第三手:絶望の底に、◼️が降る

暗く、狭い部屋。カーテンは閉じっぱなしで、スマホも通知音をやめて久しい。彼はベッドの中で、うずくまっていた。意識は鈍く、体は重い。食欲も少ない。夢と現実の境界線が薄くなっていく。


黒い手の夢は、あれから毎晩続いていた。最初は、ただ這いずってくる夢。その次は、足を掴んで離さない夢だった。そして、昨夜は——彼女に、静かに微笑まれながら一緒に眠る夢を見た。


もう、彼女が怖いのか、愛しいのか、自分でも分からなかった。その日も、陽は昇った。誰にも知らせず、世界は朝を迎えた。けれど彼の部屋には、まだ夜が残っていた。


と、そのとき——ノック音がした。


「…ん…?」


現実か夢か分からないまま、彼は体を起こす。扉の向こうから、少女の声がした。


「…君に、手紙を届けにきたの」


記憶の底に、波紋のように響く声だった。その声だけで、心臓が跳ねた。


がちゃり、と扉を開けると、誰もいない。しかし、足元には一通の白い封筒。中には、たった一枚の紙。


『ねえ、怖い夢を見るのはきっと、
『会いたい』って思ってくれてるからだよね。

私も、怖かったよ。君に会えなくなったあの日から。

でも大丈夫。今度は私が探しに行くから。

だから次の夢で、ちゃんと待ってて。
もう、逃げなくていいから。

君の隣に、いたいだけなんだよ。』


その夜、彼は久々に自分で目を閉じた。そして夢の中、もう一度あの夕焼けの教室が見えた。


窓際の席に、彼女がいる。彼に気づき、微笑んで、席を立つ。そして、歩み寄ってくる。


「来てくれた……ありがとう」


彼女は彼の手を取る。それは、あの日の『狂気』の手ではなかった。それは、誰かとつながることを諦めなかった手だった。




「私、どうすればいいのか、ずっと考えた」


彼女は、そう語った。ボサボサの髪、伸び切った髭、埃の染み付いた制服、その全てを受け入れるように。誰かと繋がることを諦めなかったその尊い手を、彼女からではなく自分で取りたい、彼はそう思った。


「私ね、ずっとひとりぼっちだったんだ。誰にも認められなくて、誰も気にしなくて、いてもいなくても関係ないやつ。そんな私を、君は見てくれた。すごく、嬉しかったんだよ?だから、さ」


彼女の方へと、彼は直る。暖かい。あの日の冷たさは、微塵も感じなかった。狂気も、何も、感じなかった。ただ、愛と優しさが場を支配していた


「だから、君には私を、忘れてほしくないんだ」


彼女が微笑み、窓枠に座る。


…瞬間彼女はいなくなった。数刻後、嫌な音を残して、彼女は消えた。


彼は、何があったかを、察した。察したくなかった。恐怖を感じた、怖かった。彼女の笑顔が、優しさが、そして何より、この状況をおかしいと思えない自分が。


...目が覚める。少しでも、期待した自分が馬鹿だった。机の上にあった、昨日受け取った手紙をビリビリに破り捨て、ゴミ箱に放り込んだ。


二度寝しようとした。けれど、体が震えてそれを許さなかった。


結局彼はしばらくご飯を食べることも、寝ることもなかった。ただひたすらに震え、全てに恐怖した。もう期待なんてしたくなかった。


希望なんて見るくらいなら、ずっとこのままで良かったのに。…もう、彼女にあっても、何も言わない。何も話さない。そう誓った。


これが彼女が彼に送った最高級のプレゼント、呪い、であった。

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