01. Prolog


----転生前、日本


Shibuya Residence Tower 4201


「無い……! 無い……!!」

 東京23区のとある明け方のタワマンの1室で、俺はひたすら叫び続けていた。

 なぎさ りつ27歳、裏稼業で金を稼ぎ、20代にしてタワマン生活。

 モデルのような可愛い彼女と同棲して1年、結婚も視野に入れていたが、そこまで信頼していた彼女がいなくなっていた。家にあった現金と、海外口座の残高と共に。

 ある日突然全てを失ったのだ。

 財布やら鞄やら売って、取り敢えず身の回りの物を現金に替えたが、仕事場では当然気付かれる。よりによって、俺に彼女を紹介した男、紅林くればやし れんに。

「よぉ、律、金に困ってるなら、俺の家に来るか?」

「悪いな、今それどころじゃない」

 こんな状態から月末の各支払いに対処しなければならないからだ。

「俺のマンションに来いよ、家賃も払わなくて構わないからさ」

「誰が好んで男なんかと同居するものか」

 こいつは1つ年下だが、歴が長い先輩だ。

 先輩に対する口の聞き方ではないが、仕事以外でも付き合いが長く、実力も拮抗きっこうしていることから、タメ口で接する間柄だった。

 だから原因となった彼女の話は出来なかった。そう、俺はこいつのことを信用していたから。

 偶然先輩のスマホに届いたポップアップ画面に、行方知れずとなった彼女からのハートマーク付の連絡が届くのを目撃してしまうまでは……。



「廉、お前、俺に何か隠してることはないか?」

「律?」

「……彼女とは今でも親しい間柄のようだな、もしかしてお前、何もかも知っているんじゃないのか?」

 ハッとしたような顔の廉に、俺は視線だけで断罪する。

「……さすがは裏社会だ、何が目的なんだ? 俺は……、お前のことは信じていたのに」

 冷たく言ったはずなのに、思った以上にこたえて、声が泣いてしまっていた。

「待ってくれ! あんな女、どうだっていい! 俺はお前が……ッ!」

「聞きたくない!」

 あんな女呼ばわりする彼女を紹介したのはお前のくせに。

 案外、失った財産がこいつの手中に納まっていてもおかしくはない。

「騙された俺が悪いよな、そしてそれが、この世界のルールだ」

 でも俺は、こいつだけは兄弟のように、家族のように、そう……友達以上に思っていたんだ。だから、いつも上手くいかない恋愛の話をしたり、プライベートな話もしていた。

 ある時、こいつは言ったんだ。冗談まじりに次で駄目だったら、もう女と付き合うのは止めたらどうだって、最後の最後でドストライクな相手を紹介してきたお前が、まさかこんな裏切りをするなんて……。

「もうお前とは一緒に働けない、契約は更新しないとボスにも伝えたよ、俺はここを辞める、お前とはこれきりだ」

「律!!」

 廉は、出ていこうとした俺を説得しようとしたのか、俺を取り押さえようとしてくる。

 俺と廉は、要人を警護する裏のSP、互いに戦ったところで決着はつかない。

 ある程度の距離を取ってから、俺は一般道では持ち歩けない武器を床に置いた。

「さようならだ、廉、失ったものに未練は無いよ」

 廉が何か叫んでいるが、俺は二度と振り返らなかった。

 どうしていつも上手くいかないんだろう。

 降り注ぐ雨で、心を傷める闇も涙も、何もかもを御祓みそぎのように流してくれたらいいのに。



ーあれから半年


 何とかタワマンを解約し、ほぼ手持ち資金を失い、家賃5万円の家を借りて細々と暮らしている。

 助かったのは、亡き祖母から貰った俺名義の通帳だ。これだけは、本当にいつか困った時やら、使う時を決めて使うと決めていた。

 これまでと何もかもが違う生活。外にある洗濯機から取り込んだ濡れた服でかじかむ指。

 30手前で無職、結婚まで考えていた女には裏切られ、絶望しかなかったが……。

 途方に暮れた俺のそばには、1匹の猫がいた。

 ちょうどあの日、雨の中で見つけた1匹の黒猫。濡れて汚れて泣きもしない姿は、一瞬ごみ袋か何かだと思って通り過ぎてしまった程だ。不幸な境遇に同情したのか、自分を重ねたのか、俺はその小さな命を連れて帰ったのだ。

 瞳の色から『翡翠ひすい』と名付けた子猫との、傷を辞め合うような穏やかな生活。俺は「猫と始める2ndライフ」として、新たな生活を楽しんでいた。


 そんなある日、連絡を無視していた前職の廉からの着信に出て、ただ俺の安否を気遣う様子に絆され、住所を伝えた。

 悲劇は起こったのは、その直後だった。

 アパートの1室で火事が起きたのだ。木造アパートの火はあっという間に広がり、俺と翡翠は共に虹の橋を渡った。


 薄れゆく意識の最後に、先輩の叫び声を聞いた気がした。



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