10.不意の言葉 - side 深青
*
「ただいま」
実家を離れてもなお、キーケースに残っている鍵。それを使って玄関の扉を開けた後、私は大きくも小さくもない声でそう言った。
すると、奥の方からパタパタとスリッパの音が聞こえてきた。
「お帰り、深青。変わらなそうね」
「うん、特に変わらずだよ。とりあえず、光貴のところ行っていい?」
「そうしてあげて」
その返事を受けて、私はダイニングルームと繋がっている奥の部屋へまっすぐ向かった。部屋にするには小さなそのスペースの中に、光貴がいる仏壇が鎮座している。
手前に置いてあるチャッカマンを手に取り、蝋燭に火を灯した。そこに線香の先を近づけて、線香の方にも火を灯す。仄かな香りがする煙と小さな炎がお互いにゆらゆらと揺れていた。
お鈴を鳴らして目を閉じ、私は光貴に声をかけた。
光貴、空の上で元気にしてますか。私は変わらず生きています。
そう伝えて目を開くと、私よりも幼くなってしまった、あの日の笑顔のままの彼女がそこにいた。
仏壇を後にしてダイニングルームの方に戻ると、キッチンから何かを焼く音が聞こえてきた。近づいてみると、キッチンには私が希望していたお好み焼きがたくさんできていた。
「えっ、これ多くない? お父さんもこんなに食べないでしょ?」
「作って冷凍しておけば、何かあった時解凍して食べられるから楽じゃない。だから折角だしたくさん作っておこうかなって」
「な、なるほどねぇ……」
「深青、お皿と箸出してもらえる? とりあえず二人分でいいから」
「はいはい」
母の背後にある食器棚からお皿と箸を取り出し、ダイニングテーブルに置いた。
テーブルの片隅にあるランチョンマットを二枚取り、定位置に置いてからお皿と箸をセッティングする。実家にいた時はいつもやっていたことだ。
ソースや鰹節などお好み焼きに必要な調味料やその他の作り置きおかずなどを取りに行ったりしている間に、お好み焼きを全部焼き終えたようだった。
ひとまずは私たちで食べられるくらいの量のお好み焼きを大皿に盛って、母がテーブル側にやってきた。
「さて、食べましょうか」
「うん、いただきます」
そう言って、私は大皿から一枚お好み焼きをとった。最初はソースと青のりで食べようかなと思い、その二つをかけて一口食べる。慣れ親しんだ味がした。
「ん、美味しい。キャベツいっぱいだし、いつものお好み焼きだ」
「それならよかった、たくさん食べなさいよ」
「ありがとう、何だかんだでお母さんのご飯久しぶりだしね。ちゃんと食べるよ」
今となっては一人暮らしの方が楽だと思っているが、家に帰ると誰かがいてご飯を作ってくれるこの空気は実家ならではだなと思う。
好きではないが、どこか安心感を抱くのは気のせいだろうか。ずっといた場所だからだろうか。そう思いながら返事をしていた。
「そうね。深青、暫く忙しかったみたいだからね。でもやっぱり、家から子どもが巣立つのは結構寂しいものだなとこの期間で思ったわよ」
「えっ?」
その時、目の前から意外な言葉が飛んできたことで、私は思わず空中で箸を止めてしまった。すると母も鸚鵡返しのように「え?」と言った。
「何が『えっ?』なのよ、深青」
「え、だって、お母さんから『寂しい』なんて言葉が出てくるとは思わなくて……てっきり、私がいなくなってから、その……一息ついてる?ものだと」
急に行き先を失った箸を机に置き、私は言葉を探しながら紡いでいく。
なんとか思ったことをしどろもどろ伝えると、目の前の母は「何言ってんの」と笑いながら返してきた。
「当たり前でしょう、二十年弱ずっと育ててきた子なんだから。近いとはいえ、やっぱり急にいなくなると寂しくもなるわよ」
「……絶対、子育ての呪縛から解き放たれてスッキリしてると思ってた」
「確かにやることは減ったけど、それが日常だったからやっぱり寂しくってね。……特に今は、もう深青一人だし」
母は奥にある光貴の仏壇の方に視線をやりながらそう言った。
あぁ、やっぱりこの人のどこかに光貴がいるんだな。そう思った時だった。
「……ごめんね、深青」
母が突然、私に謝ってきたのだった。
「……え? 何? 突然」
「思えばお母さん、深青のことちゃんと『深青』として見てあげられなかったんじゃないかと思ってね」
予想だにしなかった言葉に、思わず心臓が大きな音を立てたのが分かった。母の前ではちゃんと演じて今日を終わらせよう。そう思っていたのに。
失いかけた表情をなんとか取り繕おうとしながら、私は言葉を返す。でも、出てきたのは無様な反応だった。
「……どうして、今になって」
「深青がここから巣立って、改めて家の中を見ていて気付いたの。もう光貴はあの時から時が止まってて、今までいたのは深青なんだって。あなたが持っていかずに置いていったものを見て、やっとね……。
それで、光貴がいなくなってから知らず知らずの間に、深青に光貴の姿を重ねちゃってたんじゃないかって、その時にやっと分かったの。……今更後悔しても、遅いのだけど」
表情筋が固まって上手く顔が動かない。何か言おうとしても言葉も見つからない。
そんな私に追い討ちをかけるかのように、母は言った。
「ごめんね、辛かったよね。あなたと光貴は姉妹なだけで、違う人であることに変わりはなかったのにね」
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