"Remember"

@morimorimoyashi

「めっちゃ真面目じゃん」

軽薄な声とともに明るい髪が視界に落ちてきた。

英単語帳を見つめる私をからかいながら、彼女は前の席に腰を下ろした。真似するように英単語帳を覗き込んでくる。


「今度のテスト?」

「そうだよ」

「それさ、役に立つ?」

「何もしないよりは」


ふーん、ともう興味を無くしたのだろう彼女は、指先を彩るネイルをいじっている。桜貝のような淡い色でよく手入れされていて、艶めいていた。


「……遊んでいる暇は、ないから」


自分が言ったのに。声色が妙に冷たかった気がして、逃げるように単語帳に目線を落とした。

彼女はどう受け止めただろうか。俯いた視界には硬い手触りの、小さな白い枠の中に英単語がぽつんと浮かんでいるばかりで、前に座る彼女の表情は伺えない。

誤魔化すように単語帳をめくる。ただ指先に厚紙の感触があるばかりで、現れてはページの底に沈む単語たちを眺めていた。


──私はひどいことを言ってしまったんじゃないか。

でも学生なんだから。今はテスト期間なんだから。勉強しなくちゃいけないじゃないか。

将来のために、遊びではなく、勉強をする。

それはきっと、正しい。


──なら、なぜ私は、彼女の顔を見られないでいるのだろう。


教室のざわめきが辺りを包む、それがやけに遠く感じた。

誰も私たちの間に入ってはこない。この沈黙を壊してはくれない。肯定も、否定も、からかうことも、何もない。

みんな無関心のままざわめきだけが漂っている。




「……たまにはさ、遊んでもいいんじゃない?」


沈黙を破ったのは彼女だった。


「最近付き合い悪い……とは言わんけどさ。いや言うわ、あんた付き合い悪くなったじゃん?」

「……そうかな、ごめん」

「いやー?別にいーんだけどさ?それは?別に?各々の事情がありますからな?」


たださあ……と、きまり悪そうに眉間に皺を寄せた彼女は、いつもの、お調子者の姿がなりを潜めていた。


「……さみしいんよ、こっちは」


窓の外を、ざあっと強い風が吹き抜けたのだけが聞こえた。

大きなため息を一つこぼし、今度は彼女が目線を逸らす番だった。

呆気に取られているこっちをよそに、滑りの悪い椅子が音を立て、彼女が立ち上がった。


「まあ、あんまり頑張りすぎなくてもいいよ」


いつの間にか取り出していたスマホをいじりながら、それでも彼女の声音は暖かく思えた。


教室の出口に集まっていた女子グループに手を振りながら、彼女が小走りで去っていくのを見届ける。

その背中がどんどん小さくなっていく。ざわめきの中に彼女は溶け込んでいく。

私一人が残されている気がして、ひどく居心地が悪かった。

もう帰ろう。

荷物を片付けようとして、ふと、握りしめていた単語帳に目をやった。


──その瞬間、私は駆け出していた。


音を立てて引かれた椅子を戻しもしないで、引っ掴んだ鞄はチャックが空いたまま。かろうじて中身がこぼれないように抱え込んで教室の出口へ向かう。

まだ、間に合うかな。

あなたを忘れたわけじゃないって、信じてくれるかな。

ちっぽけな単語帳を握りしめ、私は彼女の背中を追いかけた。

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