ニライカナイの夏

坂崎文明

第一章 キジムナー編

第一話 紅色の瞳の少女

 森山涼介もりやまりょうすけはその日のことを忘れない。

 梅雨が明けて、夏の日差しが熱く肌が焼けそうな2025年7月7日の朝八時過ぎ、柑橘系の風をまとった少女が小高い丘を登ってきた。

 その香りに誘われたのか、涼介は無意識に振り返った。

 純白の麦わら帽子、紺色の清楚な制服姿である。

 靴も白鷺データサイエンス大学付属中学一年生の生徒規約に合致した紺色の地味で落ち着いた物である。

 持ち上げた帽子から覗いた彼女の双眸そうぼうは神秘的な桜色で、白い肌とのコントラストは人類にはあり得ないはずの特別なものだった。


「―—その麦わら帽子は、校則違反だと思うよ」 


 が、初対面で、涼介は何とも間抜けな言葉をかけてしまう。

 後で、死ぬほど後悔しそうだが、その時はついそんな言葉が出てしまっていた。

 実は涼介は生徒会の副会長で、長期療養で不在の生徒会長から「校則違反は素早く指摘して、なるべく隠蔽するように」と強く言われていたのだ。

 この前、読んだ『迂闊な人が賢くなるためにしたい10のこと』という本にはまず「6秒ルール」というものがあり、人間は約6秒の間を置くと条件反射や反応ではなく、本当に思考して話すことが出来ると書いてあった。

 遅ればせながらその本の内容を思い出して、深呼吸をして6秒待つ。

 中学生とはいえ、将来、予想を超える美少女になるであろう神々しい存在に出会って動揺していた。


「あちゃー、バカ真面目やん」

 

 隣で一緒に登校していた同級生の黒鉄美里くろがねみさとひたいを抑えて嘆く。

 ショートカットの黒髪、よく動く真ん丸い目が印象的な体育会系女子である。

 確かに、この学校の制帽は白いベレー帽ぽいやつだけど、今日、転校生が来るという事前情報はホームルームで告知があったし、残念イケメンの涼介は察しが悪すぎる。


「涼ちゃんはイケメンなのに、ほんとに勿体もったいないわ」


 千堂薫せんどうかおるもそこそこイケメンな幼馴染の残念センスに、三つ編みの長い髪の頭を左手でいた。

 丸い眼鏡の奥の切れ長の瞳が苦笑いしてる。

 冷静沈着で図書室で会いそうな文系女子である。


「そうですか。まだ初日なので要領が分からなくて」


 頬を少し赤らめて、彼女は申し訳なさそうにしている。

 最初の印象が強烈だったので分からなかったが、ちょっと、おどおどした態度の普通の女子中学生にも見える。

 涼介は高鳴る鼓動が緩やかになっていく胸を抑えて、まだ、上手く『反応』じゃない、思考と行動がぎくしゃくしていて、また、一呼吸おいた。 

 涼介だって幼馴染ふたりに『残念イケメン』を連呼される昼休みから、そろそろ脱却したいのだ。


「大丈夫よ。私は黒鉄美里くろがねみさと。あなた、転校生ね。名前は?」


 美里はすかさず、残念イケメン同級生のフォローをしてやる。

 こういう時、最も迅速で頼りになるのは姉御あねごじゃない、幼馴染の美里であった。


橘怜たちばなれいです。仲良くしてね」


 意外に愛想のいい返答だが、表情は硬く、まるで、笑うことに慣れていないようだった。


「仲良くするわよ。あのバカ真面目の涼介の無礼は、何卒なにとぞ、お許しください」


 と、大げさに頭を下げて、美里は謝罪してみせた。

 一応、さりげなく涼介の名前も会話に忍ばせておいた。

 機転が利く姉御である。


「いや、校則を教えてくださるなんて親切な方ですね。涼介さん」


 この美少女もバカ真面目のようだった。 

 突然、名前を呼ばれてまだ上手く話せない涼介であったが、一瞬、視線が合ってちょっと恥ずかしくて、苦笑いを返した。

 案外、涼介との相性はいいのかも。


「さっきから香る、このいい匂いの柑橘系フレグランスは何?」


 千堂薫は橘怜たちばなれいまとう柑橘系の香りが気になっていた。

 自作アロママニアとしては見逃せない。


「『たちばな』の花の香りです。うちの実家は沖縄で化粧品作ってて、ちょっとお分けしましょうか?」


「分けて、分けて。美里の分もお願い。あ、私は千堂薫せんどうかおるよ。仲良くしてね。そうだ、今日、一緒にお昼ご飯食べない?」


「ええ、いいですよ」


 橘怜たちばなれいはぎこちなく笑った。

 不思議な桜色の瞳を細めると、案外、美少女というより素朴な中学生的な可愛いさになる。

 薫は涼介の動揺を鎮める時間を稼ぎつつ、柑橘系フレグランスを戦利品として獲得し、お昼ご飯を一緒に食べる約束まで取り付けた。

 凄い策士である。

 

 怜は涼介から見ると、将来は超絶美人に成長しそうだが、今はまだそれほどではない。

 性格は良いのかもしれない。

 確か、たちばなはみかんだったと思うが、酸味と苦みもあり食べれないはずで、観賞用の香りがいい柑橘類だと思う。

 どちらかというと「源平藤橘」の四姓だとか、「右近橘、左近桜」といって御所に橘の花も植えられていて、天皇家との繋がりや徳川家康や豊臣秀吉の家臣の井伊家、黒田家たちばな紋とかの方が有名だ。

 歴史マニアの涼介的にはそんな偏った知識しかない。


「涼介も一緒よ。分かってるわね?」


 美里姉御から鋭い視線の目くばせ付きで厳命が下ったが、これは従うしかないだろう。

 だが、その時、怜の麦わら帽子が浮き上がって、何か動物のような物が飛び出して地面に落ちた。 

 大体、それは小さな猫とか、リス辺りが相場だと思うが、何とそれには翼が生えていた。

 なので、小鳥か何かだと思ったが、トカゲのような丸い頭の生物だった。


「あ、これはヨクちゃんです。翼竜の」 


 怜は当たり前のように言うのだが、涼介は驚きすぎて唖然としていた。

 沖縄では小さな翼竜を飼うのが流行ってるという話はとんと聞かない。

 まあ、そこはあまり追及しても仕方ないと、一時、思考停止して、生徒会の副会長としての仕事に専念することにした。


「……いや、麦わら帽子は大した校則違反ではないですが、ペットの学校への持ち込みは重大な校則違反になります。ここは仕方ないので、隠蔽しましょう。会長にそう言われていますので」

 

 まあ、この後、涼介は橘怜たちばなれいの度重なる校則違反に苦しめられる運命なのだが、その時はまだそんな事は想像だにしていなかった。

 その後、朝のホームルームでちょっとしたハプニングというか、朗報というか、幸運な出来事として、橘怜たちばなれいは同じ一年星組一班の担任の魔女ベアトリス先生のクラスになった。

 しかも、長期療養のために不登校の生徒会長がいて、ひとりぼっちだった涼介の隣の席が橘怜たちばなれいになった。

 美里、薫、涼介のグループチャットは橘怜たちばなれいとの勝手な恋バナで昼休みまで盛り上がったのは言うまでもない。

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