金屏風(きんびょうぶ)

マヌケ勇者

本文

「金屏風(きんびょうぶ)」



 昔も昔のお話です。まだ城に天守閣があって、その下に町民が住んでいるころのこと。



 あまり裕福とは言えない住人の集まる区域の、土通りの裏にある俺の住む長屋。

 そこにこの娘はいつから遊びに来るようになったのだろう。

 梅の花の名残りのような頬をして、控えめな丸髷(まるまげ)をした――

「おい、お前少し髪の形崩れてないか?」

 俺の言葉に、娘の笑顔が驚きに変わる。

「え、うそうそ、直してよ!」

 そう言って懐の物入れから櫛を出して俺に渡す。

 適当にだが――これでいいだろう。ちょっと無理に直す。でも慣れたもんだ。

 それで、なんでこいつは遊びに来るようになったんだっけ。そうそう。




 ある日の町の通り、俺は納品を終えて金があり、昼間から一杯やった帰り道のことだ。

 そこの道端でうずくまっている女が居た。

「おう、嬢ちゃん何してるんだ?」

 上機嫌の俺は親切に声なんてかける。

「いえ、急に下駄の鼻緒が切れてしまって」

 ふぅん。

 酔っぱらいは威勢がいい。俺は懐から薄い手ぬぐいを出すと、細長くびりりと割いた。

「そんな、悪いですよ」

「気にすんな。もう布は割いちまったんだ。下駄貸しな」

 かがんで受け取った、黒塗りの長円形の小ぶりな下駄。

 たしかに鼻緒は切れている。

 そこに替わりにねじった小汚い布を通して結ぶ。

「ほら、これでどこへでも歩いて行けるぞ」

 言って娘の足袋を履いた足にそれを差し出した。


 それで娘からの距離が近くなったせいだろう。娘は気付いた。

「お兄さん、不思議な匂いがしますね。これは――絵の具の匂いですか?」

 予想外の正解に俺は驚いた。

「よく絵の具だとわかったな。絵が好きなのかい」

「ええ、大好きです! ――ところでお兄さん、お住まいはどちらですか?」

 俺の家なんて聞いてどうするんだろう。

「鼻緒のお礼がしたいんです」

「いいって、あんなぼろ手ぬぐいの礼なんて」

 だが娘は困ったような顔をする。

「それでも――。あ、そうだ! じゃあお兄さんの絵を見せて下さい」

 なんだそりゃ。

「絵を見せてくれたお礼なら。それなら自慢の仕事だし良いでしょう?」

 なーんか、言いくるめられてるみたいで嫌だな。

 だが娘はどこか嬉しそうに俺の後ろを着いてきているのだった。




「ほら、汚いけど上がっていいぞ」

 俺の家の部屋を示すと、開口一番娘は言った。

「わぁ……ほんとに汚いお部屋ですね!」

 うるっせぇ。

 たしかに俺の部屋は掃除がされていなくて薄汚れていた。

 それに極めつけには、部屋の隅の板の間に惣菜の詰め箱やら木の皮に竹の皮。

 積み上げられてちょっと嫌な臭いをはなっている。


「奥さん、いらっしゃらないんですか?」

 いねぇよそんなもん。

 言いながら俺は懐の財布から適当に小銭を掴んで、隣の家に「おい!」と呼んだ。

 すると小僧が出てくるので鉄瓶を差し出して「茶」と頼んだ。

 そいつの手に小銭を掴ませると、そそくさと家へと戻っていった。

「え? お茶、隣の家の人に頼んでるんですか?」

 そうだよ。

「おもしろいお家ですねぇ!」

 面白いってのは不本意だな。



 そうして俺が茶を待っていると、娘はかがんでひょいひょいと床のごみを拾い集め始めた。

「お前何やってんだ」

「何って、お掃除ですよ」

 なんで俺は客に掃除させてんだよ。いいから座ってろよ。

 だが娘はなかなかに頑固な気性を持っているらしく譲らない。

 掃除は茶が届いても少しばかり続き、遂には俺の部屋がすっかりきれいになってしまった。


「こうなると、何か礼をしなくちゃいけねぇなぁ」

「何もいりませんよ。お礼に来てお礼されるなんて、あべこべですもん」

「そういうもんかね。そういや、ちょうど絵を見たいって言ってたな」

 俺は部屋の隅に積み重ねてあった扇子用の紙を取った。

 娘がのけてあった絵の具を引き寄せると、さらさらと筆を滑らせ始める。

 そこに段々と描かれていったのは、左右に咲いた梅の枝だった。


「すごい、みるみる出来上がりましたね! まるで手品みたい!」

 娘の反応が俺には照れくさい。

「まぁ、気に入ったんなら扇子屋に持ち込んで仕立てるといいさ」

 照れから、ついついそっけない言い方になってしまう。

