第2話「再燃」

「というわけで、鹿狩りに連れて行ってくれ」

「いきなり来たと思ったらなんだい? 薮から棒に」


 私の言葉に目を丸くする黒髪黒目のおじ……青年。彼はウィリアム。今年で二十二歳になる。

 貴族と言われても通用するような端正な顔立ちと、どことなく気品溢れる仕草。前世の言葉を借りるなら「イケメン」というやつだ。ちょっとだけ眠そうな垂れ目が可愛いと、母様と同年代のママ友から絶賛されている。

 性格はいたって真面目で、父親の仕事を継ぐべく日夜狩りの腕を磨いている。

 何度か披露してもらったが、弓の腕前はかなりのものだ。


 彼を雇おうと考えている。

 私が前世の記憶にあるようなとんでもない力を持った転生者なら一人で森に入り、難なく鹿を捕らえて来れただろう。

 一応、一人で狩る場合のシミュレーションも行ったが、無理だった。


 それも当たり前の話だ。

 繰り返すが、私はただの六歳児なのだ。

 こんな子供がちょっと知恵を絞れば狩れるような動物なら、あそこまで高値が付くはずがない。

 それに私が知っている肉とは、既に加工されてパック詰めされているものだ。

 狩った直後の状態からどうすればいいのかなんて分からない。


 餅は餅屋。ここはプロを雇うのが妥当な判断だ。

 私は賢い。出来ることと出来ないことの区別はついている。


「もちろんタダとは言わない」

「へぇ。何かくれるのかい?」

「私のふぁーすときすをやろう」

「……」

「せめて何か言ってもらえないか? 言ったこっちが悲しくなる」

「そういうのは、自分が本当に好きと思ったヒトに言うものだよ」


 ぬぅ……。色仕掛け作戦は失敗か。

 おかしいな。前世の記憶によるとかなり有効な作戦のはずなのに……。


「よし、じゃあ普通に私に雇われてくれ」

「ちゃんと代金をくれるならいいけど……僕けっこう高いよ?」


 私はこの一年でコツコツ貯めたお小遣いの袋を差し出した。

 中は全て青銅貨だ。余談だが、この世界の硬貨は全部で十一種類あり、青銅貨はその中で上から八番目の価値を持つ。

 決して価値の高い硬貨ではないが、数が集まればそれなりのモノだって買える。


「エミリアちゃん。今年いくつだっけ?」

「六歳だ」

「その歳で貯金してるっていうのはすごいね……」


 ウィリアムが変なところを褒めてくる。

 私は堅実派なのだ。宵越しの金は持たぬ、なんて江戸っ子ではない。

 備えあれば憂いなしだ。


「お世辞はいい。それで、雇われてくれるのか」

「残念だけど、ちょっと足りないかな」

「まけてくれ」

「ダメだよ」


 きっぱりと断られる。

 これは別に彼がケチな訳ではなく、狩りが本当に危険な仕事だからだ。

 下手に安い金額で請け負って怪我をすれば元も子もない。

 それは理解できるので、駄々をこねたりはしない。

 代わりの策を提案する。


「じゃあ、分割払いはどうだ?」

「……なんだいそれは?」


 分割払いという概念が無かったらしい。

 私は簡潔に説明した。

 支払い代金を数ヶ月に割って支払い続けること。相手(この場合、ウィリアム)には分割した分、代金を上乗せすること、支払いが滞れば追加料金が発生すること……などなど。

 ウィリアムは感心したように聞き入っていた。


「それ、エミリアちゃんが考えたの?」

「まさか。何かの本を読んだ時に、そういう事が載ってたんだ」


 予め考えていた誤魔化しの言葉をすらすらと述べると、それ以上の追求は無かった。


「分割払いのキモは信用だ。ウィリアムが私を信用しているなら、頼まれてくれないか」

「信用していない訳じゃないけど……どうしてそこまでして狩りに行きたいんだい?」

「母様のためだ」

「ああ、もしかして誕生日のために?」

「……母様の誕生日をよく知っているな」

「えっと、こないだたまたま会った時にそういう話題になったのを覚えていただけだよ」


 取り繕うように言うが、目が泳いだのを私は見逃さなかった。

 私は胸中でにやりと笑う。


「その通りだ。私が六歳の時、盛大にお祝いをしてもらった。そのお返しに私も盛大に祝ってあげたいんだ。そこで必要になるのが肉料理なんだが、私の手持ちでは材料を買うことはできない。一人で狩りなんて絶対できないし、悩んだ末に狩人を雇うことを考え付いた。狩りの腕前ならウィリアムが一番だと母様も事あるごとに言っていたし、私も安心して――」

