16.結末の行末 - side 深青

「わぁ、綺麗だな」


「深青、あんまり端の方にいくと危ないよ」


「大丈夫だよ、子どもじゃないんだから――」


 そう言って彼の顔を見た時、私の顔から思わず笑顔が消えた。あまりにも感情が滲んだ優しい顔をしていたからだ。今までの彼なら、こんな顔はしなかった。


 あまりにも違和感がありすぎた。今までと変わらないと思ってこの場をセッティングしたのに、この期に及んで「もし彼が変わっていたら」という可能性に気付くことになるなんて。


 ――彼が変わっていたとしたら、私は一体……。


 「何のために」。その言葉が出てくる前に自分で飲み込んだ。代わりに心の中でごめん、と呟いた。

 覚悟に迷いはいらない。私にはもう、彼に伝えることしか選択肢は残されていない。私は微笑程度の笑顔を取り戻して、口を開いた。


「ねぇ、雅哉くん」


「何?」


「――最後に話したいことがあるの」


 腰ほどの高さのフェンスに軽く凭れかかるようにしながらそう言った。


「……最後? 最後って、何?」


「私、残念なことに知っているんだ」


「知ってるって……何を?」


「――あなたが好きなのは私じゃない。光貴だって」


 月の見えない空の下で、私は真実を告げる。

 この一週間、ずっと言ってやりたかった言葉だった。彼が前回の時に私に言ったのはこれだった。予想通り、彼は目を見開いて驚いている。


「本当なら海に行って、あなたからその言葉を聞かされるはずだった。でも、もう私は知っているから意味がない。だから、あなたに逆に言ってやろうと思った」


 光貴と彼は、中学校の同級生だった。そこで出会った彼は彼女に惹かれたが、その数年後に彼女は亡くなった。

 その後、大学に進学して暫くしたらたまたまその妹と出会って仲良くなった。


「……私が告白した時、『まるで光貴に告白された気がした』って思ったそうね」


 私を見ている先でずっと光貴を見ていた。それは告白した当時だけではなく、付き合ってからもずっとだった。それが彼の罪だった。

 私は結局、窮屈な実家を出た後も「光貴」の代わりにしかなれなかった。


「……深青」


 そこで彼が口を開いた。

 あぁ、何か言い訳でもするのかな、と思ったその時だった。


「もしかして……深青も『やり直し』の記憶を持っているのか……?」


 予想だにしない言葉が目の前で降ってきたのだった。「やり直し」。前回の記憶を持って今回の人生を修正する行為。

 しかも彼は今「深青『も』」と言った。今度は私が目を見開く番だった。


「……え?」


「だって、それを言ったのは今回の俺じゃない。前回の俺だ。それを知ってるってことは、深青も前回の記憶を持っているってことじゃないのか? ……違うか?」


 私しか知らないと思っていた事実を突きつけられ、私は思わず固まってしまった。風が吹いて私たちの間をすり抜けてゆく。もう笑顔で取り繕うことさえ忘れていた。


「だとしたら、聞いてくれ。今回は『光貴ちゃんが好き』なんて深青に言うつもりは全くなかった。寧ろ、俺は深青のことがちゃんと好きだ。それだけは分かってくれ……!」


 彼は叫ぶようにしてそう言ってきた。少なからず怒ったりすることはあっても、彼がここまで感情を表に出して何かを言うところは初めて見た。


 もし、前回の時にこの言葉を聞けていたら、私はこの結末を選ばなくてもよかったのだろうか。


 でも、彼の姿を見て思ってしまったのだ。

 ――あぁ、今の私はもう、こうはなれないな、って。


「……そっか、ありがとう」


 それだけ呟いて、私は背後を振り返ってフェンスに足をかけた。


「えっ、ちょっと待って、深青!」


 最後にずっと望んでいた言葉が聞けるとは思ってもいなかった。でも、もう「私」は誰とも繋がれない。

 ようやく「私」が認められたところで、私はまた今までと同じように演じてしまうだろう。


 今更、何かに期待するのも、「光貴」を捨てて「私」を誰かに認めてもらうのも、怖くてできそうになかった。


 だから私は――ここで全て、自分の意思で、終わりにしようと思った。


「また来世で会えたら、その時もう一度『私』を好きになってくれたら嬉しいよ」


 フェンスを乗り越え、手を放せば真っ逆さまに落ちてしまうほどの細いふちに降り立った。

 背後から彼がこっちに向かって走ってくる音がした。


「……さようなら」


 そして私は手を放して、光の海に向かって自分の体を投げ捨てた。




 ――よかった、これで全て終わるんだ。


 真っ逆さまに落ちる私は、海の底から光の方へ向かって泳いでいくような感覚を覚えていた。


 あのスノードームの人魚姫が幸せを掴むために泳ぐのなら、私はきっと「私」を取り戻すために泳いでいるんだな。


 ――やっと、息ができる。




 最期に私の名前を呼ぶ声だけが、小さく届いた。

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