 奇遇なことに、娘の名も梅と言うらしい。

 俺の名前は万次。だから絵には卍(まんじ)の雅号を記す。

「なんだかかっこいいですね!」

 照れというか、号に何か若気の至りの恥ずかしさを俺は覚えつつあった。




 それからの事、梅は時間を見つけては俺の部屋を訪れるようになった。

「お前さ、こんなむさ苦しい男部屋に居ていいのか? 仮にも嫁入り前の娘がさ」

 少々むっとして梅が言い返す。

「私の勝手です。それにお部屋の方もだいぶ整ってきたでしょう」

 確かに彼女が現れるようになってから、掃除は行き届いているし、なんなら簡単な台所用品すら増えている。

 かつては思いすらしなかった変化だ。


 そんな事を頭に浮かべながら俺は梅の方を見た。

 彼女はやがて視線に気づきこちらを見つめ返したが、程なくして視線をそらした。

 その頬はやはり紅梅のように鮮やかだった。



 ある時は娘に、似顔絵を描いてやったら大層喜ばれた。

 彼女は持ち帰ってそれを自慢気に父と、丁度そこに居た若い番頭の銀蔵に見せたらしい。

 だが父はどこか複雑な表情だった。


 娘が部屋に戻ってから彼は銀蔵にぽつりと言った。

「あの絵は恋をしている娘の表情じゃなかったかい」

 作業の手を止めて銀蔵が答える。

「たしかに――実は私にもそう見えました。お嬢様もお年頃なのですね」

 父親は、しかしなぁ――と、

「紅屋さんとの話はもう決まっているのだがなぁ」

 そう頭を悩ませたのだった。




 その頃俺は、婚礼に使う大きな金屏風に絵を入れていた。

 図案は梅に一対の鳳凰。鳳凰は俺の好きな題材だ。

 まぁ、大仕事が嬉しいかそうでないかは複雑な胸中だったが。

 それでも俺は思い切って全身全霊を賭けてこれを仕上げる事にしていた。


 近頃の梅は、以前のようには頻繁に現れなくなった。

 たまにやって来たかと思えば、絵を描いている俺にしばらくしてから変な事を言う。

「万次さん、もし私が結婚する日が来たらどうします?」

 彼女はいつかの梅の扇子をいじりながらたずねた。

「しらんなぁ」

 敢えてとぼけた返事を返す。

「あのねぇ。いいんですか? もうお掃除しに来てあげる事もできないんですよ」

 俺は筆をしばし止めた。

「ずいぶん、俺はつまらなくなるな」

 それでも、俺は言葉を続けた。

「全ては浮世の夢。俺は短い夢から覚めて、お前の新しい夢が始まるんだ。紅屋の旦那は良い男らしいじゃないか」

 世情にうとい俺でさえ知っている事だった。


 俺は彼女の顔を見なかった。どういう表情をしていただろうか。

 感情が高ぶった彼女は俺に手元の閉じた扇子を投げつけ、そのまま帰ってしまった。

 ちょっと痛かったが、これからの暮らしの置き土産にはちょうど良かった。




 婚礼の日も近づくある日、父親は梅を呼んだ。

「神田屋さんが手配してくれたんだ。ご覧なさい、見事な屏風だろう」

 それは、婚礼に使う金屏風だった。

 いつか見た――梅に一対の鳳凰の図案の。

 それは今にも羽ばたかん力強さがあったが――

「おや、変ですね」

 通りかかった目ざとい銀蔵が言った。彼は絵に顔を近づける。

「ああ、よく見て下さい。この鳳凰、間近で見ると瞳がまるで涙を浮かべているようですよ」

 一体なぜそのような意匠に。そう父は悩んだ。

 梅が鳳凰の瞳を見ると、まさに銀蔵の言う通りだった。


「ああ、もう本当に世話が焼ける人なんだから!!」

 言うなり彼女は外へ飛び出して行ってしまった。

 それを見て父は薄々察した。

「似顔絵を描いたのは、もしかするとこいつなのかな」

「どうでしょう? でも愛しい人の幸せを願う心は、旦那様も私も同じじゃありませんか?」

 銀蔵はさらりと本心を言った。



 その日は訪れた。

 白無垢を着た彼女と――俺の後ろで、手直しされた鳳凰の瞳は力強く開かれ互いを見つめていた。

 これからは絵を輸出して稼げという事らしい。仕事が忙しくなるな。

 俺は彼女とどこまで飛んで行けるんだろう。できれば、どこまでも。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金屏風(きんびょうぶ) マヌケ勇者 @manukeyusha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