こもり姫の薫香帖 ~出会いはときめく恋の香り~

砂里えり/ビーズログ文庫

第一話 二の姫、ひと味違う縁談相手と会う

1-1

  せんきょうは、雲一つない快晴だった。季節は風かおる初夏、小野家の庭にはたんの花がみだれている。その庭に面した部屋が、この家の二の姫、さくの部屋でる。

 左大臣ののなおひらの権勢を感じる大きなしきは、板間の開放的な空間が広がるしん殿でんづくり

 すずやかな風がふわりとけば、部屋を仕切るちょうの色あざやかなけんがひらひらとれた。


「しっ、失礼する!」


 激高した声が屋敷のおだやかな空気をぶるりとふるわせた。部屋から足音もあらく出て来たのは、真っ赤な顔のきんだち(貴族の青年)である。手には紅梅色のはなやかなあやおりものかかえられており、おそらく二の姫へのみつぎ物であったと推察された。


「左大臣のむすめだから会いに来てやっているというのに。あんな下人のような姿の姫君などだれがまともに相手をするものか」


 ここが左大臣家であり、相手がその娘であることも忘れ、彼は好き放題に暴言をいている。じょとすれちがっても目に入っていないほどのいかりっぷりだ。

 一方、当の本人である咲良は、何ごともなかったかのように部屋ですりばちをすっていた。すり鉢の中に入っているのは、じんこう、丁子、そしてこん—― こうぼくをはじめとしたにおいの強い素材である。

 彼女は今、「たきもの」と呼ばれるおこうを作っている最中なのだ。


「咲良さま、しきぶの少輔しょうさまがおこってお帰りになりましたが、よろしいので?」


 お茶を持って現れた侍女のりっろううに目をやる。咲良はすり鉢をする手を|止めると、めんどうくさそうに顔を上げた。

 意思の強そうなとびいろひとみに、背中でゆったりと結ばれたかみは、の国ではめずらしい赤みを帯びた黒。格好は、作業しやすいようにそでにしびら(前かけのようなこしひも)という軽装で、およそ貴族の娘とは思えない。知らない人が見れば、きちんとうちきを羽織っている六花を姫君とかんちがいしてしまいそうだ。


「だってあの男、薫物などって言ったのよ」


 半年くらい前から、直平が貴族のていを咲良のもとへ連れてくるようになった。十八になってもけっこんしようとしない娘を心配してのことらしい。

 先ほどおとずれていた式部少輔も、直平が連れてきたえんだん相手の一人である。彼が小野家に来るのは三度目、まあ、わりとがんった方かもしれない。

 しかし彼は、薫物づくりは職人がするものだと馬鹿にして、身なりを整えるようにと綾織物を貢ぎの品として咲良に持ってきた。それで咲良が「きに使う」と言い返したら、怒って出て行ってしまっただいだ。勝手に自分の考えを押しつけてきて、勝手に怒り出すのだから、たまったものではない。


「もう二度と会わないわ。今度来たら、知らぬと言っていると追い返して」


 咲良が吐き捨てるように言うと、六花は困り果てた様子でため息をついた。


「ですがこれで七人目でございますよ。その前はじょうかん左少弁さま、さらにその前が中務大輔なかつかさのたいふさま。そう言えば、このしょうしょう……だいごんさまのご子息はどうなさりました?」


 六花が指を折って、今まで訪れた公達を数える。あらためて数えられると、咲良は言い返す言葉もない。ちなみに、もう誰が誰だか覚えてもいない。


「大納言さまのご子息なんていたかしら?」

「いらっしゃいました。ほら、ご自身も薫物にはくわしいとおっしゃっていた――」

「ああ、あの、うんちくたれね。まんたらしくあれこれと語っていた男」


 伽久羅の国では、昔から香りの強い花木や薬草などを燃やし、身の回りをきよめ、じょうはらってきた。そうした中で、それらを粉末にして練り合わせる技術が発達し、出来上がったのが薫物である。

 薫物は千里京に住む貴族たちに重宝され、香りを楽しむだけでなく、日々のあらゆるけがれを落とすために欠かせないものとなっている。

 咲良はそんな薫物づくりが得意だ。人より鼻がき、幼いころからいろいろな薫物の匂いを言い当てていた。物心がつく頃には薫物づくりのを父から教わり、今では独学で数十種類もの素材を使いこなす。

