07.予感の発端 - side 雅哉

 *


 電車に揺られながら帰宅した俺は、鞄を足元に置いてそのままスツールに腰掛けた。百均のブランドが展開するお店で購入したそれは、値段の割に大きさや使い勝手が良くて気に入っている。


「さて、どの海に行くか決めておかないとな」


 自分一人しかいないのにそう呟いたのは、声に出すことでやる気を引き出す癖みたいなものがあるからだ。

 やることはやるタイプだが、やる気を出さないと期限のギリギリまでやらずに放置してしまうパターンもこれまで数知れず。


 しかし、特に今回は他人が関わることでもあるので、動けるうちに動かないといけないと思っていた。目的が明確であればまだ動きやすい。


「あ、そうだ」


 先程まで持っていた鞄からスマホを取り出そうとして、ある物の存在に気付いた。

 スマホの代わりに茶色のシンプルな紙袋で包まれたそれを取り出し、セロハンテープを剥がして中身を取り出した。


 中から出てきたのはペーパーウェイトだった。貝殻を閉じ込めた、海がモチーフのそれは、パスタを食べに行く前にホワイトスノウでお揃いで購入したものだった。

 ペーパーウェイトは一つ一つ手作りだそうで、店頭に並んでいた分だけでもどれも表情が異なっていた。


 その中で俺は浅瀬をイメージしたような薄い色のものを、深青は深海をイメージしたような青色のものを選んでいた。


 折角だしと思って何か購入するつもりではいたが、いざ購入するととても素敵な雑貨で、彼女があのお店にハマる理由が少し分かる気がした。

 写真や紙を一枚挟める留め具を上にして机上に置く。何か軽いものなら挟めそうなので、深青との思い出を何か一つ挟んでおくのもありかもしれない。


 その時、先程の出来事がふと思い出された。


『あ、これ綺麗だなぁと思ってさ』


『そうだね、これ買う? 深青に似合うと思うよ』


『んー……また次来た時にあったら買おうかな。ちょっと考える!』


 ホワイトスノウで彼女が人魚姫のスノードームを目にしていた時。この手の雑貨だったら飛びついて買うんじゃないかと思っていた。

 しかし、彼女は俺の言葉を受けた後に「次に来た時にあったら」と言っていたのだ。


 欲しいものだったら大体その日のうちに買うはずの深青が?


 そう思うと、今日の深青にはどこか緊張感みたいなものが漂っていた気がした。

 言葉も態度も何かが変わったわけではなかったが、なんとなく、何かがいつもと違う気がしたのだ。

 具体的には何かと言われても答えられるほどの根拠と確信があるわけではないが。


「……まぁ、仕事終わりで疲れていたこともあったのかもしれないな」


 そう呟いたら、一旦はそんな気がしてきた。もしかしたら疲れているにも拘わらず、明るく振る舞ってくれていたのかもしれない。

 今度こそスマホを鞄から取り出し、彼女にメッセージを送った。


『今日はありがとう。バイトもしてきてることだし、ゆっくり休んでね』


 「おやすみ」のスタンプと共にそう送ったのを確認して、俺は風呂に入るために洗面所へ向かった。




 その日の夜、夢を見た。俺の運転で、深青と一緒に出かけている夢だった。


『今日無事に晴れてよかったよね』


『うん! 久しぶりに海見れるの楽しみ!』


 今週末の約束と同じように、海に行こうとしているところだった。


『深青、眠くなったら寝ていいからね』


『あはは、ありがとう。多分後で寝てるかも』


『全然いいよ、着くまでゆっくり過ごしてて』


 そんな他愛もない会話を繰り返しながら、俺は運転を続けていた。

 暫く運転していると「静かになったな」と思い、ちらりと横を見た。すると案の定、彼女は静かに寝ていた。

 それを見て俺は思ったのだった。


 ――この顔を見れるのは、これで最後かもしれない。


 残りの時間で、どれくらい彼女の笑った顔が見れるだろうか。

 そう思うなら最初からこんな選択をしなければよかったが、もう決めたことだった。


――これ以上、この気持ちを隠したままにはしておけないから。




 そこでハッと目が覚めた。カーテン越しに薄明かりが見える。どうやら明け方のようだった。

 まだ明け方の上、今日は月曜日。仕事の日なのでちゃんと寝ておきたい気持ちがあったが、今の夢で妙に胸がざわついている。「最後かもしれない」という感情が、いかにも自分が思っていたかのような感覚がした。

 ここから二度寝ができそうな気は全くしなかった。


 夢なんて、大体は記憶を捏造した単なる映像だ。頭ではそう分かっている、はずなのに。


「……どうして、こんなにも既視感を抱いているんだ?」


 この夢、以前にもどこかで見たことが――。

 そんなことを思いかけて、やめた。こういった既視感も大体はあてにならないことが多い。不確定な要素にこれ以上踊らされるのはごめんだった。


 眠れそうにない俺はベッドから出て、部屋の電気を点けた。

 この後の仕事に支障が出ないよう、早く頭を切り替えたかった。

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