すれ違いとおかゆと、少しの涙
夕暮れの街角。
オレンジ色に染まった空の下、優斗は感情のままに足を動かしていた。
胸の中は怒りとも悲しみともつかないもので渦巻き、ただ歩くしかなかった。
そんな時、ふいに前から聞き覚えのある声が飛んできた。
「優斗くん!?」
足を止めると、そこには茜が立っていた。驚いたような、でもすぐに何かを察したような眼差しで、こちらを見ていた。
「……茜さん」
「どうしたの? 何かあったの?」
「……別に。何でもない」
そう言いながら立ち去ろうとした優斗の腕を、茜がそっと掴んだ。
「待って。渚とケンカしたんでしょ?」
「……なんで分かるんですか」
「長年の友達だよ? 察するくらいできるって。さ、話してみて」
街の喧騒の片隅で、優斗はゆっくりと語り始めた。
バイトのこと、進路のこと、そして渚との衝突……全部。
茜は黙って最後まで聞いてくれた。
「……そっか。うん、よく分かった。優斗くんの気持ちも、ちゃんと。後は私に任せて。渚と話してくる」
その言葉に、優斗はほんの少しだけ、肩の力を抜いた。
---
その夜。
渚の家の玄関に、軽快な足音が響いた。
「あれ? 茜? あっ、ごめん、連絡くれてたよね、バタバタしてて…」
「優斗くんから話、聞いたよ」
渚の表情が少しだけ曇る。
「……そうなんだ。ごめんね、迷惑かけて」
「なに言ってんの、水くさいなあ」
渚はため息まじりに口を開いた。
「優斗、最近なんだか変わってしまって……」
茜は少し間をおいて、真剣な表情で言った。
「……ねえ、二年前のこと覚えてる? 渚のお母さんが倒れた頃。フランスの仕事の話、来てたよね」
「……うん、誘われたけど断った」
「その話、優斗くん、実は聞いちゃってたみたい。自分のせいで姉貴が夢を諦めたって、ずっと気にしてたんだよ。だから、自立して早く家を出ようとしてた」
「……そうだったんだ……私、全然分かってなかった……」
「渚が夢を諦めたんじゃない。あの時、渚がそう“選んだ”だけ。どっちも間違ってないよ」
「でも、そのせいで優斗が……」
「だから、ちゃんと話してあげて。あれは優斗のせいじゃないって」
渚は静かに頷いた。
「……うん。ありがとう茜。ちゃんと話すよ」
---
その夜遅く、優斗が帰宅した。
「あっ、優斗……遅かったね。ごはん、テーブルに置いてあるから。……それと――」
渚が声をかけようとした瞬間、優斗は無言のまま自室に入ってしまった。
「……」
残された渚は、扉を見つめながら、そっと唇を噛んだ。
---
翌朝──ライブ当日。
渚は優斗の部屋の前に立ち、軽くノックした。
「優斗、ちょっと話せない? ライブ行く前に」
中からかすれた声が聞こえた。
「……ゴホッゴホッ」
「えっ? 優斗、大丈夫!?」
咄嗟にドアを開けた渚は、ベッドに倒れ込んでいる優斗を見つけた。
「勝手に入んなよ……」
「今そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 熱あるじゃない……! 薬持ってくるから!」
「……いいからライブ行けよ。俺は平気だって」
「平気なわけないでしょ。今日くらい、おとなしくしてなさい」
渚はスマホを取り出し、すぐに茜に連絡を入れた。
「茜、本当にごめん、優斗が熱出しちゃって……」
『大丈夫。それより看病ちゃんとしてあげてね』
「うん。ありがとう……!」
---
数十分後。
渚は湯気の立つお粥を手に、再び優斗の部屋へ戻った。
「お粥、作ってきたよ」
「いらねぇよ」
「ちゃんと食べなきゃダメ。……ふーふー、はい、あーん」
「ばっ! やめろ! これくらい自分で食えるっての」
「もう、照れなくてもいいのに」
渚は優斗の隣に腰を下ろし、少しだけ真剣な目で彼を見つめた。
「……この前は叩いたりして、ごめんね。優斗のこと、ちゃんと分かってあげられてなかった」
優斗は黙ったまま、視線を逸らす。
「茜から聞いたよ、あの時の話。フランスのことも……」
「……もういいよ。俺もガキだった。今でもたまにムカつくけどさ……。俺も頑張るよ。だからこれからは、姉貴もちゃんと話してよ。1人で抱え込むな」
渚の目に、ほんの少し涙が滲んだ。
「優斗……ありがと……。って、何それ! 急に大人みたいなこと言っちゃって、生意気ー!」
ぽん、と背中を軽く叩く。
「いってぇ! 俺病人だっての!」
「あはは、ごめんごめん!」
部屋の中に、小さな笑い声がこぼれた。
ようやく、少しだけ素直になれた気がした。
そしてその笑いは、姉弟の心の距離を、そっと縮めていた。
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