 たしなみの一つとして貴族が自ら素材を調合することはよくあるのだが、咲良の知識と

技量は専門の薫物職人並みである。そんな咲良にとって大納言のむすのうんちくなど、あくびが出てしまいそうなほど初歩的な内容だった。


「あの程度で詳しいと自慢されて、正直困ってしまったわ。必死にがおを保ち続けた私をめて欲しいぐらいよ」

「でも咲良さま、ご子息さまはご自身の薫物を次はお持ちになるとのことでしたでしょう? 薫物好きの咲良さまにいたかったのでは?」

「違うわね」


 咲良はきっぱり否定して、ぎりっとおくみしめる。


「だって、女が作る薫物は物足りないものばかりだって言ったのよ。あれは、自慢したくて仕方がないって顔だった」


 そこにあるのは、自分の優位性を示そうとするごうまんな思いだけだ。それでこちらが喜ぶと思っているのだから、勘違いもはなはだしい。


「できれば会いたくない。いっそ、私のことなんて忘れてくれていたらいいのに……」


 しかし、うわさをすればなんとやら。咲良と六花のもとに家人がやってきた。


「あの……、今度は大納言のご子息さまがお見えです」

「……本当に?」


 咲良がうんざりした顔をした。そうこうしている内に、自信満々の顔をした公達が、別の家人に案内されて現れた。わきには小箱を抱えている。

 彼は、咲良の姿を見るなり大げさなため息をついた。


「姫、またそのようなしもじもの格好を。小野家の品格を疑われますぞ」

「こちらの格好の方が作業をしやすいのです。どうかごようしゃくださいませ」


 咲良は、ひとまず礼節をもってていねいに言い返す。しかし、大納言の息子は不満げに鼻にしわを寄せた。


「お言葉ですが、男の忠告はなおに聞くものです。私は、姫のためを思って申し上げているのですぞ」

 かちん、という音が頭で実際に鳴ったかどうかは別として、とにかく咲良の顔がぴくりと引きつれた。彼女は、目の前の公達の言い分をさらりと流し、彼が持っている小箱に目を向けた。


「ところで、その小脇に抱えた箱はなんでございましょう? 先日おっしゃっていた薫物にございますか?」

「おお、さすが姫。私が作ってきた薫物をご覧になるか? 姫が作る薫物はばらしいと聞くが、しょせんは女の遊び。きっとご満足いただけますぞ」

「ええ、ぜひ」


 勝気な瞳をけんのんに光らせて咲良が笑う。悪いが、こと薫物に関してはこちらもゆずる気はない。薫物で勝負をしようと言うのであれば受けて立とうではないか。

 かたわらでひかえる六花は、二人のやり取りを見ながら、これで七人目の縁談相手も消えたと思った。

 咲良はあまたの縁談相手を「知らぬ」と言って追い返すことから、「小野の知らぬの二の姫」というめいな二つ名がついている。日がな屋敷に閉じこもり、すり鉢をすって薫物づくりに精を出す変わり者であることは、公達の間では有名な話だ。

 そんな咲良に対して、薫物づくりを「所詮は女の遊び」と言ってしまった大納言の息子に次はない。そのしょうに、咲良はさっきから相手の名前を呼ぼうともしない。覚える気がないのだ。

 これでまた、異名にはくがつくな―― 。やれやれと六花は大きく息をついた。

 夕方、大納言の息子の姿はすでになく、咲良はすっきりした顔ですり鉢をすっている。

 大納言の息子は咲良にけちょんけちょんに言い負かされて帰って行った。そもそも、薫物を自分で作ってきたということ自体がうそだったのだから話にならない。

 なぜ噓だと分かったのか。それは、持ってきた薫物について咲良があれこれたずねても、大納言の息子は何一つ答えることができなかったからだ。すぐさま彼女は、持参した薫物は誰かに作らせたものだと確信した。

 それだけでもあきかえるのに十分だと言うのに、大納言の息子はじることも悪びれることもなく、咲良が質問をしてきたことに腹を立て、「ぎょうの姫君たるものは大人しくうなずいていれば良い」とか、「きょう殿でんにょうの妹君とは思えない」とか、言いたい放題に説教をたれてきて、これが咲良のさらなる不興を買った。

 咲良は話をちゅうで打ち切ると、家人を使って大納言の息子を追い出してしまったのだ。


「本当に貴族の男なんて、ろくなのがいないわ」

「あら、直平さまも貴族でございますよ」

「父さまは特別なの」


 咲良はむすっとしながら言った。ちなみに、「香華殿の女御」とは、咲良の姉のかずのことである。みかどの妻としてないされた和紗は、香華殿という殿でんしゃに住んでいることからそう呼ばれている。ゆくゆくはせいである中宮とも噂される自慢の姉だ。

 姉は知性と教養にあふれ、ぬれいろの豊かな髪と黒曜石のような瞳が美しい、非の打ち所のないかんぺきな女性である。本当に同じ両親から生まれたのかと疑ってしまうほどで、咲良は自分のことをそんな姉の添え物のような存在だと思っている。

 小野家においてまいあつかいに差があったわけではない。しかし、大きくなるにつれ、小野家を訪れる客人の多くが姉と自分を見比べていることに気づくようになった。

 父から同じようにしょうかいされても、そのほとんどが姉にしょうさんの言葉をかける。自分が声をかけられるのは、いつだってそのついでだ。しかも、「二の姫」とではなく、「一の姫の妹君」と呼ばれる始末で、和紗がじゅだいしてからは、それが「香華殿の女御の妹君」に変わった。


