02.運命の再開 - side 深青

 *


 私は知っている。「自分の運命」という人生の行く末を。


 今から少し前の日こと、私は目を覚ました。視界に映るのは見慣れすぎた自分の部屋の天井。朝だ、と思った。それだけを切り取れば普通の日常だった。


 ――脳裏に鮮明に残る、海の波音の記憶を除けば、の話だが。


 まだ起き抜けで寝ぼけた頭だった私は、その記憶はきっと夢でみた映像なのだろうと思っていた。

 そして「今何時だ?」と思いながらスマホの画面をタップしてロック画面を表示させる。


「……あれ?」


 そして思わずそう独り言ちた。何故なら、私が思っていた日よりも少し前の日付がそこに表示されていたからだ。

 今まで生きてきてこんな変な感覚を抱いたことなど一度もなかったのに、余程頭が寝ぼけているのか――。


「……いや、違う」


 そこまで考えて、私ははっきりと思い出した。

 確かに私は先日、海に行ったのだ。日付も時間もきちんと覚えている。その上で今日の日付がおかしいのだ。

 思い出せる最後の日から二週間弱ほど前にずれているのだから。


 ……何だ、これは?


 そう思った矢先、蓋が開けられた水のように、どこからか映像が脳内に流れ込んできた。

 打ち寄せる波の音、足裏から伝わる砂浜の熱さ。それが好きで楽しくて、私は笑っていたのだ。


『……俺、ずっと深青に言えなかったことがあるんだ』


 ――彼のあの言葉を聞くまでは。


「ッ!」


 全ての瞬間を思い出すと同時に、私は自分の胸部を強く握り締めていた。呼吸が止まりそうなほど、心臓が抉り出されたのではないかと思うほど、胸が痛かった。

 段々荒くなりゆく呼吸をどうにか深呼吸で落ち着かせようとする。何度も何度も吸って吐いてを繰り返し、私はようやく落ち着いた。


 はぁ、と息を吐き、ゆっくり瞬きをする。そしてもう一度スマホを手に取り、画面を点けた。


 ――やっぱり、何度見ても、表示された日付は嘘じゃない。幻でも何でもなかった数字が、無機質に照らすのみだ。


 そうなると、これは、私は――。


「……これが噂の、『やり直し』……?」


 そう言った自分の声が、ひどく遠く聞こえた。


 「やり直し」。それはこの世界で噂として囁かれていたもの。

 人間は同じ運命をずっと辿っていて、前世で「人生のやり直し」を強く願った者がごく稀に記憶を持って人生をやり直せるという、根も葉もない都市伝説のようなものだった。


 きっと誰かが作った創作話で、それに便乗して色んな噂が出ていただけだと思っていたのに。

 でも、今はこの記憶と現実のズレを根拠に、そんな都市伝説ですら信じてしまいたくなる自分がいた。


 だってもし、あの日を違うものにできたのなら――。


 握り締めた拳の中、手のひらに伸びた爪が食い込む。痛みが突き刺さったまま抜けてくれなくても構わなかった。

 この記憶の痛みよりはずっとずっと軽い。比較対象にすらならない。


 淡い期待をどうにか現実にしたくて、私は藁にも縋る思いでネット検索をした。

 どうやったって眉唾物の記事しか出てこないのは承知の上だったが、それでも何人もの人が「『やり直し』を体験して人生変えました」といった内容の投稿をしているのを見かけた。


 自分と似たような体験をした人がいるかもしれないという事実だけでも、どこか安心していた。


 とはいえ、自分に起こった出来事が本当かどうかの確証が得られたわけではなかった。

 今日は平日のため、私はずっとぐるぐるしている思考回路を抱えながら朝のやるべきことを済ませて大学へ向かった。


 いつもと変わらない通学路に、いつもと大体変わらない教室の座席。

 そんな「いつも通り」の風景の中、私は違和感を目にすることになる。


「……ん?」


 授業開始直後、前方座席から回されたプリントを一枚取って後ろにまわす。そして「今回の内容何だったっけな」と思いながらプリントに目を通した瞬間だった。


 ――シェイクスピアの『リア王』。このプリント、見たことある。


 そう思った瞬間、今朝のようにまた映像が脳内に上映された。

 そうだ、確かこの回の解説は特に面白くて、かなり印象に残っていたはずだ。今から教授がそれを解説するのであれば、私はこの授業を受けるのは二回目ということになる。


「それでは授業を始めます。今回の題材はご覧の通り、シェイクスピアの『リア王』なんですが――」


 その言葉から始まった授業は、私の記憶の中の教授が言っていたものと全く同じだった。


「……本当、なのか」


 私は自分にしか聞こえないくらいの声で、そう呟いた。

 普通は未来の授業の内容など知る由もない。でも私は知っていた。既に受けたことがあったから。

 そうなるともう、私は自分が「やり直し」をすることになったのだと、確信をもって認めざるを得なかった。


 それならば、やり直すのならば、私は何をやり直したいのか。その問いを自分自身に投げかけた時、出てくる答えは一つしかなかった。


 ――私はもう、この先の未来で何を言われるのか、全て知っている。

 ――それならもう、こちらが先手を取ってやり返せばいい。


 ――今回は、泣きながら黙って消えるような真似はしない。


 私は新しいルーズリーフとペンを一枚手に取り、書き始めた。

 何をすれば、最終目的までどのような道筋を立てれば、私はやり遂げることができるのか。面白いはずの授業もそっちのけで私は没頭していた。


 ――自分が何をしたのか、思い知るといいわ。


 タイムリミットまで、あと一週間。


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