第七話 良縁の湯・前編(お題:あたらよ)
あたらよ旅館。
某地方の山奥に存在した、知る人ぞ知る温泉旅館である。
温泉は源泉掛け流しの露天風呂。温かい湯に浸かりながら、奥深い山奥の絶景を楽しめたのだという。
この温泉の名は、良縁の湯。
その名の通り、独り身の者が温泉に浸かると生涯の伴侶に出会えるのだという。
曰く、大昔に、山でひと組の恋人が心中したらしい。その二人が息絶えた場所から湯が湧いているのを、山里の者が発見した。最初は、単に身を清める場所として使われていたが、やがて、縁結びの温泉として名が広まったのだという。
旅館の名前になっている『あたらよ』とは、『明けてしまうのが惜しい夜』という意味らしい。心中、そして縁結びの伝説にふさわしい名だ。全国津々浦々から、独身の男女が温泉旅館に来ていたという。
私もその中の一人だ。数年前、旅館に行った。
私は独身で、恋人もいなかった。年齢や日常の環境からしても、良縁に恵まれる可能性は限りなく低かった。私はこのまま一人きりで生涯を終えるのだと、もうほとんど諦めていたが、温泉の伝説に心惹かれてしまった。
旅館のサイトに入り、部屋を予約をしようとしたところ、『温泉に入れる方は独身限定です』という文言が表示され、独身証明書を求められた。これには驚いた。並のマッチングアプリ以上にしっかりしている。私は役所で独身証明書を発行してもらい、それを送った。すると、予約はとんとん拍子で進み、七月の週末に部屋の予約が取れた。
当日、私は、飛行機と電車とバスを乗り継ぎ、半日かけて旅館へ向かっ。その日は大雨で、公共交通機関は軒並み運行中止になるかもしれなかったが、幸運にも、私が乗った時にはまだ止まっていなかった。細い山道を走るバスに揺られること数十分、その旅館は山の中腹に、突然現れた。立派な和風の屋敷だが、想像していたよりもモダンな佇まいだ。アスファルトの駐車場には、たくさんの車が駐車されていた。
カバンを持って旅館の正面玄関をくぐると、早速、旅館の男性スタッフが笑顔で走ってきた。
「遠いところから、ようこそおいでくださいました」
スタッフに誘導され、受付カウンターで粛々とチェックインの手続きをした。
「お客様。当旅館の温泉について説明いたします。重要なことですので、しっかりとお聞きください」
受付スタッフは、真剣な表情で私を見た。
「当旅館の温泉は、確かに縁結びの効果がございます。温泉に浸かったお客様は例外無く、程なくして運命の相手と出会い、幸福な日々を過ごされます。
しかし、その日々は長く続きません。短くて数時間、長くて数年で、温泉に浸かった方は確実に死亡します」
言われた意味が分からなかった。
「えーと、どういうことですか?」
「要は、命と引き換えに良縁を得るということです」
あまりにも突飛な話だった。心中から始まる縁結び伝説を演出するために、ここまでやるのか、と笑い転げそうになった。
受付スタッフは全く笑わなかった。
「××様をご存知でしょうか。芸能人の方です」
「知ってます。確か、この前亡くなった方ですよね」
「はい。××様は以前、当旅館の温泉に入られました」
スタッフが壁を指し示した。そこにはたくさんの写真やサインが飾られていた。その中に、芸能人の××の写真もあった。浴衣を着て、笑顔でピースサインをしている。
××は少し前に結婚したものの、結婚後間も無く急死した。あまりにも突然の死だったために、結婚相手が毒を盛ったのでは、という心無い噂まで流れたくらいだ。
××以外の有名人の写真もたくさん貼られている。結婚報道がされた後、死亡した人達ばかりだった。皆笑顔だった。背筋に悪寒が走った。
「温泉に入らなければ、寿命を失いはしません。その場合、運命の相手も得られませんが。どうされるかは、お客様次第です。当旅館には温泉ではない大浴場もございます。こちらは特別な効用はありませんので、安心してお楽しみいただけます」
そこまで話すと、受付スタッフは初めて笑みを浮かべた。
「それでは、お部屋にご案内いたします。ごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
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