背徳症状-玖音の憂愁-
アトナナクマ
第1話。凜音と玖音
「
「はい。お母様」
私はお母様に頭を下げる。
「アナタには私の友人である
あの子とは弟の
「それに際して、アナタには玖音のフリをしてもらいます」
「弟のフリを……何故ですか?」
「玖音に真琴の世話を任せる前は、
どうして、真琴様の世話をするのに弟が選ばれたのか不思議だった。最も適任であるのは、長女である鹿埜様だと思っていたから、お母様の話を聞いて納得した。
「……では、偽り。騙すということですか?」
お母様は何も答えなかった。
仕方がない。今の玖音が役目を果たすことは難しい。何故、そこまで母上が真琴様の手助けをするのか事情は知らないが、これ以上の話し合いはボロが出てしまう。
「お母様。私は……いえ、僕は罰を受け入れます」
今から僕は凜音ではなく、玖音を名乗ろう。
「いいですか、玖音。真琴にアナタが女であることを気づかれてはいけません。これ以上、醜態を晒すような真似は避けるべきこと」
結局、母上は仕事の為に動いているのだろう。
今回の件も母上にとっては、何らかの利益を得る為だ。何年も一緒にいるからこそ、気づいてはいたが。わざわざ口にすることはしない。
母上との話が終わり、僕が部屋を出た時。廊下の先にソレは立っていた。僕はゆっくりと近づき、すれ違う時に足を止めた。
「行ってくるよ」
何も言葉は返って来ない。
「僕が玖音の役目を引き継ぐ。だから、キミは自由に生きてほしい」
こんな言葉を彼は望んでいないだろう。僕と彼の間にあるのは大きな嘘。決して、口にすることは許されないのだから。
母上に与えられた役目。それをこなす為に真琴様が来るまでの僅かな時間で、僕は自分を偽ることに慣れようとした。
「うーん。やっぱり、まだ女やな」
僕の体をまじまじと触ってる女の子。少しくすぐったくて、僕は彼女の肩を掴んで引き離した。
「
「どしたん?」
町の酒屋を家族で経営しながら、様々な品を取り扱う猫子様。僕とは昔からの知り合いで、今回の件も伝えている。今後のことを考えれば、猫子様を騙すのは難しいと判断したからだ。
「母上と真琴様の関係を知ってますか?」
「さあな。真琴って人間に心当たりはないし、ウチはアンタのお母さんに嫌われとるからな」
「別に嫌ってるわけじゃないと思いますよ。ただ猫子様の態度が気に入らないだけというか」
「それが嫌ってるって言うんやろ!」
猫子様に僕の肩を叩かれた。
「そういうところだと思います」
「いや、誰でも叩くわけないやろ」
元々、猫子様の父と母上は商売の契約を結んでいた。猫子様の父が病気で倒れてからは、猫子様が店の主な仕事を任されている。
ただ、猫子様も世間的に見れば子供。店番をこなせる能力を持っていても、歳が若いからという理由で、猫子様を認めない大人はたくさんいた。
その中でも母上は能力を認めてはいるけど、猫子様の性格を受け入れらないという感じだった。だから、猫子様も困っているのだろう。
「にしても、玖音君を演じるなんて無茶な話をよく受けたな。キミらは母親には逆らえんのやろうけど」
「僕とあの子は元々顔つきも似てますから、無茶とも言いきれませんよ」
「見た目は多少はどうにか出来るな。ただ、体の方は立派なもんや。変なこと触られたら一発でわかるやろうな」
「それは気をつけますよ」
猫子様は協力してくれている。わずかにあった胸をサラシを巻いて、隠す方法を考えてくれたのも猫子様だった。それでも、僕は玖音を演じることに不安を感じていた。
「ま、心配はいらんやろ。あの母親は無茶なことを言うが無理なことは言わん。今回のことも上手くいくと考えとるはずや」
「はあ……」
「それに真琴相手なら、問題もなさそうや」