「自分の娘というだけで、父さまには私もあねさまも同じように見えているのよ」

「咲良さま、今はまだ良いごえんめぐえていないだけにございますよ。きっと、そのままの咲良さまを受け入れてくださる殿とのがたがどこかにおりましょう」

「そうかしら」


 やんわりとなぐさめてくれる六花に対し、咲良は疑わしげにつぶやいた。今までが今までだけに、六花のように楽観的な気持ちになれない。

 貴族の娘がいつまでも独り身でいられないことは分かっている。しかし、やって来る公達はみんな、姫君らしからぬ自分の姿を見てがっかりする。そして誰もが口をそろえて咲良に言うだ。「薫物づくりなどやめて、公卿の姫君らしくしろ」と。

 でもそれは、本当になりたい自分の姿ではない。


「父さま、そろそろあきらめてくれるといいのだけれど」

「何をおっしゃっておりますやら。今度ばかりは直平さまも本気のご様子です」


 容赦ない六花の言葉に咲良はうんざりした。




*****



 それから数日後、直平が珍しく日中に屋敷へともどってきた。こんな風に直平が明るい内に帰ってくることはあまりない。


「あら、父さま。お帰りなさいませ」

「咲良、相変わらず薫物を作っておるのか。またそのような格好をして」


 そう言って咲良の部屋に現れた直平は正装である。こうたくのある黒のころもしゅいろえりと白のはかまえる。彼は小袖姿の娘を見て、おんな顔を少ししかめた。

としごろの娘が、たまにはれいかざろうと思わないのか」

「ありません。こちらの方が作業しやすうございます。それより父さま、どうなされたのです? 今日は朝議だと聞いておりましたが」


 咲良は作業の手を止めて直平をあおた。

 直平が早く帰ってくる日はだいたいあやしい。ここ最近のけいこうで言うと、新たな縁談相手を連れてくる時だ。

 ちらりと廊下に目をやるも、誰の気配もない。とは言え、油断は禁物だ。案の定、直平がそわそわしつつ、傍らに控える六花に命じた。


「六花、今から咲良のたくを整えてくれるか」

「今からでございますか? それなりに時間がかかりますが……」

「かまわぬ。先方もおくれるそうだ。来たら待ってもらえば良い」


 やっぱり。今から誰かが訪れるのだ。咲良は非難めいた目で直平をにらんだ。


「父さま、先に言っておきますが、着飾ったところでにございます」

「おまえ、私が何か言う前から無駄とはなんだ」

「だいたい察しがつきます。だから分かります。きっとまただって」


 咲良が冷めた口調で直平に答えると、直平はむっと顔をしかめた。


「そのようなことを言うでない! 今度の相手を今までの者といっしょにするな。ひと味もふた味も違うぞ!」

「いや、それこそどこのどなたです? 父さま、なりふり構わず探し回るのもいい加減にしてください」

「何を言うかっ。おまえが、あれもいやこれも嫌だと言うから、もう誰も残っておらんのだ! 最近では、私が近づいただけでけるやからもおるのだぞ! この左大臣の私が近づいただけで!」


 たんに暮れる直平の姿は、ちょっと可哀想かわいそうにも見える。こんのがしかけている娘を持つ父の苦労を思い、咲良は自分のことながら気の毒に思った。


「分かりました。では一応、会ってみます」

「本当か」


 直平が一転して喜びをあらわにしつつ、しかし信じきれずに咲良に念を押す。


「いいか、これで最後だぞ。分かっておるな」

「最後なのですね。分かりました」


 つまりこれを断れば、自分は晴れて自由の身だ。「これで最後」という言葉の意味が、自分と父では違う気がするが、咲良はげんを取ったとばかりに心の中でこぶしをにぎった。

 すると、廊下に快活な足音がひびいた。なんだと思って咲良は足音のする方へ目をやる。と、家人に案内されて一人の若者が咲良と直平のもとへとやって来た。


「左大臣さま、おそくなりました」

「おお、あり少将。なんだ、思ったよりも早かったな」

「はい。今日の約束は私から申し出たものですから。もしかして、ごめいわくでしたか?」


 父よりも高い背を縮こまらせ、若者がきょうしゅくする。とらばんほどこされたのうこんの衣に、腰には。格好から察するに千里京をまもだ。

 直平がしょうを返しつつ、困った顔で咲良を見た。


「いや、時間があるようなら娘の身支度をさせようと思っていたところだ。見た通りかざのない娘でな」

「そのようなこと。私としては着飾らぬ素のお姿を拝見できてうれしく存じます」


 言って若者がひとなつこい目を咲良に向ける。この姿を見て、「嬉しい」と言われたのは初めてだ。彼は目鼻立ちのすっきりした涼しげな顔をなごませ、かたひざをついて頭を下げた。


「お初にお目にかかります。もんが衛士、有馬と申します」


 なるほど、本当にもう誰も残っていないらしい。まさか衛士が来るとは。

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