第51話 約束

「好きです」


 端的にメッセージを伝えた。空が明るくなっていき、雲の隙間からスポットライトのように光が差し込む。俺は夏織さんをぎゅうと抱きしめる。もう離れ離れにならないように、とても力強く。


「~~!」


 夏織さんは言葉にならない声を発していた。喉の隙間から空気だけが漏れ出ているような感じで、何も言うことができないみたいだ。顔色は分からないけど、きっとすごいことになっているんだろうな。


「夏織さん」

「ひゃっ!」

「お返事、聞いてもいいですか?」

「ふぇっ? え……えっと……」


 こんなに気の抜けた声を聞くのは初めてだ。ある意味返事は決まり切っているようなものだけど、夏織さんの反応が見たくてつい急かしてしまう。この人は本当に可愛らしいな。


「れ……怜」

「はい」


 そっと夏織さんから手を放して、近距離で互いの顔を見つめ合う。恥ずかしそうにしてはいるけど、夏織さんは俺の目を真っすぐに見つめている。やっぱり誠実な人なんだな。


「私も……わたっ、私も……」


 夏織さんは必死に口を動かし、言葉を発しようとしている。その様子が本当に愛おしくて、自然と頬が緩んだ。素直で、曲がったことが嫌い。そんな自らの生きざまを表しているかのような、シンプルな言葉で――夏織さんは返事をくれた。


「怜のことが好きだ!」


 大きな声で、元気よく。いろいろな感情が詰まっているようにも、好意だけの純物質のようにも聞こえる言葉だった。夏織さんはパッと目をそらして……照れ臭そうにはにかむ。


「……こんな不束者で良ければ、恋人になってくれないだろうか」

「はい。喜んで」

「ほ、本当か?」

「はい! たった今から、僕は……夏織さんの恋人です」

「じゃ、じゃあ私は怜の恋人?」

「そう思っていただけるのなら」

「もちろんだ! そうか……私は、怜の恋人になったんだな」


 夏織さんは大きく息を吐いて、感慨深そうにしている。その様子を見て、自分の身体からも力が抜けていくような気がした。


「はあ~……」

「れ、怜!?」


 気付けば俺は、再び車椅子に腰を下ろしていた。良かった。これからも、ずっと夏織さんと一緒に過ごすことが出来るんだ。本当に……本当に良かった。実家に帰る前に松島まで来たかいがあったな。


「すいません、安心しちゃって。ずっと気張っていたものですから」

「そ、そうか。……怜、一つ頼みたいことがあるのだが」

「なんですか?」

「その……そろそろ、敬語を使うのはやめてくれないか?」

「えっ?」

「怜がすごく丁寧な人間であることは分かっている。だが……なんだか距離が遠い気がして、寂しいんだ」

「ああ……」


 言われるまで何も思わなかったけど、たしかにそうだな。俺と夏織さんは、もう……恋人なんだ。敬語なんて使わないで、もっと親しく話した方がいいかもしれない。


「わかりまし……わかった、敬語はやめま……やめるよ」

「怜、変だぞ」

「分かってますってば! 慣れないんですよ、夏織さんに敬語を使わないの」

「そうだっ、いい加減に『さん』付けもやめてもらおう」

「えーっ、そんな一気に変えられないですって」

「何を言う? 私をタクシーに押し込めた時、怜は『夏織』と呼んでくれたじゃないか」

「あっ、あれは慌てていたので!」

「まあいい、私と怜は恋人なんだ。時間はたっぷりあるのだから、慣れてくれればいい」


 そう言って、夏織さんは俺の背後に回り込んだ。車椅子のストッパーを外して、ゆっくりと押してくれる。


「夏織さん?」

「怜は時間がないのだろう? タクシーのところまで押していく」

「あっ、ありがとうございます」


 夏織さんに押されるまま、展望台から離れていく。ちょっと意外だな。いつもなら「もっと一緒にいたい」とか言うところなのに。


「なんか、珍しいですね」

「何がだ?」

「夏織さん、僕と別れる時はいっつも名残惜しそうだから。やけにあっさりだなって」

「体調の悪い恋人を引き留めるなんてことはしない」

「ああ、なるほど」

「それとも……」


 ふと背後を振り返ると、夏織さんが珍しくニヤニヤとしていた。すっげ、この人の顔を見て腹が立つのは初めてかもしれない。なんだよもう、いったい何を――


「わっ、私がいないと寂しくて泣いてしまうのか!? まったく、怜はお子ちゃまだな!」

「!?」


 絶対この人調子乗ってる! 初めて恋人が出来てウハウハの人間の顔をしてる! いつもの冷静で寡黙な夏織さんはどこに行ったんだ!? いや言うほど寡黙でもないけど!