真琴様のことは少しだけ鹿埜様から聞いた。生活を送る為には人の手が必要な状態であること。最初は僕も戸惑っていたけど、受け入れるべきことだと理解した。
「猫子様」
「なんや。怒ったんか?」
「いえ、そろそろ時間なので」
備える時間は本当に少なかった。真琴様と顔を合わせるのは今日だ。先に鹿埜様が迎えに行ったそうで、僕は後から家の方に来るように言われている。
「玖音君。もし、町に出る時があったらウチに寄ってや。いい酒を用意しとくからな」
「ありがとうございます。猫子様」
最後に猫子様が僕の背中に寄りかかってきた。
「……凜音。頑張りや」
その言葉は聞かなかったことにした。
きっと、猫子様は僕ではなく、凜音だった人間に伝えただけ。今の僕が受けるべき言葉ではなかった。
「猫子様。行ってきます」
酒屋を出て町の中を歩く。最近は観光客も減ってきたけど、この大通りは昔はまともに歩けないくらい活気に溢れていたそうだ。
大通りの先にある大きな温泉宿。この町に中心があるとすれば、あそこだろう。昔からある温泉の周りに人が集まり、町が出来た。そんな町で僕は生きている。
大通りを抜けて、町から少し離れた場所を目指していた。町から離れたら自然の多く残るような場所も多い。そんな自然を残したまま、建てられた一つの家。
「母上の家、か」
この町にある家と比べても大きな建物。なのに、周りを自然に囲まれたような場所に建てたのは、土地の問題があったのだろう。
母上が自らの立場を示す為だけに建てられた家だ。存在するだけで価値があるが、長年人は住んではいなかった。
今回、真琴様と僕が住むようにしたのも、この家を管理させる為だろう。人が住まなければ家は役目も果たせず朽ちるだけだ。
「僕も役目を果たさないと」
家に入ると、既に鹿埜様が家に帰っていることはわかった。元々、母上と同じように鹿埜様も仕事が忙しく、真琴様を迎えに行く時間があったことすら驚くべきことだった。
さっそく僕は真琴様に会うことにした。鹿埜様から事前に案内する部屋は聞かされていたし、家の下見をしているから僕が間違えることはない。
「失礼します」
障子を開けると、そこには着物姿の男性が座っていた。彼の座っている位置がおかしいと思ったのは、部屋に入った時に背中が見えたから。
僕は指摘はせずに部屋に入ると、座り込む。頭を下げ、自分の尽くす姿勢を示すつもりだった。
「今日から真琴様のお世話をさせていただく、玖音と申します」
僕は確かめるように顔を上げた。真琴様は体を動かして、僕の方を向いていた。本当に僕を見ているわけではないのだろうけど。
真琴様の顔を覆うように付けている目隠し。決して、ふざけているわけではなく、彼の目が見えないことは事前に聞かされていた。
目隠しの下にうかがえる素顔は男性にしては少しばかり優しい顔つきをしている。体格も中性的と言うのは失礼か。あまり筋肉質な体には見えなかった。
「玖音……あの人にこんな出来た娘がいたとは驚きだよ」
「真琴様。失礼ながら、僕は男です」
「男?随分と可愛い声をしているね」
多少なりと声は変えているつもりでも、元の声は変えられない。でも、中性的な声にはなっているはずだ。
「よく言われます」
「……まあ、いいか。
母上と真琴様は古い友人だそうだ。真琴様は事故に巻き込まれ両目を失明。それを手助けする為に母上は僕を真琴様に与えた。
「よろしく頼むよ。玖音」
真琴様に差し出された手。一瞬、僕は迷ったが下手にごまかすのはよくないだろう。
「よろしくお願いします」
僕は真琴様の手を握り返した。
「……」
ようやく。
僕の願いが叶えられた。
嘘に嘘を重ねたとしても。
真琴様の傍にいられるなら。
僕は大嘘つきでも構わない。
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