「それ、本当?」


 口上を遮られるが、別に気分を害したりはしない。

 むしろ狙い通りだと笑みを深めた。


「それって、どれのことだ?」

「その、マリさんが僕の腕前を褒めていたって話し、本当なの?」

「ああ、言っていたぞ。ウィリアムならどんな獲物でも確実に仕留められるって」


 これは本当だ。

 ただし、経験不足な部分がまだまだある、とも言っていたが。

 弓の腕前だけでは渡り歩けない。

 狩人の世界は厳しいようだ。


「そうか、マリさんが僕を……」


 嬉しそうに頬を緩める。こういう表情が母性をくすぐるんだろう。

 この反応から分かるように、彼は母様に好意を抱いている。

 そこを話に盛り込めば必ず交渉は上手く行くと踏んでいた。

 事実、こちらに傾きかけている。

 もう一息だ。


「母様のためにも、よろしくお願いします」

「…………分かったよ。ただし山に入るには事前に訓練をしないとダメだから、明日から僕のところに来てくれるかい?」

「もちろんだ」


 そのために三週間という期間を空けて行動している。


「じゃあ、交渉成立。よろしくね、雇い主様」


 私たちは固い握手を交わした。



 ◆  ◆  ◆


 翌日から、私は入山するための訓練を開始した。

 とはいっても、軽い運動能力を見る程度のものだが。


 そこで初めて分かったことだが――私の運動能力は高いらしい。加えて、体力もかなりある。

 登山中を想定し、中身の詰まった鞄を背負って平地を歩いていたのだが、全然疲れない。

 いくら雪が溶けて歩きやすくなったとは言え、ウィリアムは十分ほどでへばると予想していたらしい。


「エミリアちゃん、見かけによらず体力あるね」

「そうか?」


 あまり体は動かしていないが、炊事も洗濯も全部手作業だ。

 自分でも気付かない間にそれなりの運動をこなしていた……ということだろうか。

 船の上でバランス感覚を取るうちにボクサーの素質を知らずに磨いていた物語の主人公みたいだ。


「まるで三大種族みたいだ」


 冗談めいた口調で呟くウィリアムに、私は白い髪を見せびらかすように手で梳いた。

 この一年で肩くらいまでだった髪は腰に到達するか、というくらいまで伸びていた。


「そんな訳無いだろう。この髪が見えないのか」


 この世界には多種多様なヒト科動物が存在している。

 亜人、とかそういう感じのものだ。

 何かの決まりごとみたいに、エルフ、ドワーフ、オークといったテンプレートに沿った種族から、ベルセルクなんていう訳の分からない種族まで、実に多岐に富んでいる。

 中でも特に強い力を持ったエルフ・ベルセルク・ヴァンパイアの三種は三大種族とされ、他の種族を支配している。

 支配といっても、税を徴収する代わりに近辺の魔物を退治して回ったり、土地の開墾を手伝ったりと、実際は共生に近い感じなので種族同士の仲は良好だ。

 ただし、三大種族同士はいがみ合っているらしいが。


 ちなみに私やウィリアムは人間種族だ。

 人間種族は黒髪黒目なのが普通らしいが、稀に私のように色が反転する者が生まれてくるらしい。

 地域によっては私のような子は忌み子として疎まれ、生まれた瞬間に殺されるらしい。

 母様の子に生まれて、本当に良かったと思う。


「ハハハ。だよね。でも次の訓練からは厳しくなるから、覚悟してね」

「望むところだ」


 そんな風に話をしていると、目的地に到着した。

 見通しの良い小山だった。平地の雪はほとんど溶けているが、山にはまだまだ溶けていない雪がたくさんある。

 それらを背に、ウィリアムが説明する。


「今度は実際に山の斜面を登ってもらうよ。本当は三日後からやろうと思ってたけど、今のエミリアちゃんなら大丈夫そうだ。アイゼンとピッケルの使い方も教えるから、しっかり覚えてね」


 傾斜があればあるほど一歩進むのに必要な体力は増大する。雪山ならなおさらだ。

 なるほど、これは骨が折れそうだ。



 ◆  ◆  ◆


 おかしい。と感じたのは、実際に山を登り始めてからだ。

 多少の困難は予想していた。

 私はまだ六歳児でしかない。

 前世の知識を参照するなら、登山とは一部の屈強な大人が挑むスポーツのような認識だ。

 間違っても私のような子供が出来るようなものではない。

 もちろん母様のためにやり切る所存ではあったが。




 登山って、こんなに簡単だったっけ?


 いつまで経っても、どれだけ歩けど、疲れない。

 むしろ歩くほどに地面の傾きは気にならなくなり、背中の荷物も重さを感じなくなってきている。

 アイゼンを邪魔だとすら思った。こんなものが無くても歩くのに不自由なんかしない。


 前を歩くウィリアムを見やると、少しだが肩が上下している。

 彼が軟弱なんじゃない。毎日体を鍛えていることを知っている。

 そもそもこれだけの荷物を背負って雪山を歩いて、ほんの少しでも息を乱さないほうが有り得ない。


 異常なのは……私の方だ。


「どうだい? さすがに疲れただろう」

「あ……ああ」


 いきなり話を振られて、慌てて肩を上下させるフリをする。


「まあ、初日だし今日はこのくらいで終わろうか。あ、下山する時が一番危ないから、気を抜かないでね」

「分かっている」


 前もって習った通り、斜め歩きで来た道を戻る。

 万が一、私が足を踏み外して滑った時に対処できるよう、互いの腰には縄が装着されている。

 そのどれもを、煩わしい、まどろっこしいと感じた。


 斜め歩きなんてしなくても、この程度の傾斜に足を取られるはずがない。そんな意味もない確信があった。

 そんな思考が一瞬でも過ぎった自分自身が怖くなった。


 久しく忘れていた疑問が、頭の中で再燃した。


 ――私は一体、何者なんだろう。

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