利用ください」
声と同時に、背後の扉の一つが静かに開いた。
男は無言でその扉をくぐり抜ける。そこは無機質な廊下が奥へと伸び、両脇には大きく番号を記した扉が整然と並んでいた。男のブーツが硬い床を叩く音だけが、静かな廊下に小さく響いた。
「13」と記された扉の前で足を止め、ノブを回して中へ入れば部屋は予想通り殺風景で、壁際にテンキーとカード挿入口を備えた端末――公衆電話のブースを思わせるそれが一つ、鎮座しているだけだった。
男が入ってきた扉を閉めると同時に、端末のディスプレイに『カードキーを挿入してください』という無機質な文字が浮かび上がった。男は懐から取り出した先程の黒いカードキーに記載された番号を確認し、それを端末に挿入する。続けて、記憶していた数列をテンキーで打ち込むと、しばしの沈黙の後、チン、と軽やかなベルの音が背後で響いた。
入ってきた扉から出ると、そこは「ミヌエット協会 第一支部」と古風な字体で記された看板を掲げた、レトロな趣の建物の正面に立っていた。背後の扉が閉じると、まるで陽炎のように揺らめき、次の瞬間には跡形もなく空間に溶け込んで消えていた。
男は慣れた様子で建物の中へと足を踏み入れる。薄暗く落ち着いた照明に照らされた室内は、まるで年代物のバーのような雰囲気である。磨き上げられたカウンターの向こうでは初老のバーテンダー風の男がグラスを磨いており、部屋の奥には懺悔室を思わせる二つの小さな個室が設えられているが、こちらから入れる扉は1つである。
「勧告官殿、依頼人はもう奥に?」
バンが声をかけると、バーテンダーはグラスを置かず、穏やかな笑みを浮かべて応じた。
「ええ、バン殿。既にお待ちかねですよ。協会からの直接のご指名とあっては、期待も大きいことでしょうな」
バンは帽子を深く被り直し、勧告官に軽く会釈すると、やや早足で奥の個室へと向かった。懺悔室のような薄暗いブースに入り、仕切りの向こうに声をかける。
「待たせたか。今回の依頼は?」
指定時刻より早く到着したはずだが、既に相手は来ているらしい。いつも通りの、ミヌエット協会員らしい事務的で堅苦しい説明を予想していたバンだったが――。
「あら、ちょうど私も今来たところですのよ。ふふ、なんだか恋人同士の待ち合わせみたいでしたわね。……それはそうと、あなたがバン・キルト様で、お間違いありませんこと?」
仕切りの向こうから聞こえてきたのは、予想に反して軽やかで、どこか間の抜けたような、若い女性の声だった。不意を突かれたバンは、思わず言葉に詰まる。
「……ああ。指名を受けた、バン・キルトだ」
ややあってそう答えると、仕切りの向こうからは、先ほどと変わらないケラケラとした楽しげな声が返ってきた。
「それはようございましたわ。さて、依頼内容についてですが、これから少々長話になりますの。詳しい資料はあなたの
バンは左腕の
「資料をご覧になりながらで結構ですわ。まず、正式な依頼主はトカーレ島自治会。依頼内容は、昨今よくある話ですけれど、無統治地域と化した島に巣食う犯罪組織の排除、ですの。そして、これもまたよくあるパターンで、危険度に見合わないほど報酬が安いですのよねぇ」
そこまで一気にまくし立てると、彼女は少し間を置いて、悪戯っぽく声を潜めた。
「――ただし。この依頼にはミヌエット協会から『特別追加報酬』がございますの。ズバリ、二億CC。さらに、任務にかかる経費は全額当協会が負担し、その他必要なバックアップも全面的に行わせていただきますわ」
「……それもまた、割に合わない報酬じゃないか?」
バンは思わず訝しげな声を漏らした。無理もない。提示された条件は、あまりにも破格すぎた。元々の依頼内容は、確かに危険ではあるが、報酬額からすれば個人や小規模なチームが手を出すようなものではない。しかし、ミヌエット協会からの追加報酬と全面的なバックアップを考慮に入れると、今度はバン一人に任せるには過剰なほどの厚遇となる。いったい何が裏にあるのか――。二億CCと言えば、メインクーン財閥の経済圏においては、一族が遊んで暮らせると言っても過言ではない大金だ。それをぽんと個人に提示し、さらに全面的なバックアップまで約束する。バンが訝しむのも当然だった。
「ふふ、お疑いはごもっともですわ。単刀直入に申し上げますと、その特別報酬には『特別条件』が付きものですの。表向きはトカーレ島の犯罪組織排除ですが、その任務の『ついで』に、島から流出する人身売買の最終的な行き先を突き止めていただきたいのですわ」
