第10話 男子中学生憧れのシチュエーション
右か、左か。東雲は木刀の柄を握り直す。なぜ西洋ファンタジーの世界に木刀があるのか。その疑問を考える余裕はない。視線の先に前傾姿勢のクレスト。一息で間合いを詰める彼女は木刀を後ろ手で構えており、攻撃がどちらから来るか分からない。
「いざ、勝負」
至近距離で響く凛とした声がゴングとなる。直後、クレストの引き締まった体が右に揺れた。来る。東雲は木刀で防ごうとしたが、疑問を頂いた。あまりにも分かりやすい。もしかしてフェイントではないのか。そう考えた瞬間、手首に強い衝撃が走って思わず掌を開く。持ち主を失った木刀が草むらの中に墜落した。それを目で追う余裕はない。返す刀で放たれた打撃が東雲の脇腹を撃ち抜いた。肉が震え、骨が軋む。東雲は小さな悲鳴を上げながら、得物と同じところに吹き飛ばされた。
「……クレストさん、強いですね」
草を噛み締めながら、東雲は呟いた。よもぎの味がする。
「これでも手加減している。稽古とはいえ、剣を振るなら覚悟を決めろ」
クレストの声は冷ややかだった。やはり剣術の素人だから呆れられているのだろうか。基礎的な鍛錬もせずに稽古を乞うたのは間違いだったかもしれない。その後悔が誤っていると彼はすぐに知った。
「私が茶に誘ったのに、ヘルツやマハトと遊んでいたことは関係ない」
「絶対根に持ってるじゃないですか」
水に沈められ、永遠と走らされる中ですっかり忘れていた。前の世界では絶対にされなかっただろう誘いを無碍にするなんてどうかしている。と、東雲は思ったもののどうすれば彼女との約束を守れたかまでは分からない。
「まあ、君の無礼は今ので水に流すこととする」
「めちゃくちゃ関係あったじゃないですか」
何はともあれ助かった。同じ打撃を何度もされては昼食をすべて吐き出すところだった。ちなみに昼食は鯖の煮付け。元の世界と文化が変わらないことにはいい加減慣れた。
「それはそうとタイキ、貴方は剣術の素人だから技量は時間の問題だ。ゆっくりと教えていく。差し当たって解決するべき課題は心意気だ」
真面目にしているつもりだったが、彼女にとっては甘かっただろうか。しかし、現代学生と異世界騎士のカルチャーショックは論点ではなかった。
「剣を振った後に迷いがあっただろう。本当にこれで良かったのか疑問に思った」
見透かされて東雲は心臓が跳ね上がる。戦いのさなかでそこまで見られていたのか。彼女の余裕に圧倒的な実力差を感じずにはいられない。
「それでは駄目だ。絶対に勝てない。一度決めたのなら、選択が正しいと信じて振り切る。そうして初めて勝負ができる」
東雲は疑問を飲み込んで頷いた。だが、納得ができず吐き出すように口を開く。
「……外れていたらどうなるんですか?」
「真剣なら死ぬ。だが、それでも信じなければ勝負にさえならない」
死。その記憶が呼び起こされ、肌に冷たさが張り付いた。だが、その一方で奇妙な納得感が胸を包み込む。前世で少女を助けようとした時、自分は覚悟を決めていなかった。もし選択に全てを賭けたのなら、二人共助かったかもしれない。
「とはいえ、習得には時間がかかる。焦らなくて良い。まずは意識をするところから始めていこう」
口角を少し釣り上げて、クレストは微笑む。普段は見せないその顔に思わず見とれていると、複数の足音が草むらを踏みつけた。
「よう、クレスト。奇遇だな」
現れたのは洋装に身を包んだ若者の集団だった。彼らが学ランを着ていれば、ヤンキーと見分けがつかないだろう。リーゼントヘアは次元を超えて不良の象徴らしい。
「お引き取り願おう。君たちと話すことは何もない」
「おいおい、まだ何も言っていないぞ」
冷たい声に品のない笑いが返ってくる。直接向けられていない東雲でさえ、鯖の味噌煮が込み上げてくるような不快感を覚えた。
「最近、女の転生者を迎えたんだけどな。どうも陰気で思わず追放しちまった。だから代わりに入ってくれよ。シェーンの野郎も他に女がいるんだから、譲ってくれるだろう」
「丁度良い、タイキ。このゲス共を追い払ってくれ」
クレストは男を無視して、東雲に向き直った。並の男を歯牙にもかけない美女がこちらに話しかける。何とも言えない優越感が湧き上がるが、恐怖を打ち消すほどではなかった。
「……クレストさんでも厳しいのですか?」
おそるおそると聞くと、クレストは呆れたように手を上げた。
「踏み潰せるからとゴキブリに強く出ないだろう」
「クレストさんってめちゃくちゃ言いますね」
この世界にもゴキブリがいるのか。そこはかとない生命力に感心していると、しなやか手が東雲の肩を叩く。
「女の子が困っているんだ。男気を見せてくれ」
エメラルドのような瞳に東雲は思わず視線を奪われた。異世界で女の子から助けを求められるシチュエーションは妄想逞しい平均的な日本男児なら憧れるだろう。若かりし頃の悲願を叶えた東雲はこう思った。想像と違う!
「男に用はねえ、殺す!」
集団の一人が手元の剣を抜いて、こちらに向かってくる。日本の不良とは『殺す』の本気度が違うらしい。東雲は思わず一歩退いた。
「やっ……」
クレストなら彼らを返り討ちにできる。彼女に頼まれたからと、巻き込まれた自分がわざわざ戦う必要はない。賢く生きるならそうするべきだ。だが……。
――眼の前で起きていることから目を背けて何も見ない。俺は本当にここにいるのか。
そうしたくない。東雲はそう思った。
「やめろ!」
東雲は剣を抜いて男に斬りかかる。予想外の行動を目の当たりにし、瞳が大きく開かれた。放たされた斬撃は空間を引き裂き、止まることはない。つまり、男には掠りもしなかった。
「ははっ! どこ狙ってんだ」
外した。冷や汗が一気に噴き出す。敗北者に浴びせられるのは嘲笑だけではない。見上げれば、刃が頭上に振り上げていた。
「死ね」
思わず閉じる。しかし、大きな金属音が鳴り響いて一瞬で開かされた。男の殺意はない。折れた刃と嬉しそうなクレストだけが視界に映る。
「悪くない。成長したな」
顔を引き攣らせながら後退りする男。クレストはその腹を側面で叩いて、突き飛ばした。
「剣戟なら付き合おう。ただし、以降は刃を使う」
男たちはしばらく立ち止まったが、3つ数える前に背を向けて走り出す。プライドと命の優先度は前世の東雲と同じらしい。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
「なに、君のためだ。ゴキブリぐらい触るさ」
クレストは唇を少し曲げて笑う。その仕草に思わず胸を高鳴る東雲。これもまた男子中学生憧れのシチュエーション。しかし、東雲には一つ不満がある。
――逆じゃない?
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