08.家族の呪縛 - side 深青

 *


 シンプルなシングルベッドで眠りにつき、翌朝からはまた大学とバイトという繰り返しの生活が始まった。


 記憶の限り知りうる情報によると、次に彼と会うのは海の日だそうだ。それ以外ではメッセージのやり取りしかしていない。

 だけど元々、会えないからって駄々を捏ねるようなことをするわけでもない。そもそもそこまで頻繁に会わなくても大丈夫なタイプだ。


 もう運命を知っている今だからそこまで会うつもりもないが、こんなことが起こらなくても会う日は変わらなかっただろう。


 やり直しを始めてから分かったことは、基本的に記憶の通りに物事が進んでいるということ。

 だから、何かが変わることに期待などしていなかった。次に会う日までは記憶の通りの日々を過ごせばいい。そう決めていた。


 今はバイトも終わり、自宅に帰った後だ。

 さて、寝るまで何しようかな、と思っていたその時だった。


 ――ヴーッ


 ベッドの上に放り投げていたスマホが振動する音が響いた。着信画面を確認すると、そこには母の名前が表示されていた。普段ならメッセージで済ませるところを珍しい。

 画面をタップしてスピーカーモードにした。


「もしもし?」


『深青? お母さんだけど、元気?』


 母はここから自転車で三十分くらいにある実家に父と二人で住んでいる。最近あまり連絡をとっていなかったが、相変わらず元気そうで思わずホッとした。

 別に母には特に大きな持病はないし、あまり心配する要素はないはずなのだが。


「うん、元気だよ。それにしても急に電話なんてどうしたの?」


『いいじゃない、たまには娘の声が聞きたくなることもあるのよ。それで、この前光貴みつきの命日だったでしょう? だから深青が時間ある時にでも帰ってこないかなと思って』


 そう言われて、ふと壁にかけているカレンダーに視線をやった。私がやり直しをした少し前の日が光貴の命日だった。

 色々考えてたらそんな大事な日を忘れてたのか、私は。


「あー、そうだね。ごめん、色々ドタバタしてたら行けてなかったね」


『いいのよ、深青は深青の都合があるんだから』


「明日はバイトないから、授業終わった後に寄ろうかな」


『それなら明日、夕飯こっちで食べる?』


「そうだね、折角ならそうしようかな」


 そんな風に、実家にいた時と変わらない温度感で会話をしてゆく。遠すぎず、かといって近すぎずな距離。

 なんとなく、相手に踏み込まない、傷付けないくらいの丁度よさそうな答えを探しては相手に投げている。そんな感覚だ。


 これで会話終わるかな、と思っていたその時だった。


『じゃあ、折角だし深青の好きなものでも作ろうか。何がいい?』


 普段はリクエストなど訊いてこなかった彼女が、珍しくそんなことを言ってきたのだ。

 幼い頃はよく子どもの好きなものを、と思ってからか訊いてくることも多かった気がするが、そんな機会はこの十年ほどでなくなっていた。

 だから、思わず面食らった。


 しかも、私のやり直しを考えれば、これが母のご飯を食べられる最後の機会であることに気付いた。

 勿論母は私の事情など知る由もないだろうが、それにしてもタイミングが噛み合いすぎている。これが母の勘とかいうものなのだろうか。


 少し考えて、私は答えた。


「……お好み焼きとか?」


『あら、そんなのでいいの? もっと色々あるだろうに』


「なんか、よく光貴と競り合って食べてたなって、今思い出したから。それがいい」


『ふふ、分かったわよ。お好み焼きね、来るまでに準備しとくね』


「ありがと、じゃあ明日ね」


『明日ね、おやすみなさい。ちゃんと寝なさいよ?』


「大丈夫、ぼちぼち寝るから。おやすみ」


 そうして通話を終わりにし、私はスマホをベッドに繋いである充電器にそのまま挿した。充電中であることを示したことを確認すると、ようやく画面から目を離した。

 母と話すのは家族だから嫌いではないが、好きでもない。窮屈になるからだ。


 元々両親と私、そして姉の光貴の四人家族だった私たち。

 誰からも好かれるような「いい子」だった光貴は、私が中学生の時に亡くなった。


 太陽の眩しさが真っ直ぐに照り付けていた真夏の日、光貴は友達と海に遊びに行っていた。

 そこで溺れている子どもを見つけて真っ先に助けに向かい、子どもを助けるのと引き換えに自分が命を落とすことになってしまったのだという。


 その友達曰く「水泳部だから大丈夫」と笑って、光貴は恐れることなく海の半ばへ泳いでいったのだそうだ。


 誰かのために真っ先に動けるような「いい子」。

 それは妹である私に対しても変わらずで、私が学校で嫌なことがあって泣いていた時、光貴はよく隣に来て背中をさすってくれた。

 「深青は悪くないよ、私がいるから大丈夫だよ」と優しくいいながら。


 そんな姉が、ある日突然帰らぬ人となったのだ。


 両親は私よりも光貴の方に色々と期待をしていたはずだった。だけど、その期待を向ける相手がいなくなると、今度はその矛先が私に向くことになった。


“光貴の分も頑張って生きるのよ、深青”


 私の奥に光貴を見ているその言葉は、少なくとも私にとっては呪いの言葉だった。

 何をやってももういないはずの姉と比較され、何をやっても姉と共に美化される。そんな海の底にいるような日々が続くことになった。


 それが嫌で、あまりにも窮屈で、私は自由になれる外の世界に逃げ出したのだった。


「……まぁ、『今まで通り』やり過ごせばいいよね」


 何を言われても、私のやるべきことは母を傷付けないように言葉をかわせばいいだけ。彼に対する演技と同じようなものだ。

 はぁ、と一つ息を吐いてベッドに寝転ぶ。


 天井の明かりは変わらず白く光っている。私はその光をただぼーっと見つめていた。

 普段と変わらない距離のはずなのに、今はどこか遠くにあるように思えた。

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