仕切りの向こうの声の調子が、ほんの少しだけ真剣味を帯びる。その変化は微かだったが、バンは聞き逃さなかった。
「実は、トカーレ島を経由して売られた人々の足取りが、そこでぷっつりと途絶えてしまうケースが多発しておりましてよ。通常、大陸間の人身売買であれば、中継地点がどこであれ、最終的な買い手や組織を追跡することは可能ですの。しかし、トカーレ島ルートだけは、途中で人が消えてしまいますの。これは看過でき……ませんの」
一瞬だけ仕切り向うの空気が冷たくなったような気がした。
「――と、まぁ、非常に奇妙な状況ですの。昨年、東大陸の先端街方面で少々大きな騒動がございましてね。あそこは『世界の歪み』も観測されやすい場所柄……もし、何らかの好ましくないもの――例えば、管理外の
そこまで説明されても、バンの中にはまだ釈然としないものが残っていた。なぜ、この任務を俺一人に? 集団で動けば、トカーレ島の自治会が提示した報酬以上の「何か」を島民に察知され、不必要な警戒や不信感を生む可能性はある。人身売買組織のガードも固くなるだろう。それは理解できる。しかし、潜入や諜報活動に特別秀でているわけでもない、ただの賞金稼ぎである自分一人に、これほど破格の条件を提示してくるのは、どう考えても不自然だ。ミヌエット協会には、単独での潜入や工作を得意とする手練れの会員だって他にもいるはずだ……。となれば、やはり理由は一つしか思い当たらない。この腰の拳銃、シンリョウ-XM1。
「……どうしても聞きたい。俺を指名した本当の理由は、この銃か?」
沈黙を破り、バンは仕切りの向こうへ問いかけた。ミヌエット協会が、これと同等か、あるいはそれ以上の力を持つ「特異な武器」の使い手がどれだけ所属しているかは知らない。だが、無視できない要因であることは確かだろう。
「ふふ、その
あっさりと肯定する声に、バンは内心眉をひそめる。しかし、彼女の言葉はそこで終わらなかった。
「ですが、それだけではございませんの。バン・キルト様、あなたは過去に単独で、ある程度の規模の組織を壊滅させた実績がおありでしょう? その実績こそが、今回の指名の最大の理由ですわ。……それに、これは私の個人的な勘、とでも申しましょうか。どうにもこの依頼、あなたにこそ相応しいような気がしてならないのですの」
最後の一言は、バンの中で意識的に切り捨てられた。根拠の薄弱な「勘」ひとつで、平然と二億CCという大金を動かせるミヌエット協会の人間。その正体について、バンには既にある程度の察しがついていたからだ。これ以上深入りするのは得策ではない。
バンは短く息を吐き、半ば諦めたように、しかしどこか覚悟を決めたような声で応じた。
「……その依頼、お受けしましょう。――閣下」
最後の言葉に、わずかな皮肉を込めたつもりだったが、仕切りの向こうの声の調子は変わらない。バンは構わず言葉を続けた。
「ただし、条件がある。俺は諜報や潜入の専門家じゃない。ただの、世界錯誤のガンマンだ。島の犯罪組織を叩き潰すことを最優先とする。その過程で、もし『裏』の連中を取り逃がすようなことがあっても、文句は言わないでもらいたい。それでいいか?」
すると、仕切りの向こうの彼女は、まるで待ち望んでいた返事を聞けたかのように、嬉しそうに声を弾ませた。
「ええ、もちろんですの。 バン様のご判断にお任せいたしますの。では、吉報を心よりお待ちしておりますの」
個室から出ると、勧告官がバンを待っていた。その口元には、まるで悪戯が成功した子供のような、それでいて全てを見通しているかのような意味深な笑みが浮かんでいる。やはり、この男も仲介人の正体を知っていたのだろう。
「バン殿、いかがでしたかな? ふふ、何やら実りの多いお話合いだったご様子で」
勧告官は楽しげに言うと、カウンターに目を向けた。
「今宵は、当ミヌエット協会のゲストルームをご利用ください。目的のトカーレ島へは、明日、最寄りのゲートボックスへ当方で接続を手配いたします。そこからの移動手段については、いくつかの提案をあなたの
そう言い終えると同時に、勧告官は磨き上げられたカウンターの上で、一杯の琥珀色のカクテルをスッと滑らせた。それは寸分違わず、バンの目の前でぴたりと止まった。
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