クラウドナイン2nd  Make a boo-boo

みなかみもと

プロローグ

プロローグ


 フロントガラス超しに見える曇天に、セイはふぅと息を吐いた。

 天気で気分が左右されるタイプではないと思っていたが、どうにも今日は気分が暗い。

 理由の幾つかは分かっていた。

 ここ最近、学業が忙しく、まともに睡眠がとれていないこと。

 その為、天気の悪い日になると頭を締め付けるような鈍い頭痛がおこること。

 そして最後が、最大の原因だ。

「欲しかったな……限定チョコ……」

 手の中の単語カードを捲りながら呟くと、横から不機嫌な声がした。


「おい、いつも前を向いていろとは言わないが、もう少し真剣に同乗してくれ」

 そう言われたので、左を見ると、そこには眼鏡をかけた若い南部人が、不機嫌そうにハンドルを握っていた。

 この辺りでは珍しい濃い色をした肌は、今日は袖をまくり上げているので二の腕まで露出させている。だがセイとしては、その肌の色よりも「なんでそんなムキムキ?」の方が疑問としては大きい。彼の職業は魔導工学者、いうなれば学者であって、デスクワークの方が多いはずなのに。少なくとも、妙齢の魔導工学者である経営者二人は、ここまでムキムキしてはいない。

 だが、張りのある褐色の肌を見ていると、買いそびれたチョコを思い出してセイは再びため息を吐いた。

「……そんな、売り出して1時間で売り切れるなんて思わないじゃないですか」

「今、とても失礼な連想をしただろう?」

 己の腕を見て違うものに思考が及んだのを明確に察して、南部人ことタジャは苛立たしく呟いた。

 経営者の一人であるアンヘルに頼まれて、港地区までに魔導製品を納品に来た迄はいいが、その横に座る同乗者が問題だ。

 タジャこと、タジャニ・ルーファンは、現在免許所得中である。元々、故郷で兵士をしている際に重機運転までの免許も所得していたのだが、故郷オテドラの免許は国際免許申請が出来ないため、一からライセンスを取り直しているところなのである。

 ライセンス申請に必要なのは筆記試験合格と、100時間の運転実習。この実習において、五年以上の免許保持者が同乗しないといけないわけなのだが、その指導同乗者として白羽の矢が立ったのが、横に座るセイというわけだ。

 優良ドライバー歴六年の彼女は、まさに指導同乗者としてはうってつけのはずだったのだが。

「……不満だ」

「なんか言いました?」

 明確にその言葉を聞き取っていたわけだが、敢えてセイは声に出して問い返す。だがその問いかけを無視して、タジャは前方をムスッと見つめた。


 横に座るセイことミテグラ・セイは、十代の少女に見える。だが実際はタジャと同じ二十三歳であり、彼が勤めるライアン商会の社屋と家屋、並びに従業員の生活を管理する管理人であり、ついでに言えば現役の大学生でもあった。

 先月とある事件の為に、卒業学年であるにも関わらず担当教官の変更がなされたセイは、これまで専攻していた魔導製品訴訟から離れ、現在は特許申請を主にした弁理士育成の研究室に所属していた。

 この時期に研究室だけでなく、専攻も変えるのっ?!

 と大学側からはかなり言われたそうだが、そこは鉄の意思を持つ女のセイなだけあって、

「やります、やれます、やらせてください」

と言い切って乗り切ったらしい。

 気の毒なのは、新たな指導担当となった教授の方だろうと、タジャは話を聞いた時は思ったが、意外なことに「その心意気や由!」と彼女に対して概ね好意的に受け入れをしてくれたそうだ。しかし、その分課題の数も半端なものでないらしく、セイは現在管理人としての仕事をしながら空いた時間はすべて学業に費やしていた。

 その合間に、こうしてタジャの運転する車に同乗して、彼の運転の責任指導同乗者としても務めを果たしてくれているわけだが。

「……なんで選りによって……」

「まだブツブツ言ってます?」

 先週から始めた運転実習なのだが、今のところほぼ毎日、日に一時間程セイと二人でドライブをすることが、未だにタジャとしては納得がいかない。会社の経営者の一人、妙齢のアンヘルが同乗者となってくれるものだとばかり思っていたのに、蓋を開ければ自分よりも小柄で、幼く、ついでに言えば可愛らしいとまで言われることの多いセイが「指導」同乗者というのは、大変居心地も悪いし気分も悪い。男の沽券というわけではないが、何より車内とはいえ密室に一時間以上も一緒にいるのが、何故かタジャの心をざわつかせる。

 だがそんな風にこちらが思っているにも関わらず。

「……ふわぁ……」

気の抜けた欠伸の声に、タジャは前方確認しながらもチラリと声のした方を見た。

 明らかに眠そうな顔つきで、セイが単語カードを捲っている。長い上睫が下睫にくっつきそうだ。

「寝るなよ」

 端的にそれだけ言い放つと、セイの体がビクッと震えた。そしてやや不機嫌な声で

「寝ませんよ……! なんたって私、今、指導同乗者ですから!」

と高らかに宣言して見せた。


 そうかそうか、それなら寝ないで欲しいものだな。

 すでに二日前、盛大に居眠りをこいていたセイに言われて、声には出さずタジャは反論する。だが実際に疲労は溜まっていることだろう。新しい研究室に多くの課題。弁理士試験に向けての勉強、そして通常の管理人業務とあれば、日中でもついウトウトしてしまうのは理解できた。

 その後、しばらくセイは無言だった。

 単語カードを捲る音と、走行音だけが車内に響く。

 しかし、ややあってセイが徐にタジャの方を見た。

「タジャさん」

「……なんだ?」

 あれほど呼ぶなと何度も注意したが、未だにセイは愛称で呼んでくる。

 もう諦めたので、仕方なく返事すると、セイは至極真面目な声で聴いてきた。

「大声で歌っていい?」

「駄目だ」

 すぐさま拒否したが、セイは聞く耳を持たずに「きになるあのこのあたまのなかは~!」と大声で歌い始める。眠気を吹き飛ばす最終手段なのだろうが、うるさい事この上ない。

「うるさい、やめろっ」

「ふつう~ふつう~わりとふつ~!」

 歌自体はうまいのだが、近距離での大音声は勘弁してほしい。

 そういえば実習初日に「……車内で二人か」ともう一人の経営者であるリオーナが、露骨に眉をひそめてタジャに警告した。

「……手を出すなよ」

 言われた時も「まだ言うか」と思ったが、改めてタジャは思う。

 この状態のどこに、そんな状況が生まれるというのか?!


 ライアン商会社員、タジャニ・ルーファンと、管理人ミテグラ・セイは、そんなわけで本日も変わりない時間を過ごしている。

 

 だがこの数時間後、次なる事件が彼らを待ち受けていることを、無論二人は気が付いていなかった。

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