ちいさな物語
遠野 歩
ちいさな物語
ここに小さな団地があって、
団地のなかには小さな郵便局があって、
そこに、ひとりの若い19歳ぐらいの人が働いている。
彼女は、この町で生まれ、この町で育ち、
この町の小さな団地の郵便局に就職した。
郵便局の隣には小さな駐在所があって、4年に1度、新しい駐在さんがやってくる。
いま4人目の駐在さんが、
自転車にまたがった彼女に声をかけているところだ。
「おはようございます。今日もむし暑いですねぇ」
「おはようございます。暑いですね。熱中症、気をつけましょうね」
彼女はこの町のことをよく知っていたが、小学校から高校まで全てこの町にはあったので、小学生のときの林間学校、中学高校の修学旅行を除いて、ほぼこの町から出たことがなかった。
人から聞いたり、インターネットやテレビから情報を得るだけだ。
人から「かわいそうだね」と言われたこともある。
「連れてってあげようか?」と誘われたこともあった。
でも、そういうものたちは彼女が掴もうとすると、彼女が、家族のことや日々の生活に追われているうちに、固く年季の入ったドアのように、ばたんと重たい音を立てて閉じ、消えてしまった。
夕方、仕事が終わると、彼女は自転車にまたがり、丘の上の公園を目指す。
丘の上から地平線を望む。
地平線は彼女にしか見えなくて、他の誰のものでもない、彼女のものである。
穏やかな風が吹く、のんびりし過ぎていてにせものじみている団地の丘で、彼女は今日も彼女だけの指先を、風に吹かせて伸ばしている。
(終)
ちいさな物語 遠野 歩 @tohno1980
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