ほんぶん②

 階段を下りて廊下まで来ると、ダイニングの方から物音が聞こえてくる。

 ガチャガチャと、何かが忙しなく動き回っていたかと思うと――バリーンッと、食器が割れる音がした。

 先を歩いていた小林くんが、私の腕を掴んで自分の方へ引き寄せる。先程までの穏やかな顔とは違い、彼は眉間にシワを寄せて、けわしい表情をしていた。


「僕が確認してくるから、ここにいて」

「小林くん、待って……」


 引き留めようとしたが、小林くんは扉を開けて中へ入っていってしまう。

 その一瞬で、異様な匂いが廊下まで漂ってきた。

 閉まりきらなかった扉の隙間から、室内を覗いてみる。


 ソファーに投げ出された洗濯物、使いっぱなしの物が山積みのテーブル、破れたカーテン……リビングは荒れ放題だ。あちこちに物が散乱していて、開けたままのゴミ袋からは、ゴミが溢れて床にこぼれていた。


 リビングと続き間の和室も、畳はシミだらけ。

 

 『ああ、ごめん。今日はちょっと家の中が散らかってて』


 小林くんが言っていたとおり、一階の部屋はひどく散らかっていた。だけど、それだけじゃなくて……。


「何してんだよ、母さん」


 室内の会話が廊下まで聞こえてくる。


「諒太、おかえりなさい。食事の準備をしてたのよ」


「食事はいいから。寝てなくちゃダメだろ」


 どうやら、一階の部屋で寝ていたおばさんが起きてきたみたい。

 気になった私はそっと扉を押し、ダイニングの方を見た。それをすぐに後悔する。


「うっ……」


 思わず声を上げそうになって、その口を両手で塞ぐ――何あれ……気持ち悪い。


 ダイニングテーブルの上には、五人分の食器が並べられていた。

 けれど、皿の上も、テーブルも、その周辺も酷い有様だ。

 グチャグチャの肉に、ドロドロのソースと、床にまでこぼれた野菜。『食事を用意した』と言いながらも、どれも料理とは思えないものばかりだった。


「今日はずいぶん体調がいいのよ。」


 妹さんが『おままごとが好き』なのは聞いていたが、おばさんがダイニングでしているのは、まさしく『おままごと』そのものだ。

 あんな状態のおばさんを、人には見せられないと思ったから、小林くんは一階へ案内したがらなかったのだろう。

 

「諒太の分もあるから、一緒に食べましょう」


 小林くんに席に着くよう促すおばさんは、うつろな表情をしていて、とても正気とは思えなかった。


 その様子を呆然と眺めていると、不意におばさんと目が合った。

 おばさんの目が、ギラリと光る。

 私は、慌てて扉を閉めて陰に身を潜める――どうしよう、気づかれたかもしれない。

 

「……諒太、誰かいるの?」

「いや、いないよ。僕等家族だけだから」


 ペタンペタンと、素足で歩く足音がこちらへ近づいてくる。おばさんが来る……。

 

「僕は手を洗ってくるから。母さんは、みんなと先に食べてて」


 バッと勢いよく扉が開き、戻ってきた小林くんが私の手を掴む。


「……外へ出よう」

「でも、おばさんは?」


 困惑する私に、小林くんは言う。


「いつも適当に返事をして、あのまま続けさせるんだ。気が済めば部屋に戻るから」


 小林くんに手を引かれ、私はその場を後にした。

 

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