追放された英雄と氷の魔女

@Yoshi-kobu

第1話

第一部 追放と再会


宿屋の一室に、重たい沈黙が漂っていた。

イズマは真っ直ぐに立ち、勇者パーティの面々を見渡した。誰も彼の目を見返そうとはしなかった。

机の向こうで腕を組んでいたレイ・フロストだけが、わずかに唇を歪めた。


「はい……わかりました」


イズマのその一言に、レイの眉がわずかに動く。

驚きでも諦めでもない――ただ、受け入れた声。

レイは笑った。だが、その目の奥には揺らぎがあった。


「“わかりました”って……何よ、その余裕。自分が放逐されるってのに、まるで他人事じゃない」


レイは立ち上がる。銀色の髪が静かに揺れ、エメラルドの瞳が鋭く光った。

胸元で揺れる青いペンダントが脈を打つ。


「本当に理解してる? あなたは、もう終わったのよ。ここから先、誰もあなたを必要としないの」


彼女は仲間たちを見回し、再びイズマを睨んだ。


「……もしかして、最初からそうするためにここにいたのかしらね。何の感情も見せず、失望も怒りもなく、ただ受け入れるだけ」


しかし、イズマは何も言わなかった。ただ静かに、背を向けて扉へと歩き出した。


「待ちなさい!」


レイが声を上げたが、その背中は振り返らなかった。



黒き峰の中腹、吹き荒ぶ風に晒されながら、イズマは一人歩みを進めていた。

誰も助けてくれなかった。仲間も、師も、故郷すら――

だから、己の力だけでここまで来た。


剣を握る手の皮は硬くひび割れ、魔法で焦げた外套には無数の破れ目があった。

だが、彼の瞳には迷いも恐れもなかった。



第二魔王の陣が壊滅した夜、王都では驚きと混乱が渦巻いていた。

軍議の大広間で、その報せが告げられる。


「……第二魔王の首を取ったのは、イズマだそうです」


沈黙。

その名に、レイ・フロストの背筋が強張った。


「は……? 彼が、単独で?」


レイは立ち上がり、机を挟んだ将軍を睨んだ。


「策も支援もなしに、黒峰を抜けて……第二魔王を討った?」


「はい、確かに確認されています」


レイの思考が高速で巡る。戦術、陣形、補給、魔力残量。

どれ一つとして、単騎での勝利を導く計算には繋がらなかった。


「……そんなの、ありえない……」


彼女は震える唇を噛みしめると、静かにその場を後にした。



王都の中心、噴水のある広場に、イズマの銅像が建てられた。

勝利の英雄、国家の盾として――

人々はその像の前で祈り、子どもたちは彼の木彫り人形を振って走り回っていた。


その光景を遠くから見下ろしていたレイは、ペンダントを強く握った。

青い宝石が微かに震える。


「なんて皮肉……。追い出した相手に、救われるなんて」


レイの靴の下、氷がパリッと音を立てた。

だが彼女はそれに気づかないほど、胸の奥が燃えていた。



魔法塔の一室、積まれた報告書と、空になったグラス。

窓の外では風が吹き荒れていた。


「……くそ……」


レイは指先でペンダントを弾きながら呟いた。


「どうして、こんなことに……。全部、私の計算のはずだった。完璧だったのに……」


胸元の宝石がひときわ強く脈動した。



祭りの喧騒の中、レイは群衆を監視していた。

花火が打ち上がり、空には「勇者イズマを称えて」と書かれた旗が翻る。


「……まるで英雄譚ね」


彼女は人々の顔を一つ一つ確認するように眺めた。

だがその視線は、ある一点に吸い寄せられた。


群衆の中に、彼がいた。

変わらぬ顔、変わらぬ背中――


レイは反射的にペンダントを握りしめた。

青い宝石が光を放つ。


「……あなたは、何も変わっていない。異常なのは、あなたの方よ」


だが、その言葉にはもう力がなかった。


イズマは群衆を抜け、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

レイは背を向けた。だが、足は動かなかった。


物語が、再び始まろうとしていた。

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