戦争の中で命をすり減らす、名もなき若き兵士の一日

舞麦猫

『霧の中の光』

 朝靄(あさもや)の中で、ラースは目を覚ました。

 昨日、斥候隊の一人が戻らなかった。森の奥に何かが潜んでいる。上官は口を濁し、「何もいない。きっと敵に殺されたのだろう」とだけ言った。


 ラースは軍の下っ端兵士。番号で呼ばれ、粗末な飯と湿った寝床を与えられる日々。

 剣は古び、鎧の一部は欠けていた。

 それでも「国のため」と言われれば、剣を持たされ、前へ出される。


 その日、前線が動いた。

 敵の砦を包囲するとの命令。森を抜け、裏手に回る部隊に選ばれたのが、ラースと数名の兵だった。


 森に入ると、空気が変わった。

 音が消え、霧が深くなる。仲間の声も、足音も、遠のくように感じた。


「……ここ、どこだ」


 気づくと、ラースは一人だった。

 辺りは真っ白な霧。葉が揺れる音も、風もない。まるで世界そのものが止まっているようだった。


 そのとき、前方に光が見えた。

 柔らかな、青白い光。それは人の形をしていた。


「……誰だ」


 答えはない。

 光の人影は、ラースの前に立ち、静かにこちらを見ていた。敵でも味方でもない、どこにも属さない何か。


 ふいに、ラースは胸の奥に響くような声を聞いた。


「もう、戦わなくていいのだよ」


 その声は、母のようでもあり、誰か懐かしい人のようでもあった。

 ラースの手から剣が落ちた。心の奥に張り詰めていた何かが、音もなく崩れた。


「……けど、俺は……」

「誰のために、その血を流すのか」


 ラースは言葉に詰まった。

 答えられなかった。


 気づけば、光は消えていた。

 霧が晴れる。木々の隙間から、薄日が差し込んでいた。


 ラースは剣を拾わず、そのまま森を歩いた。

 どこに向かっているのか、自分でもわからなかったが、不思議と怖くはなかった。


 ――数日後。前線の記録に、ラースという兵士の名は「戦死」と記される。

 遺体は見つからなかった。ただ、彼が消えた森には、誰も近づこうとしなくなった。


 それからというもの、霧の深い朝には、森の中に青白い光が一つ、ゆっくりと歩いていくのが見えるという。


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戦争の中で命をすり減らす、名もなき若き兵士の一日 舞麦猫 @maimainekoneko

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