15.決戦の当日 - side 深青

 *


 土曜日、当日。私は少し早く家を出て、銀座駅の改札前で彼を待っていた。前回以上にきっちり施したメイクと、綺麗めな青のワンピースを纏って。

 待ち合わせ時刻の五分前になって、遠くから「深青」という声が聞こえてきた。彼だった。


「雅哉くん、早かったね」


 そう言って彼の方を向いた時、私は思わずびっくりしかけた。そこには普段の笑顔があると思いきや、若干だが緊張感を伴っていたからだった。

 何故彼が緊張しているのかは分からなかったが、私にできることはただ一つ。「いつも通り」でいること。私はニコリと笑った。


「ちょっと早く着きそうだけど、行っちゃおうか」


「うん、そうだね」


 彼の返事を確認した私は、素早く彼の前側に入って歩き出した。手を繋ぐわけにはいかなかったからだ。


 ――少しだけ、自分でも手が震えているのが分かっていたからだ。




 駅の出口に辿り着いてから目の前の百貨店に入り、上層階のレストランエリアに真っ直ぐ向かった。予約したのは少し洒落た老舗の洋食屋だった。

 店内に入ると、白いクロスが敷かれたテーブルと、その奥の窓に広がる夜景が見える。静かなピアノのBGMと共に、落ち着いた照明の下で楽しそうに食事をする人たちの笑い声が聞こえた。穏やかで幸せそうだと思った。


「へぇ……いい感じのお店だね、予約ありがとう」


 席について間もなく、彼がそう言った。


「いえいえ。昔、家族四人でこのお店に来たことがあって。それでもう一回行きたかったんだ」


「そっ、か。皆で行ってたんだね」


 私は気付かないだろうと思って敢えて「家族四人」と言ってみたのだが、彼の反応が少しぎこちない気がした。

 私はこれまで、彼に対して彼女の話はほとんどしてこなかったはずだ。先程の緊張感といい、今の反応といい、何か――。


 そこまで思って、考えるのをやめた。これ以上余計なことを考えたら演技に支障が出そうだったからだ。

 折角フィナーレに相応しい場所を自分で選んだんだ。もう後には戻れない。失敗したくない。


「――さて、何頼もうかな!」


 だから私は、今日は「無邪気に楽しんでいる深青」でいることにした。これ以上何かに気付いてしまえば、全てがドミノ倒しのように崩れてしまう気がした。


 ――私の覚悟はそんな脆いものじゃない。そうでしょう。だから恐怖も涙も、今は一切いらないのよ。


 頭の中で必死に拳を握り締め、私は何にも気付かない馬鹿なフリをしながら、「いつも通り」を演じた。




「ごちそうさまでした」


 折角だから子どもの頃では頼まないようなものを注文するつもりが、私は子供の頃と同じオムライスを食べた。食後のデザートも食べ終えたところだった。

 彼も私同様に食事とデザートを食べ終え、手を合わせながらそう言った。


「この後、どうする? もう少しどこか見てから帰ろうか」


 私は思わず目をぱちくりさせた。まさか彼の方からそんな提案が来るとは思わなかった。でもまぁ、丁度いい。ありがたくその言葉に乗っかることにした。


「そしたら、このまま屋上行きたいな」


「屋上? ここの?」


「うん。それこそこのお店に食べに行った後、家族皆で行ったの。屋上庭園があって、景色も綺麗だったの。久しぶりに見たくなっちゃったのと、どこかに入り直すよりもゆっくりできそうだし、どう?」


 彼の瞳が揺れた気がしたが、彼は頷いた。


「……分かった、いいよ。それじゃあ行こうか」


 支払いを済ませ、私たちはエスカレーターに乗って屋上庭園に向かった。この百貨店では夜遅くまで屋上を開放しているため、営業時間中であれば立ち入ることができるのだ。

 足を進めていくと、まだフェンスが低いままなこともあり、端に近付くほど夜景がよく見えた。それはまるで光の海のようだった。

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