第10話 華奢な娘

 耳にしたところでは、『華奢な娘』は営業店に勤務してたが、声が小さい上に言わなきゃいけないことも相手次第では言えずに、何回もトラブルを起し、それで本部に異動になったらしい。あくまで噂だが……。

僕は彼女から話しかけられたあと何となく気になっていたけどそんな話を聞くにつけ、「僕と同じだ」という思いから親近感を抱く様になったのさ。

 ある日偶然エレベーターで二人きりになることがあって、「暑いですね」と思い切って話しかけた。

『華奢な娘』も笑顔で応じてくれて、彼女も僕を同類だと思っていたようで、「ラインでお話ししませんか?」と言う話まで飛び出し、恥ずかしさで言葉を返せず必死に肯くと、笑顔でメモを渡してくれた。

自席に戻ってそれをみると携帯番号が書かれている。

 その夜、『華奢な娘』とラインを繋いだ。

信じられない気持ちで毎日ラインでのお話が続いた。もちろんほかの行員は知ろうはずもない。

やがてラインの通話機能を使うようになり、テレビ電話で顔を見ながら話すこともあった。

『好き』から始まった訳じない、が、『同志』としての話は徐々に男女の会話へ進んでゆく。当然の成り行きだ。彼女には行員に友人はいないが大学には数人いるらしい。

そういう意味では羨ましいが、行内で起きたことは伝えられないと言う。

行内にばれないようにと必死に隠していたのだが、慣れてしまうと行内でもラインしたりきわどいことも。

二カ月ほどそんな状態だったが、「会って話しませんか?」彼女からデートのお誘い。

マジなデートは初めてだと告白し、埼玉まで行って『ラフティング』。川にも落とされきゃーきゃー騒いで、……かつてない楽しさで、『天にも昇る心地』を実感する一日になった。

薄暗くなってから用心のため東京駅で別れた。


 ところがそれが悪かった。

仕事で彼女を呼ぶときに、つい下の名前で呼んでしまったのだ。

『華奢な娘』はもちろん周囲にいた行員すべてが僕に矢のような視線を放ってきた。

意味が分からずきょとんとする僕に、「いつから名前で呼び合う仲になったのよ」最悪の人物に聞かれてしまった。

瞬く間に噂は流れ、行内SNSにまで流されるはめに。

『後悔先に立たず』とは良く言ったものだ。

『華奢な娘』もよそよそしくなった。僕もラインで謝りはしたものの取り返しのつかないことは重々承知。

自然と距離が空く。

 悪いことに『華奢な娘』に対する嫌がらせが始まってしまった。

僕は心底思った。 ―― 僕は災いそのものだ。近寄る者に不幸が訪れる ……

『華奢な娘』への虐めは一見大したことではないように見えるかもしれないが、それを毎日毎日永遠に続けられることを、される側の身になって考えてみてくれ! 『辛い』なんて甘い言葉じゃ言い表せない。

『心を殺される』のだ。

 ・・客からの頂き物を『華奢な娘』にだけ配らない。

 ・・客からの電話をトイレにまで伝えにくる。

 ・・部内会議で何かを発言すると集中攻撃される。

 ・・女子会から外される。

 ・・夜キャバクラで働いてるとか、飲み屋街で『立ちんぼ』してるとか根も葉もない噂が溢れる。

 ・・課長がやたらと『華奢な娘』の席へ行って身体を触って話をするなどセクハラされる。

 ・・客からの問合せに即答できず、上司に相談すると、「自分で考えろ」と言われる。

ラインに書いてきた虐めはまだまだあるんだ。僕は困り果て頭を抱える毎日だ。

『華奢な娘』がラインに、「一緒に辞めよう」と書いてきた。

僕は『華奢な娘』のことを隠して父親に「辞めたい」と話すと、再びダメだ、と前より強い口調で同じことを言われた。

しかたなく僕は『華奢な娘』に、

「もう少し頑張ろう」、

「君は悪くない」、……などと言ったが、

自分自身限界を感じるほどだから、『華奢な娘』の思いはいかばかりか、察するに余りある。

しだいにラインの投稿が減って、銀行で会っても視線を逸らして逃げて行くようになってしまう。

―― やばいなぁ、なんとか前みたいに仲良くしたいのに …… 

悩みはするが何もしない僕は『華奢な娘』に嫌われてしまったか? 心が折れそう。


 ある日、『華奢な娘』が昼休みからなかなか戻って来ない。

気になってあちこち歩いてみたがいない。

一時間も過ぎるとさすがに課長も、「どこ行ってるんだ?」と言い出した。

だれも「知らない」と言う。僕も聞かれたが、「知りません」としか言いようが無かった。

そのうち課長に電話が入って二言三言、「なにぃ! 場所何処だ!」と大声で叫んだかと思ったら、

「おい聞いてくれ、彼女が亡くなったとよ、……」

僕はその言葉を聞いたあとは何も耳に入らなくなっていた。

みな駆けだすので僕も続く。

同じ階の総務部とは反対側の部屋の窓に人だかりができていて、僕も隅から見下ろし警察と救急車が来る前の人の死んでる現場というものを初めて見てしまった。

なんと表現したら良いのかわからない。

管理者の専用駐車場になってる場所で課長の車の屋根がぺしゃんこになっていて、その車の通路側にうつ伏せに『華奢な娘』が倒れていて、大きな血だまりが頭を中心に広がっている。

