こもり姫の薫香帖 ~出会いはときめく恋の香り~
砂里えり/ビーズログ文庫
第一話 二の姫、ひと味違う縁談相手と会う
1-1
左大臣
「しっ、失礼する!」
激高した声が屋敷の
「左大臣の
ここが左大臣家であり、相手がその娘であることも忘れ、彼は好き放題に暴言を
一方、当の本人である咲良は、何ごともなかったかのように部屋ですり
彼女は今、「
「咲良さま、
お茶を持って現れた侍女の
意思の強そうな
「だってあの男、薫物などって言ったのよ」
半年くらい前から、直平が貴族の
先ほど
しかし彼は、薫物づくりは職人がするものだと馬鹿にして、身なりを整えるようにと綾織物を貢ぎの品として咲良に持ってきた。それで咲良が「
「もう二度と会わないわ。今度来たら、知らぬと言っていると追い返して」
咲良が吐き捨てるように言うと、六花は困り果てた様子でため息をついた。
「ですがこれで七人目でございますよ。その前は
六花が指を折って、今まで訪れた公達を数える。あらためて数えられると、咲良は言い返す言葉もない。ちなみに、もう誰が誰だか覚えてもいない。
「大納言さまのご子息なんていたかしら?」
「いらっしゃいました。ほら、ご自身も薫物には
「ああ、あの、うんちくたれね。
伽久羅の国では、昔から香りの強い花木や薬草などを燃やし、身の回りを
薫物は千里京に住む貴族たちに重宝され、香りを楽しむだけでなく、日々のあらゆる
咲良はそんな薫物づくりが得意だ。人より鼻が
たしなみの一つとして貴族が自ら素材を調合することはよくあるのだが、咲良の知識と
技量は専門の薫物職人並みである。そんな咲良にとって大納言の
「あの程度で詳しいと自慢されて、正直困ってしまったわ。必死に
「でも咲良さま、ご子息さまはご自身の薫物を次はお持ちになるとのことでしたでしょう? 薫物好きの咲良さまに
「違うわね」
咲良はきっぱり否定して、ぎりっと
「だって、女が作る薫物は物足りないものばかりだって言ったのよ。あれは、自慢したくて仕方がないって顔だった」
そこにあるのは、自分の優位性を示そうとする
「できれば会いたくない。いっそ、私のことなんて忘れてくれていたらいいのに……」
しかし、
「あの……、今度は大納言のご子息さまがお見えです」
「……本当に?」
咲良がうんざりした顔をした。そうこうしている内に、自信満々の顔をした公達が、別の家人に案内されて現れた。
彼は、咲良の姿を見るなり大げさなため息をついた。
「姫、またそのような
「こちらの格好の方が作業をしやすいのです。どうかご
咲良は、ひとまず礼節をもって
「お言葉ですが、男の忠告は
かちん、という音が頭で実際に鳴ったかどうかは別として、とにかく咲良の顔がぴくりと引きつれた。彼女は、目の前の公達の言い分をさらりと流し、彼が持っている小箱に目を向けた。
「ところで、その小脇に抱えた箱はなんでございましょう? 先日おっしゃっていた薫物にございますか?」
「おお、さすが姫。私が作ってきた薫物をご覧になるか? 姫が作る薫物は
「ええ、ぜひ」
勝気な瞳を
咲良はあまたの縁談相手を「知らぬ」と言って追い返すことから、「小野の知らぬの二の姫」という
そんな咲良に対して、薫物づくりを「所詮は女の遊び」と言ってしまった大納言の息子に次はない。その
これでまた、異名に
夕方、大納言の息子の姿はすでになく、咲良はすっきりした顔ですり鉢をすっている。
大納言の息子は咲良にけちょんけちょんに言い負かされて帰って行った。そもそも、薫物を自分で作ってきたということ自体が
なぜ噓だと分かったのか。それは、持ってきた薫物について咲良があれこれ
それだけでも
咲良は話を
「本当に貴族の男なんて、ろくなのがいないわ」
「あら、直平さまも貴族でございますよ」
「父さまは特別なの」
咲良はむすっとしながら言った。ちなみに、「香華殿の女御」とは、咲良の姉の
姉は知性と教養にあふれ、
小野家において
父から同じように
「自分の娘というだけで、父さまには私も
「咲良さま、今はまだ良いご
「そうかしら」
やんわりと
貴族の娘がいつまでも独り身でいられないことは分かっている。しかし、やって来る公達はみんな、姫君らしからぬ自分の姿を見てがっかりする。そして誰もが口をそろえて咲良に言うだ。「薫物づくりなどやめて、公卿の姫君らしくしろ」と。
でもそれは、本当になりたい自分の姿ではない。
「父さま、そろそろ
「何をおっしゃっておりますやら。今度ばかりは直平さまも本気のご様子です」
容赦ない六花の言葉に咲良はうんざりした。
*****
それから数日後、直平が珍しく日中に屋敷へと
「あら、父さま。お帰りなさいませ」
「咲良、相変わらず薫物を作っておるのか。またそのような格好をして」
そう言って咲良の部屋に現れた直平は正装である。
「
「ありません。こちらの方が作業しやすうございます。それより父さま、どうなされたのです? 今日は朝議だと聞いておりましたが」
咲良は作業の手を止めて直平を
直平が早く帰ってくる日はだいたい
ちらりと廊下に目をやるも、誰の気配もない。とは言え、油断は禁物だ。案の定、直平がそわそわしつつ、傍らに控える六花に命じた。
「六花、今から咲良の
「今からでございますか? それなりに時間がかかりますが……」
「かまわぬ。先方も
やっぱり。今から誰かが訪れるのだ。咲良は非難めいた目で直平をにらんだ。
「父さま、先に言っておきますが、着飾ったところで
「おまえ、私が何か言う前から無駄とはなんだ」
「だいたい察しがつきます。だから分かります。きっとまた
咲良が冷めた口調で直平に答えると、直平はむっと顔をしかめた。
「そのようなことを言うでない! 今度の相手を今までの者と
「いや、それこそどこのどなたです? 父さま、なりふり構わず探し回るのもいい加減にしてください」
「何を言うかっ。おまえが、あれも
「分かりました。では一応、会ってみます」
「本当か」
直平が一転して喜びをあらわにしつつ、しかし信じきれずに咲良に念を押す。
「いいか、これで最後だぞ。分かっておるな」
「最後なのですね。分かりました」
つまりこれを断れば、自分は晴れて自由の身だ。「これで最後」という言葉の意味が、自分と父では違う気がするが、咲良は
すると、廊下に快活な足音が
「左大臣さま、
「おお、
「はい。今日の約束は私から申し出たものですから。もしかして、ご
父よりも高い背を縮こまらせ、若者が
直平が
「いや、時間があるようなら娘の身支度をさせようと思っていたところだ。見た通り
「そのようなこと。私としては着飾らぬ素のお姿を拝見できて
言って若者が
「お初にお目にかかります。
なるほど、本当にもう誰も残っていないらしい。まさか衛士が来るとは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます