第28話 楽園の実

かつて、地上に楽園があった。

そこでは、清らかな心を持った人々が、慎ましく暮らしていた。


楽園の門には、三人の番人。

『第一の番人』は、楽園の名を隠した。誰も探せぬよう。

『第二の番人』は、楽園への道を閉ざした。誰も近づけぬよう。

『第三の番人』は、訪れる者の意志を挫いた。誰も試みぬよう。


しかしある日、悪しき『竜』に唆された者が、ついに楽園を見つけ出す。

彼は、赤く美しい果実が木に実っているのを見つけ、それを盗み出してしまった。


以来、楽園からは誠の『心』が失われ、人々のうちに悪が芽生えたという。



「──それで、その果実がカーディナイトなわけだな」


カイルがノートをめくりながら言った。


ネマは小さく頷く。


「素材に対応するのは、三人の『番人』と『竜』。お兄ちゃんが覚えてた素材にも重なるし、間違いないと思う」


「やっぱり、竜咽核が怪しい気がする」


カイルは、ノートを指差しながらつぶやいた。


「明らかに『竜』だけ悪いやつだし」


「どうだろう」


ネマは静かに答えた。


「案外、『番人』の方かも。私たちは、楽園の実を盗もうとしてるんだから」


カイルはそれ以上何も言わず、ノートを閉じた。


外を見やると、木々は葉を落とし始めている。


夏は終わり、肌寒い風が吹く季節に入ろうとしていた。



素材が届くまでの数日間は、錬金器具の調整と準備に費やされた。


王都から技師を呼び出して、念入りに整備を行ってもらう。

わずかな懸念も、事前に取り払いたかった。


数日経つと、再びリアンが荷馬車を連れてやってきた。

カイルが箱を持ち上げると、心なしか前に持ったときよりも、重く冷たく感じられた。


いよいよ、錬金を始めるときが来たのだ。

今回は、カーディナイトから、錬金を始める。

そのことだけは、二人で話し合って決めていた。


準備は、整った。



工房の空気は、薄く張り詰めていた。


錬金台の上には、いつかと同じように、必要な器具と素材が整然と並べられている。


魔道具の位置、素材の収容方法、室温と湿度──事前に確認したすべてが、予定通りに整っていた。


一際違和感を放つのが、机の上に横たえられた、大きな姿鏡。

瞳呑石どうどんせきを直視しないよう、鏡越しに作業するためのものだ。


ネマは防塵マスクと防塵ゴーグルを身につけ、一つ目の『番人』の素材から調合を始めていく。


ネマは事前に決めた注意点を守りながら、慎重に素材を取り扱った。


その様子を、カイルは遠巻きに見守っていた。せめてもの対策として、口元はスカーフで覆っている。


防塵装備のないカイルは、毎回その場にいることはできない。しかし、最初だけは絶対に見守ると決めていた。「繰り返し」前にも何度か同席していたから、数回であれば問題ないのは実証済だった。


ネマは手際良く錬金を進め、錬金台の上には一つずつ、順に反応を終えた素材が並び始めた。


二つ目の素材まで合成が終わり、いよいよ最後の『番人』の素材の調合に近付いていた。


瞳呑石を材料とするその薬は、口にすると一時的に意志を失い、夢の世界に引き込まれるという。来訪者の意志を砕く『三人目の番人』のように。


カイルは鏡越しのネマの手際に、目を見張った。何度も予行練習したとはいえ、直感に反する動きをする鏡越しの器具を正確に操作する手際は、見事という他なかった。


無事、完成した薬を密閉容器の中に閉じ込める。


カイルの目には、全てが順調に進んでいるように見えた。


──そのとき、ゴーグル越しにネマと目が合った。


ネマはカイルに手招きして、一緒に部屋を出る。


扉が閉まった途端、彼女はマスクを外し、曇ったゴーグルを持ち上げた。


一瞬、ぐらりと体が傾いた。


「大丈夫か?!」


カイルが慌てて支える。


ネマは口元に手を当て、大きく息を吸い込んだ。


「……っ、はぁ……っ」


数秒後、ようやく呼吸が整い、ネマは壁にもたれて座り込んだ。


「マスクの性能、バッチリだね。少し苦しいくらい」


ネマは少しつらそうに微笑んだ。しかし、すぐに真剣な表情に切り替わり、意外なことを告げる。


「……瞳呑石が、反応してない」

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