僕はどうしたら良いのか、どうすべきなのか、何も思いつかず、ただ窓枠にしがみついておろおろしながらその光景を眺めていた。

「なんで死を選んだ? 僕に死にたいなんてひとことも言ってなかったのに……」

人垣が消えてゆき、やおら思ったのはそのことだった。

警察と救急車が到着して遺体の周りをブルーシートで囲う。テレビ番組でみるのと同じだ、などとぼんやり思う。

―― そうだ、課長の車の屋根に落ちたのは『華奢な娘』の復讐だったんじゃないか? ……

そんな声はどこからも聞こえてこないが僕はそう思った、否、そうに違いないと確信したんだ。

「お前、彼女と付き合ってたんだろ? どうして自殺なんかしたのか知らんのか?」

戻ってきた課長に聞かれたが僕の方が聞きたかったし、

―― 原因があるとするなら、それはお前たちが彼女を虐めたからだろうが! …… 心の中で怒鳴りつける。

僕が返事をしないと、「なんでお前が知らんのよ。喧嘩でもしたせいで彼女が自殺したんじゃないのか?」

時も場所もお構いなしに課長は大声で喚く。

その直後、警察がやってきて、「今の話、詳しく聞かせてください」僕に鋭い目を向けて言った。

そして僕が肯くと、「あ、あんたあの時の……」僕の顔を凝視する。

僕は覚えちゃいなかったが、恐らく僕がパニックを起して暴れた時の刑事さんだろうことは察しが付く。

遺書などは見つかっていない。僕はラインを確認した。

「いままでありがとう さよなら」とあった。

それを見て初めて悲しさがこみ上げてきた。

それを刑事にも見せ、「何も知りませんでした」


 退行して真っすぐ自室に篭って改めて『華奢な娘』のことを思い浮かべていて、最後にかけた言葉に気付いて、はっとした。 ―― あー、僕のせいだ! …… 頭を思いっきり掻きむしった。

僕が中学生の時にネット相談室から返信されたその言葉をそのまま『華奢な娘』に言ってしまったんだ。

死ぬほどショックを受けた。 ―― あー、なんであんなことを言っちゃったんだろう ……

―― 僕がいつまでも生きながらえてるから、彼女を死なせてしまったんだ …… 

―― やっぱそうなんだ。僕は『疫病神』。なんで生まれたんだ? 否、拾われたんだ ……

―― そっか、やっとわかった! 産んだ親は幸せになりたいから『疫病神』の僕を捨てたんだ! ……

―― 拾った親はバカみたい。ほっときゃ死んだのに、憐れんで拾ったりするから、苦しむんだ! ……

―― 親が悪い。特に父親が悪い。死んでしまえ。死ねば良いんだ! ……

次の日から僕は賭けに出た。

僕は食事をしない。そのうち餓死する。

その前に、父親を殺す方法を考える、か弱い僕にでも殺せる方法を、だ。そして実行する!

どっちが早いかな?


 週末家に帰ってちゃめを抱きしめ長い時間泣いていた。これが最後になるかも知れないからだ。

けど、日曜日に『華奢な娘』の葬儀があると聞き、そこまでは死ねないと思い、僕は僅かな『餌』を僕に与えた。

 葬儀にはあの『意地悪女』と『意地悪男』が雁首を並べ、読教の間中ふたりはにこにこしながらずっと喋っていて、腹が煮えくり返って唇を噛み切ってしまった。

「殺してやる」イメージを膨らませた。 ―― 親の前にこっちが先だ! ……

それまでは死ねないと思い、『餓死』は先送りにすることに。


 入院しているおばあちゃんをひと月ぶりに見舞い、ついでに色々喋った。不自由な口から溢れでる言葉は良くわからないのだが、それでも僕には通じる。おばあちゃんの目に光るものがある。

話す間ずっと湿り気のなくなった痩せた手を握っていた。でもおばあちゃんの心を現しているような暖かい手。

気持ちが少し楽になって帰る。

 ところが僕に異変が起こった。

朝、職員通用口の前に立つと、激しい吐気と腹痛に襲われるようになって、休まざるを得ないことが度々起きるんだ。

医者からは胃薬を処方されたが回復しない。

頻繁に休むようになると、有給も無くなり、欠勤扱いになる。

 やがて銀行は独断で両親に連絡、銀行を退職するように促したのだ。普段はなんの症状もないのだが銀行は親へ神経科へ行くよう勧めたらしい。

しかし、僕はあの事件以降、特に目立った失敗はしていなかったから、体調不良だけで、しかもまだ二カ月しか経ってないのに、銀行は休職も認めてくれず僕を見捨てたんだ。

―― これが『華奢な娘』を死なせてしまった僕が受けるべき天罰なのか …… 慙愧に打ちひしがれる。


 腹を立てた父親は僕の話を一切聞かず、「退職し実家に戻れ」と命じたんだ。

 退職の日、人事部へ挨拶に行くと部長が応接室へ招き入れ、「お父さんは元気か?」

何を言ってるかわからないって顔をしてると、「お父さんとは大学の同じゼミでな、共同研究してたんだよ」と告白された。初耳だった。それで、これまで受けた数々の虐めは父親が影で仕組んでたんだとわかり驚かされた。それ以降部長が何を言ったのかさっぱり耳に入って来なかった。

―― やっぱり僕は父親に憎まれてたんだ ……

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