Scene2


 アブラゼミが五月蠅い命の雄たけびを上げながら暑さが増し夏も深まる中で、僕らは依頼主が指定した場所に向かっていた。移動は十年前に発売された中型車に乗って高速道路。電車だと交通費をちょろまかしされる可能性があると安住が提案してくれたので、多数決で車での移動となった。民主主義にありがとう。談合?ちょろまかすは悪だから。

 運転はショパンさん、助手席に安住、後部座席に僕となった。しかしこの車、普段からショパンさんが色々と仕事道具を詰め込んでいるので後部は非常に狭く、僕の座るスペースがやっと確保出来る程度に片付くまで30分はかかった。整理整頓は計画的に。

 「それで、今回の依頼は・・・どこだここ?」

 僕は教えてもらった住所を調べて、首を傾げた。

 「東京だからと言ってもすべてが都会ではありませんからね。西の端ですから分からなくても仕方ないです」

 「そうだよ~。意外と知られてないけど檜原村や奥多摩の前にもちゃーんと駅とか存在していてそこで色々と盛んに行われているのさ~」

 「はぁ・・・なるほど・・・」

 実際に行ってみないと分からないことがある。春の一件のことはまさにその例としては最適だろう。まさか都内のあんな場所に駅があるなんて思いもしないから。

 それに僕の生活する移動範囲は広くない。うちの近辺だとバイトも充実している(正しくは人員不足と言った方がいいかもしれない)し、安いスーパーも数駅行けばいくらでもある。動こうと思えばなんにでも手が届いてしまう、このことがどれほど有り難いかは今のバイト生活でよく思い知らされた。なんて小さな世界だ。

 「君も就活して会社に入ったら色々と行くようになるからね~。こうやって学生時代にアタシラみたいな出張が多い会社でたくさん見ていけるのは実は幸運なことなんだよ~?」

 などと言われても知ろうともしないことを突然言われても構えることすらままならないのが僕の心境だ。色々行ったところで求められるのは『結果』だ。『結果』さえ完璧ならば個人の行動はニーズの採点基準には入らない。引っ越しや軽作業のバイトで学んだことがそれだった。悲しいことに例え学んだとしても実際に出来なければどうしようもない。なんというか、そんなにまみれてしまったことがどうしても拭えないのだ。

 「それ、今言うとパワハラになるかもしれないんで気を付けてくださいね。代表」

 「えっ!?それを早くいってよ、あずみちゃん~。これじゃあアタシが完全に意地悪な大人みたいじゃんか~」

 ((いや、どう考えてもそうだろ))

 安住と同じタイミングで溜息が出て、思わず乾いた笑いが漏れた。チラリとバックミラーを見るとジト目の安住がこちらに気付いて、小さく微笑んだ。一瞬ドキリとしたけれど、僕も小さく笑って窓の外を見た。

 外はいつものビルが並ぶ街並みから少し見晴らしが良くなっていた。視界の半分には山が雄大に広がっていつもよりも日差しが熱く感じた。高速からの景色は基本的に道と山になってきたが、こうやって修学旅行のように移動するなんてことが無かったので見るモノ全てに真新しさを覚える。今まで古臭く思えた田舎の景色もこうして遠くから見てみると、なるほどビルとは違った生える美しさがある。あっちは映えるだけど。

 「もしかしてだけど、保立君はあんまり家族と旅行に行ったことないのかな~?」

 「――――なんです?」

 外を見てボケッとしていたこともあって、話を聞いてなかった。

 「いや、ご家族とあまり出かけることは無かったのかな~って」

 「・・・・・代表、何度も言いますが思っていることでも聞いていいことと悪いことがありますよ」

 安住が頭を痛そうにしながらため息を吐いている。ショパンさんは毎回こんなことを言っているのだろうか。まあ失礼と思えばそうかもしれないが、僕にとっては別に気にするようなことでもない。

 「はい、出かけるも何も僕に興味ないんですよ。両親アイツラは」

 「・・・・・・それは、どうしてだい?」

 驚いた声色のショパンさんに僕は苦笑交じりに応える。バックミラー越しに見える顔はいつもの猫顔ではなく、色々なものを見てきた大人の顔になっていた。

 「こんな年端も行かない十代の息子にかける金はない、だそうです。だから僕は遊園地とか大きなショッピングモール、なんだったら近所の公園にすら親と出かけたことは無いです」