「もうっ、怜は私がいないと駄目なんだな……!」

「そうですけど」

「えっ?」

「もう夏織さんがいなくちゃ生きていけないんです。夏織さんが大好きで好きで好きで好きでたまらないんですけど、どう責任を取ってくれるんですか?」

「ななななな何を言い出すんだ急に!?」


 言われっぱなしも癪なので反撃してみると、夏織さんがいつも以上に慌てていた。やっぱりこの人はこうでなくっちゃな。本当に可愛いな、俺の恋人は。


「……なーんて、僕が言い出したらどうしますか?」

「えっ?」

「冗談ですって! あんまり本気にしないでくださいよ」

「ひっ、ひどいぞ! 私の心を弄んで! だいたい怜が思わせぶりな台詞ばかり言うのがいけないんだ!」

「例えば?」

「言わせるのか!?」

「言えないんですか?」

「れっ、怜はどうして私に恥ずかしい思いをさせたがるんだ!?」

「可愛いからですけど」

「そういう台詞が良くないんだっ! 他の女にも言ってないだろうな!?」

「言ってたらどうします? 例えば、白兎さんとかに」

「桜を殺して私も死ぬっ!」

「やめてくださいね!?」


 ごめんな白兎、勝手に名前を出したうえに殺されちまったよ。俺たちの恩人だってのに、仇で返されてばかりだなアイツは。今度飯でも奢ってやろうかな。……いや、それこそ夏織さんに殺されてしまいそうだからやめておこう。


「言っておくが怜、浮気なんかしたらただじゃ済まないぞ」

「大丈夫ですよ。夏織さんのこと、大好きですから」

「……ふ、ふ~ん。どれくらい?」


 夏織さんがわざとらしい口調で尋ねてきた。どれくらい、と聞かれると案外難しいな。だけど、敢えて言葉にするなら。この人をどれくらい愛しているのか、言葉に残すとするなら――


「お嫁さんに貰ってもいいくらい、ですかね」

「れっ、怜の大ばかものっ……!」


 軽く後頭部を叩かれてしまった。かえって心地よい感触だな。噓から出た実、とでも言えばいいのか……。


「まったく、ちゃんと体を治してくるんだぞ!」

「分かってますよ。すいませんね、付き合って早々に」

「いいんだ! 私は怜と違って、寂しくても泣かないからな!」

「別に、僕も泣かないんだけどな……」


 うさぎか何かだと間違われているのだろうか。別にそれでもいいけどさ。なんて戯言を心の中で呟いていると……夏織さんの足が止まった。


「夏織さん?」

「怜、約束だ。ちゃんと戻ってくると、私に誓ってくれ」


 振り向くと、夏織さんは真剣な眼差しで俺のことを見つめていた。ここ数週間、いろいろなことがあった。きっと不安に思うこともあるのだろう。だから――


「約束します。必ず、夏織さんのところに戻ります」

「ああ。破ったらただじゃ済まないからな!」


 満面の笑みを心に刻んだ。今度は絶対に忘れないように。今日という日を、夏織さんという恋人を、忘却の彼方に追いやることのないように。


 間もなくして、タクシーのところに戻ってきた。俺の帰りに気がついたようで、運転手さんはドアを開いて移乗の準備をしている。車両のすぐ近くまで来たところで、車椅子を停めてもらう。


「夏織さん、今日はありがとうございました」

「ああ。気を付けるんだぞ」


 夏織さんの手を借りて、車椅子から立ち上がる。あと一か月はお別れなんだな。


「夏織さん」

「ん?」


 タクシーに乗り込む間際、夏織さんに声を掛ける。しばしのお別れ、だけどきっとまた会える。だから――


「じゃあ、行ってきます!」

「ああ、行ってこい!」


 元気な声に見送られて、松島を後にしたのだった。


◇◇◇


 お読みいただきありがとうございます!

 次回、最終回となります!

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