外見に注意

ひとあけて、

紫苑しをんはまだ、撫子なでしこのぬくもりをのこしてをりぬ。


ゆめうつつか──

あのくちびるねつ

ふれるゆびなめらかさ、

はだ吐息といき──


それらすべてが、

つきのしたでわした秘密ひみつかをりとなりて、

紫苑しをんそでめてをりけり。



---


そのもまた、

ふたりはやしろのかたはらにてふ。

紫苑しをんひとみは、

すこしだけつやびてゐたり。


撫子なでしこ……

なにゆゑ、そちはわらはに、

かやうなよろこびをおしへしや?」


「それは──

そちがいとしきゆゑに」


撫子なでしこことへぬまま、

紫苑しをんこしへとそっとへ、

せてくる。


ころもれるおとが、

草葉くさはのかげに、かすかにひびく。



---


──そのとき。


木々きぎむかう、

わずかにうごかげあり。


ひと気配けはい

それは、のせひか。

それとも、まことに──


撫子なでしこ……だれか、りますや……?」


「……らぬふりをいたしましょう」


撫子なでしここゑは、

ふだんよりひくく、あつさをびてゐた。


のぞかれてをるかもしれぬとおもふほどに、

わらはのは、あらがへぬほどうづまうす」


「……や、あな……」


はづかしき?

それとも、よろこびにふるふ?」


紫苑しをんことばまり、

ただ、撫子なでしこ指先ゆびさきをゆだねてをりぬ。



---


たれぞにられてをるかもしれぬ、

その不確ふたしかな刺激しげき


かすかにくさのそよぐおと

ささやきほどのきしみ。

かぜか、いきか、視線しせんか。


すべてが、

ふたりのおこなひをあおりて、

紫苑しをんむねともしぬ。


撫子なでしこが、

紫苑しをん首筋くびすぢをなぞり、

そのままみみもとへとくちづけをとす。


「……そちのかほ

ほてりてくれなゐまりし」


「……もはや、はづかしさとよろこびと、

どちらともつかぬものにさふらふ」


「それでよい。

そのまま、そちであれ」



---


そのとき、また──


くさおく

ひとしれずおと


だれぞ、たしかにりぬ。


なのに、撫子なでしことどまらず。

紫苑しをんも、あらがへず。


ふたりの呼吸こきゅうが、

ひとつになりて、みだれはじむ。


「……たれぞに……がれし、

わらはのかをり……」


「そちのよろこびは、

たれひとみうつることを、

もとめてをる」


「や、そんな、あな、いけませぬ……」


「なれど、

そちのはだが、

わらはのゆびにてふるふを、

このものせつくしたくおもふてならぬ」



---


──ふたりのあひだ

よひかぜがすりける。


まるでたれかの吐息といきのやうに、

なまめかしくも、あたたかく。


紫苑しをんあせがつたひ、

撫子なでしこほほあかゆる。


のぞかるるよろこびは、

ふたりにとって、もはや「禁忌きんき」ではなかった。


それは、

ふたりだけの「儀式ぎしき」であり──

よひふかちぎりの、ひとつのあかしであった。



---


たれかがる。

それでもはなれぬ。


られて、はなもある。

めて、ちるこひもある。


ふたりのそでかさなりしとき──

とほく、鹿しかこゑひびきたり。


そのおとは、

たしてただのけものこゑか。

それとも、もの吐息といきか。


──それをものは、もう、

ふたりではなかった。

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