 けど、何度も期待したことはあった。今でこそ一戸建てに住んでいるが、生まれた当初はマンション暮らしだった。



 ばあちゃんの家が近いこともあって預けられることもあったし、近くに住んでいる子供たちと遊んだりした。怪我をして泣いたことや一緒に虫を取ったり、誕生日パーティをしたりもした。

 両親アイツラは一度たりとも僕に対して興味を向けなかった。離婚をしていないから夫婦仲が冷めているわけではないが、まるでロボットのように朝早く仕事に出かけては夜に帰って夕食を取って風呂に入り就寝するを繰り返していた。

 最初はただただ怖かった。僕は両親に愛されてない、僕は別の家の子供だった。何度もそんなことを考えた。しかしばあちゃんはそんな僕にちゃんと愛されていることを教えてくれた。料理も勉強も、運動の方は流石に得意な友達に聞いたけど、それでもしっかりと生きられるように僕を育ててくれた。だからせめて最期だけはちゃんと送り届けたかった。

 ばあちゃんの遺骨を焼く時にも両親アイツラは来なかった。拾ったのは僕と他の親族、それとばあちゃんの友達が何人かやってきていた。

 「あの人は本当にいい人だったよ」

 遺灰を墓に入れた後、しわがれた声で紡がれるその言葉に僕はこみ上げる気持ちを精一杯抑えた。ああ、やっぱり他の人もそう思ってくれていたんだ。ばあちゃんはあまり他の人との関わりを言う人では無かったから、余計に涙腺が緩んでいた。

 「でも本当に息子さんたちは親不孝ものよね。こんな日でも仕事で来れないって言っているらしいじゃない」

 その言葉に涙の色が変わりかける。

 「すみません、ちょっとトイレに」

 別に便意があったわけではなかった。ただもう一つ湧き出る感情が僕の中で大きな気流を作り出して、ぐちゃぐちゃに混ざった。黒かったり赤かったり。トイレに着く頃にはその色はヘドロのように反射して汚かった。ドロドロドロドロ、身体の中からいつ生み出たのか分からない。

 僕は涙を堪えた。ここで泣けばこの感情は一時的に跡形もなく消せるだろう。けれど解決にはならない。風呂場のカビ菌のように表面上は無くとも根は深く降ろされている。僕は知らぬ間に洗面台に拳を打ち付けていた。何度も何度も。幸いだったのが催している人間がいなかったことだ。こんな無様な姿を見せてしまえばより一層根が深くなったことだろう。

 「僕は――――――」

 目の前にある鏡を見て。僕は自分の中にあるもう一つの感情に気が付いた。



 それは一瞬の逡巡、現実時間にして瞬き一つしたかどうかの世界。そして僕は無難な答えを口にする。

 「でも問題はないです。僕はもう、ちゃんと歩けますから」

 「・・・・・・なるほど、どうやら君は十分強いみたいだ」

 ショパンさんはただ納得したように頷き、初めて会った時のような猫顔になっていた。すると何かを察知したように安住がスマホを取り出す。別に鳴っていたわけではない、先んじて一手を、といった面持ちをしているからだ。そして素早く指を動かすとどこかしらに電話をかけた。

 「まあそれほどのおばあちゃん子なら他の子に取られる心配はないね~、ありさちゃん」

 「ああ、センムさんですか?代表がまたセクハラしてきたんでいつもの天引きお願いします」

 「ちょっと、ありさちゃん!?」

 「え、ああ、流石です。ありがとうございました」

 そう言って安住は通話を切って、ショパンさんに向き直る。

 「とりあえず二か月分の給料は振り込んでくれたみたいです。その代わり代表の給料は二か月分無しになりました。おめでとうございます」

 「えぇ!?アタシ代表なのに~!!?」

 僕はその光景を見て思わず笑ってしまった。なんというかバカバカしくて、でもこの喜劇のような展開が心の底を暖かくしてくれて。

 (でもさ、ばあちゃん)

 外の日差しはいつの間にか雲に隠れていた。窓から来る暑さはまだ消えていないが、見上げた空からはそこはかとなく雨が降りそうだった。

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