逢背
lampsprout
逢背
僕はあの一日を、決して忘れることは無いだろう。
すべてを台無しにしてしまった、あの瞬間を。
◇◇◇◇
私は貴方の背を見つめ続けた。もしかしたら、振り返ってくれるかもしれない。そんな期待を込めながら。私から突き放したはずなのに、身勝手にもそう願っていた。
同時に、私は振り返るはずがないと思っていた。それが、貴方だから。今すぐ出来ないことを、軽々しく約束するような人ではなかった。私が自分で公言していたのだ。無責任なことをいう人は嫌いだと。だからこそ私は貴方を信用していた。
だけれど私は、貴方が信用に足る人物だと思いながら、同時に私の期待を裏切ってほしかったのだ。貴方が矜持を捨てるほど、私に真剣なのだと確かめたかった。貴方の言葉なら、私も無責任だなどと突き放さず、信じられたかもしれないから。真剣であればあるほど、貴方は矜持を捨てるはずがないというのに。
とんでもない矛盾だった。私がそう仕向けたのだ。
すべて相談するふりをして、一番重要な期待は隠し通した。聡明な貴方が気付けないように、あらゆる手を尽くした。なんて酷い誘導尋問だろうか。
貴方がこの可能性にいつか辿り着いたとき、どれほど傷つくか、それを考えないわけではない。それでも私は、自分を止められなかった。貴方が止めてくれるように、止められないように仕向けたのに、期待してしまった。
貴方はきっと、自分を呪うだろう。こんな常識的な可能性さえ思いつけなかった事実に打ちひしがれるのだろう。貴方は優しいひとだから。
――だけれどこれは、私の責任だから。あらゆる可能性を考えた上で、貴方を壊しかねないことも承知の上で、貴方を試すようなことをする私が悪いのだから。
私が素直になれば済む話だった。馬鹿な私はどうしても、自分から貴方に委ねることができなかった。貴方が正気でいられないように仕向けてしまった。皮肉にも、私にはその能力が備わっていた。貴方にだけは、使いたくなかったはずなのに。
結局は自分のために、私は彼方へ逃げてしまうのだ。
どうか幸せになってと、うそぶきながら。
◇◇◇◇
――この仮説が正しいのならば、僕こそが、彼女を殺したようなものだった。
僕は彼女の、一挙手一投足を覚えている。発言のほとんどを記憶している。何度も何度も、誇張なしに何万回と反芻し続けた。彼女の意図を、ちゃんと読み取れていなかったかもしれないから。こと彼女に関しては、愚かな僕は一層無能だったから。
今更気付いたとしても、自分の精神にとって悪影響しか及ぼさないことくらいわかっている。悪夢のようなあの一日。僕は彼女の背中を、必死に視界から外そうとしていた。それが彼女の望みだと信じ込んでいた。
――どうして、この可能性に思い至らなかったのだろう。こちらのほうが、至極真っ当で、一般的な解なのに。僕は、彼女を解ろうとしすぎていた。間違った答えを返すことに、怯えていた。物理的に逢えない状態で、不正解は終わりを意味すると思っていた。恒常的な状態を得られるまで、リスクを冒したくなかったのだ。
思い返せば、あまりに利己的な行動指針。彼女に失望されないように。彼女に嫌われないように。最期の最期まで、彼女を傷つけないように。それが、今すぐには何も出来ない自分に出来る、精一杯の贖罪だと信じていた。待っていてほしいと、伝えられていれば、何か変わったかもしれないのに。変わるはずがないと、今でも分かっているのに。
――気を使いすぎた僕の一言一言が、彼女にとっては終わりを告げていたのかもしれない。あのとき、ああ言っていなければと、何度後悔しただろう。それで絶望的な状況が変わったはずはないけれど、少なくとも彼女の心象だけは救えたかもしれないのに。すべての準備が整うまで、何も伝えたくないなんて。身勝手な僕のせいで、彼女は僕を置き去りにした。
彼女に似た背中を見るたびに、現実を突きつけられるのだ。
僕が彼女を見殺しにした、最低な現実を。
◇◇◇◇
どうか、恨んでいてほしい。
どうか、悔やんでいてほしいのだ。
あなたが後悔しないように、選んだはずだったのに。
あなたにとって、一番つらくないように考えたはずだった。
それが、かえってあなたを裏切ったのかもしれない。
どうしようもない帰結の果てに、結局わたしは、あなたを忘れられなかった。
――そして、同じようにあなたにも、わたしを想って悔やんでいてほしい。
――そう、自分勝手に願っている。
逢背 lampsprout @lampsprout
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