第11話:契約
ユニと共闘関係を結んでから、二日が過ぎた。
あの日以来、俺たちはユニの回復を優先しながら、ゆっくりと森の奥へと移動を続けていた。昼間は俺が先行して周囲を警戒し、夜は洞穴のような場所で身を寄せ合って眠る。幸い、俺が施した薬草での手当てと、聖獣自身の驚異的な回復力のおかげで、ユニの傷は見る見るうちに癒えていった。あれほど深かった傷のいくつかはすでにかさぶたになり、衰弱しきっていた体にも力が戻り始めているようだった。
その間、俺たちは言葉少なに過ごした。
ユニは時折、テレパシーで同胞たちの思い出や、森の掟について語ってくれた。それは断片的で、多くを語りたがらないようだったが、彼の言葉の端々からは、仲間を失った深い悲しみと、たった一人で戦い続けてきた孤独が滲み出ていた。
俺もまた、自分のことはほとんど話さなかった。
異世界から来たこと、天使であること、そして師を失ったこと。そのどれもが、今の彼にかけるべき言葉ではないと思ったからだ。
俺たちはただ、静かに焚き火を囲み、同じ時間を共有した。それだけで、十分だった。
そして三日目の朝。
ユニは、力強く地面を踏みしめる。
『……リヒト。もう大丈夫だ』
その声には、以前の弱々しさは微塵も感じられない。額の赤い宝石も、再び力強い輝きを取り戻していた。
「そうか。良かった」
『これも、お前のおかげだ。改めて礼を言う』
「気にするな。俺が勝手にやったことだ」
俺たちは短いやり取りを交わし、顔を見合わせた。
目的は、一つ。
ユニの同胞を屠った、強大な魔物への復讐。そして、それを成し遂げるための、共闘。
「行こうか」
俺の言葉に、ユニは静かに頷いた。
俺たちは、森のさらに奥深く、魔物の巣があるという場所へ向けて、ついに歩みを進めた。
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ユニの案内で進む森の奥は、これまで以上に魔物の気配が濃密だった。
時折、俺たちの存在に気づいた魔物が襲いかかってくるが、その度に俺とユニは連携して敵を屠っていった。
まだぎこちなさは残るものの、三日前のちぐはぐな共闘が嘘のように、俺たちの動きは洗練されてきていた。俺が剣で敵の体勢を崩し、ユニが蹄でとどめを刺す。その逆もまた然り。言葉を交わさずとも、互いが何をしようとしているのか、不思議と分かるようになっていた。
このまま、目的の場所までたどり着けるか。
そんな淡い期待を抱き始めた、その時だった。
『――リヒト、止まれ』
ユニの鋭い声が、頭に響いた。
俺は咄嗟に足を止め、剣の柄に手をかける。
周囲の空気が、変わった。さっきまでの獣の気配とは違う、もっと冷たく、粘りつくような人の気配。
茂みが、ざわめく。
そして、俺たちの前に、ゆっくりと姿を現したのは――純白のローブをまとった、救世教団の一団だった。
「ここまで追ってきたか」
俺は悪態をつく。
カイの忠告に従い、街道を避けてこの獣道を選んだというのに。どうやって俺たちの居場所を突き止めたのか。
現れた信者は、十数人。
その誰もが、村で見た者たちとは空気が違った。無駄のない立ち姿、統率された動き。獣とは違う、訓練された者だけが持つ独特の圧が、肌をピリピリと刺激する。
そして、その中心に立つ一人の男。
フードを目深に被り、顔は見えない。だが、その静かな佇まいから放たれる雰囲気は、他の信者たちとは明らかに異質だった。
村にいた支部リーダーが、この男の前では子供のように見えるだろう。
こいつが、こいつらの頭目か。
フードの男は、俺とユニを交互に、値踏みするように見つめている。
「お前たちは……救世教団か。何の用だ?」
俺は剣の柄に手をかけ、警戒を解かずに問いかけた。
フードの男は、俺の問いには答えず、静かに口を開いた。その声は、年齢不詳で、感情が読み取れない。
「……その隣にいるのは、聖獣か。なるほど、道理で常人離れした気配になるわけだ」
男は俺を見て続ける。
「だが、興味深いのはお前の方だ、若者よ。腕前だけでなく、その歳で聖獣を従えるとは」
フードの男は一歩、前に出る。その声には、奇妙な説得力があった。
「リヒト、と言ったか」
「なぜ俺の名前を知っている」
「何、救世の名の下に親切にも教えてくれた村人がいてな。最初は不信心者だったがよくよく話せばわかってくれたよ。たしか、カイ、と言ったか」
「なっ!お前……」
「安心しろ。生活に支障が出るようにはしていない。……それよりもお前ほどの力を持つ者が、目的もなく彷徨っているのは惜しい。我ら救世教団に来るがいい。我々と共に、真の救済を目指すのだ」
「……断る」
俺は間髪入れずに答えた。カイのことだけじゃない。村での光景が脳裏をよぎる。弱者に付け込み、自分たちの教えを押し付ける。あれが、こいつらの言う「救済」だというのなら、冗談じゃない。
「お前たちのやり方には、賛同できない」
俺の明確な拒絶に、しかしフードの男は動じなかった。
「そうか。残念だ。……だが、力を持つ者には、それを正しく使う義務がある。お前がまだそれに気づかぬというのなら、我らが教え導くのが使命だろう」
フードの男は、静かに、だが有無を言わせぬ力強さで、部下たちに命じた。
「やれ」
その言葉が、合図だった。
信者たちが、一斉に俺とユニに襲いかかってきた。
「ユニ、援護を頼む!」
俺は叫び、剣を抜いた。
だが、彼らの動きは、村の信者たちとは比べ物にならなかった。
巧みな連携で、俺とユニの間を分断しようと動く。一人が囮となって俺の注意を引き、その隙に別の者がユニを狙う。その攻撃は的確で、一切の無駄がない。
「くそっ!」
俺は必死に剣を振るい、ユニに迫る刃を弾き返す。だが、次から次へと繰り出される攻撃を防ぎきれず、徐々に傷が増えてくる。 アルフレッドに鍛えられた剣術だけでは、この数を捌ききるのには限界がある。
『リヒト!このままではジリ貧だ!』
ユニの焦った声が響く。
分かっている。だが、どうすればいい!
