ROYGBIV.

S-pon

第1話

モノクロの世界の片隅で、少年はひときわ鮮やかな一凛の黄色い花を見つけた。

その花は、彼が生まれて初めて目にする「色」だった。


本来なら飛び退くほどの衝撃があったのかもしれない。

けれど、この世界では色と共に感情も薄れてしまっており、彼はただ、ぼんやりと目の前の鮮やかさを見つめるしかなかった。


吸い寄せられるように手を伸ばそうとすると、遠くで彼を呼ぶ声がしたため、振り返り彼は走り去っていった。


「シアン、ご飯できたわよ」

「うん」


声に呼ばれて家に入ると、視界に入ったのは食卓に並ぶ料理。

白い少し深めの皿に盛られた、モノクロの固形物が浮かぶ液体状の何か。

モノクロで何の料理か分からないが、匂いでシチューだと理解する。


「いただきます」


食卓に座り、シチューと思われるそれを口に運ぶ。

うん、やっぱりシチューだ。

柔らかなジャガイモがほろりと崩れ、濃厚なクリームの香りが鼻腔をくすぐる。


「美味しいよ、母さん」

「そう」


母はどこか寂しそうにも見える無表情で応え、向かいの席に座った。

シアンは再びシチューを掬って口に運ぶ。

確かに美味しいが、どこか物足りなく感じる。色のせいだろうか。


——色のついた料理なんて、食べたことないのに。


この世界に色はない。

母は料理のレシピを書くのが好きで、色のない世界で唯一の「記憶」として文字に残している。

母が書き残したレシピを見ながら、料理を作っているのだ。


「母さん」

「ん?」

「さっき、変な花を見つけたんだ」

「へえ」


いまいち興味がなさそうな反応。

遠い記憶の母はもっと興味を持ってくれた気がする。

今の母は話は聞いてくれるが、どんな話であっても反応が薄い。


「なんか、見たことがない色をしてたんだよ」

「…そう」


ぴくりと、母がスプーンを持つ手が反応した。

「色」の話をすると、母は他の呼びかけよりほんの少しだけ反応を示す。

母だけではなく、この村の人間すべてが。


モノクロの世界で暮らす人々は、感情の起伏がほとんどない。

そんな彼らが唯一反応を示すのが「色」の存在だ。

しかし、その反応も恐怖や悲しみといった負の感情が混じって見えるものだった。


それに対して、シアンは違っていた。

祖母から色の話を聞き続けてきた彼は、白と黒以外の色に対して、どこか憧れのような感情を抱いていたのだ。

もっとも、感情そのものが希薄な世界で育った彼は、その想いを「憧れ」と自覚することもできずにいたのだが。


母はその少しの反応を示しただけで、相変わらず興味がなさそうに食を進め始めた。


「すごく目を惹く色でね、おばあちゃんが話してた色の中にある色かなぁ」

「さあ」

「明日、また見に行ってくるよ」

「ええ」


特に止めることもないし、未知のものへの好奇心に対して心配する様子もない。

少し寂しいと感じたけど、すぐにその感情は消えていった。

料理を食べ、寝る支度をする間、ずっとシアンの脳内にはあの一凛の花が浮かんで消えることはなかった。


翌朝、シアンは目が覚めるとすぐに昨晩見た一凛の花の元へ向かった。

なんとなく、心が高揚する感覚がする。

いつぶりだろうという感覚のため、気のせいのような気もするが、シアンの歩みに迷いはなかった。


モノクロの森の奥を進み、少し開けた場所にそれはあった。

夜に見た時と変わらない鮮やかさで、ただ静かにそこに咲いている。


シアンは膝を曲げ、じっと花を見つめる。

色のない世界で過ごしているせいか、嗅覚が鋭いシアンの鼻腔を花特有の甘い香りがくすぐる。


「…他の花と違う匂い」


今まで見た花は、形は違えどどれも似たような匂いをしていた。

だが、目の前にあるこの色のついた花は、今まで見た花のどれよりも濃く甘い匂いがする。


良い匂いの花には虫が寄り付くという話を聞いたことがある。

生まれてこの方そんな光景は見たことがないが、シアンは文字通り、花の匂いに誘われる虫の如く、その花へ手を伸ばした。


シアンの指先が花弁に触れた瞬間、花がポンっと弾けて代わりに小さな何かが飛び出した。


「やぁっと触ってくれたー!」


同時に聞こえてきた軽やかな声に、シアンは驚いて目を丸くする。


「もう来てくれないかと思ってたんだから!」


シアンの目の前には花の色と同じ黄色い光が浮かんでいた。

そこから声が聞こえている。

聞きなれない感情豊かな声に、シアンは心の奥底がじわっと温かくなるのを感じた。


「君は、なに?」


漸く出た言葉。

光に沿えるように手を出すと、シアンの手のひらにその光は収まった。


「私は黄色の精霊!」

「……黄色の精霊?」

「そう!わかる?黄色!」


祖母から聞いたことがある。

黄色はバナナの色、レモンの色、お日様の色。

今までそれらすべては白く見えており、匂いで判断していたが、本当はこの目の前にある光と同じ色だということか。


言葉は理解できるが、物と色が脳内でうまく紐づかず、シアンは質問に対してただコクリとうなずいた。


「黄色の精霊が、何でこんなところにいるの?」 「あっそうだった! あのね、この色の世界を取り戻すためにきたの!」


シアンの質問に、黄色い光は手の上で飛び上がって応えたが、あまりに壮大なことを簡単に言ってのける目の前の精霊の言葉に、シアンの頭上にはてなが浮かぶ。


「どうやって?」

「アナタと協力して!」


黄色の精霊は小さく跳ねるように光を瞬かせた。

ただの光だが、なんとなく決めポーズをしているんだろうなと思う。


「えっとー……どうやって?」


再び問い返したのは、混乱して言葉が追いつかないシアンの素直な反応だった。


「だからアナタと協力……」


言いかけたその時、森の奥から今まで感じたことのないような不気味な気配が忍び寄ってきた。

冷たい風が吹き、木々がざわざわと震える。


「来た……黒……」


光が不安定に揺れ、まるで小さく震えているようだった。


「私がここにいるのをもう嗅ぎつけたのかも……!」


木の陰から、今まで見てきたどんなものよりも黒い影がヌッと姿を現した。

形は狼のようだが、音ひとつ立てず、ただそこに「存在する」だけで空気が張り詰める。


じりじりと狼のような影が距離を詰める度、シアンの手の隙間から、キラキラと砂のように光が溢れていく。

その光は影に吸われ、手の中の光が小さくなっていくのを感じた。


「やだ、やだ…! 消えたくない! 助けて…っ!」


小さくなった光は先程の軽やかな声が嘘のように、怯えた声を上げる。

その声に、忘れていた「恐怖」の感情がシアンの中で一気に膨れ上がった。


「く、くるな!」


手探りで近くにあった石を拾い上げ、影に投げつける。

虚しくも石は影をすり抜け、地面に転がった。


どうすればこの手の中の「色」を助けられるのか。

考えたところで、こんな得体の知れない相手に適うはずがない。


影が揺らめき、シアンに飛びかかる。

シアンは咄嗟に両手で精霊を包み込み、守るように胸元に押し当てた。


「ーっ…!」


瞬間、シアンを中心に黄色の眩い光が辺りを照らし、飛びついてきた影は光の中で霧散した。

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