1.5 批評と感想の違い
ついに来ました。感想とは何かです。
ぼくらは学校では感想文をさんざん書かされたはずです。
しかしその感想の意味をはたして本当に知っているのか。
批評は感想とは違うと多くの人は言うが、それは何が違うのか。
すこし骨が折れる作業だが、考えましょう。
いつものように、感想の語義上の意味を確認しましょう。
精選版 日本国語大辞典から引用します。
感想:
ある物事に対して心に感じ思うこと。また、その思い。
「対象」の要素では批評と変わりはないだろう。
しかし「感じ」「思う」が批評の「決定」とは違うだろう。
「感じ」「思う」とは何か。
それは心の中で行われると書かれている。
では心とは何か。まったく答えられそうにない問いである。
もし、心の意味を解き明かさないといけないのなら、
感想の意味は複雑で難解なものとなるだろう。
だから分解して意味を考えるのを止めにしたい。
ではどのように批判と感想を分別するのか。
これを「否定できるか」の点に着目して考えてみたい。
まず例を用いて、批評の否定を考えてみよう。
例1:
太宰治の『人間失格』は世間で高い評価をされるべきである。それは当時の人間のほとんどが陥った絶望を書き表している。
こんな例文があったとしよう。
ここで、この批評ないし理論を否定したいのならば、
「太宰の作品は当時の人間の絶望を書き表していない」と主張して、
それから同時代に書かれた、人間が彼とは反対の絶望に陥った作品を出せば、容易に反論できるだろう。
本当にあるのかは知らんがな。
つまり「高い評価」という主張を否定するには、
その根拠と反対のものを出せば良いのです。
それで「高い評価」は直ちに消え失せるだろう。
次に同じように、感想を否定してみよう。
例2:
私の人生は『人間失格』の主人公の人生と共通点がある。だから私はこの作品に感動しました。
では例1と同じように、
感動という結論の前提と思われる「共通点」を否定してみよう。
そうすれば「私」というのは感動をしなかったことになるのだ!
なんてことはありませんよね。
では「私」という人間の感情でも計れば良い!
でも今の科学ではできませんよね。
ならば「その感動は勘違いだ。それは怒りである」と言おう!
でも怒りを否定することはできるのか。
そもそも怒りも感動のうちの1つだし、
ある曖昧な感情の正体は、本当は別の感情だと指摘しても、
その別の感情を否定できません。
そう、感情は否定が不可能なのです。
批評の決定とは明らかに違って。
ここで注目して欲しい点がもう1つある。
それは感動は結果ではなく、原因であることだ。
ぼくらは先に感動をして、その理由を遡って説明している。
だから、いくら理由と思われる部分を否定しても、
それは後付けのものだから何でもよいのです。
批評とは逆の構造をしていると分かるだろう。
そして、たとえその感動の理由が明確に言葉にできなくても、
その感動は確実に存在して、曖昧な何かではあるのです。
このように、批評と感想を否定した結果、
2つのことが分かるだろう。
①感想の存在は否定できない。
②感想と批評の構造が違う。
この2点が批評と感想の違いといえるだろう。
厳密でなくても、すくなくとも便宜上ではね。
こうしてある程度、批評と感想の違いが分かったところで、
感想の例文から読み取れるもう1つのことを、
次節で考えてみましょう。
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