その時だった。ユニの額の宝石が、閃光と呼ぶにはあまりにも強烈な、真紅の光を放った。
『――退け、人間ども!』
光は攻撃的な威力を持つものではない。だが、そのあまりの眩しさに、信者たちは思わず目を覆い、動きを止めた。
『今だ、リヒト!逃げるぞ!』
「なっ……おい!」
俺の返事を待たず、ユニは俺の首根っこを軽く食むと、驚くべき力で俺を背に乗せた。そして、一目散に森の奥深くへと駆け出した。
「くそ、待て!」
「追え!聖獣を逃がすな!」
背後から信者たちの怒声が飛んでくる。
ユニの背に揺られながら、俺は必死に枝葉を避ける。彼の走りは、疾風そのものだった。
だが、追っ手もまた、常人ではない。
「――地の理に従い、重き枷を彼の者へ!」
後方から、低い詠唱の声が聞こえた。魔術師か!
次の瞬間、見えない何かがユニの体を地面に押し込んだ。
『ぐっ……!体が、重い!』
ユニの速度が、目に見えて落ちる。まるで鉛の鎧でも着せられたかのように、その動きが鈍重になる。
まずい。このままでは追いつかれる!
「右だ、ユニ!そっちの岩場へ!」
俺たちは、木々が密集し、視界の悪い場所へと逃げ込んだ。巨大な岩が折り重なる、天然の迷路のような場所だ。俺たちは、その一番大きな岩の陰に身を潜め、息を殺した。
心臓が、耳元で鳴っているかのようにうるさい。
ユニの荒い息遣いと、俺の鼓動だけが、世界の全てだった。
ざっ、ざっ、と草を踏む音が近づいてくる。
一人、二人……いや、もっと多い。
声が聞こえる。
「……この辺りだ。血の匂いがする」
「二手に分かれろ。挟み撃ちにするぞ」
「見つけ次第、合図を送れ。今度こそ、逃がさん」
まずい、こっちに来る。 包囲網が、じりじりと狭まってくるのが分かった。 見つかるのは、もはや時間の問題だった。 やつらに捕まればどうなるかわかったものではない。下手をすれば、ユニの復讐も、俺の旅も、ここで……。
いや、まだだ。 まだ、手は残っている。 師を死に追いやった、あの力。他を圧倒する代わりに森中の魔物を呼び覚ます、諸刃の剣。 だが、このまま犬死にするよりはマシか。 俺は覚悟を決めた。たとえこの森が魔物の巣窟になろうとも、この窮地だけは、絶対に切り抜ける。
俺は体内のマナに意識を集中させ、その枷を外そうとした。
その、まさにその瞬間だった。
『――待て、リヒト!』
ユニの、制止する声が頭に響いた。
『このままでは二人とも死ぬ!だが、道はある……一つだけ!』
「どうするつもりだ」
『お前は私の復讐に力を貸すと言った。ならば私も、お前のその覚悟に応えよう。私と契約し、共にこの窮地を切り抜けるぞ!』
「契約?」
『問答している暇はない!奴らが来る!』ユニの魂が叫ぶように、決意を秘めた声が響く。『これは、対等の誓いだ。お前の命を不当に縛るものではない。……私を、信じろ!』
その言葉と共に、ユニは重い体を無理やり起こし、俺の目の前にその額を突き出してきた。
『さあ、私の聖石に触れ、お前のマナを流し込め!』
信者の影が、すぐそこまで迫っている。 俺は唾を飲み込み、覚悟を決めてユニの額の宝石にそっと指を触れ、マナを流し込んだ。
瞬間、俺の体から流れた蒼いマナが、ユニの赤い宝石へと吸い込まれていく。代わりにユニの赤いマナが俺に流れ込んできた。 熱い。まるで溶けた鉄が血管を駆け巡るようだ。 ユニと俺が、マナを通して一つに繋がる。
その時、俺の頭の中に、ぼんやりと言葉が浮かび上がってきた。
それは、古の契約の祝詞。ユニの魂から、直接俺の魂へと流れ込んでくる、力強い言葉の奔流。
詞が零れる。
「――古の理、魂の響きに応えよ」
俺たちの魂が触れ合い、互いを包みあう。
『我らは枷を解き放ち、共に歩む定めなり』
ユニの体が淡い光を放ち始め、その輪郭がわずかに揺らめいた。
「其の肉は我が力、我が精は其の軛」
俺のマナがユニの体へ溶け込むように沁み込み、額の宝石が蒼く燃える。
『一柱三翼に希う』
ユニの体が、足先から光の粒子となって霧散していく。ユニの存在が、より高次のマナへと変質していくのが、魂を通して理解できた。
「悠久の誓約をここに結ぶ」
霧散したユニが、今度は俺のマナを求めて流れ込んでくる。
そして、最後。俺とユニは、まるで示し合わせたかのように、同時にその祝詞を紡ぎ出す。
互いの、真の名を。
『我が名は――ユニシファールヴ』
「俺の名は――相馬リヒト」
二つの名前が重なった瞬間、世界が、蒼と紅の光に塗りつぶされた。
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