第8話 招かれざる客

20XX年7月5日 15:05(T₀ + 1時間54分)

伊万里家別邸「秘密基地」・地下実験室

https://kakuyomu.jp/users/I_am_a_teapot/news/16818792437605158055




1階に通じる吹き抜けからの光が差し込む地下実験室。

エポキシ樹脂で磨き上げられた床に、工作機械の影が長く伸びている。

L字型の作業台には3組のデュアルディスプレイが青白い光を放ち、工作台の上で半田ごての煙が、換気ファンに吸い込まれていく。


「ちょっと、そこの配線……」

冬華が半田ごてを構えながら、工作台の上の小型ロボットを指さす。

「このままだと重心が後ろに寄りすぎるよ」


工作台の上で、人型のフレームが横たわっている。

両手で掴んで持ちあげられるサイズで、フレームの隙間から色とりどりの配線が露出し、外装パネルも仮留めのままのプロトタイプ然とした姿。

ロボコン用に開発中の自立歩行ロボットだ。


「そういえば、頼んでたあれの実装は?」

夏希が身を乗り出す。


「ああ……まだ完璧じゃないけど」

和季が画面に向かいながら答える。

「音声認識のニューラルネット、ちょっと調整入れてみたんだ」


スクリプトが起動する。

「聞こえる?」

和季がマイクに向かって話しかける。

「聞こえたら立ち上がってみて」


反応がない。ロボットは床に仰向けて寝たままだ。


「あれ?ああそうか、名前呼ばないと」


「シャノン、立ち上がって」


小さな機械音とともに、手の重心移動と足の屈伸をうまく利用して、ロボットがゆっくりと起き上がる。


「おおっ!!」

冬華と夏希が驚きの声を上げる。


「さすが!天才プログラマー!」

夏希が目を輝かせる。

「次は次は!?」


「よし。シャノン、歩いて」


しかし、ロボットは直立したまま微動だにしない。


「あれ……?」

和季が怪訝そうに目を細める。


「シャノン、歩け」


「……」


「シャノン、歩いて……ください」


やはり、ロボットは動かない。


「あらら」


「ちょっと待って」

冬華が工作台に近づく。

「サーボの動きがおかしい。電圧、安定してなくない?」


和季がモニターを覗き込む。電圧グラフが不規則な波を描いている。

「これ、何のノイズ?」


「サーボの消費電力にしては大きすぎる変動ね。ちょっと、調べてみる」

冬華が計測器を手に取り、ロボットのサーボモーターに接続して電圧を測定し始める。

「あーこりゃ、こいつが原因じゃないな。多分もっと根本の変圧器の方が怪しい」


和季は自分の作ったコードを見直しながら、ふと思い立って夏希に問いかける。

「なあ、夏希。この機能ってそもそもさ……」


「じゃあ私サーバー室の変圧器チェックして来るね」

夏希が聞こえなかったかのように、そそくさと部屋を出ていく。


「いや、おい聞けよ」

「まあいいや、サーバー室行くならケーブルの抜き差しもチェック頼むぞー」


「はいはーい」

サーバー室に通じる階段の奥から夏希の返事が聞こえる。



「なんか聞かれたくないことでもあったのかね」

冬華がロボットのサーボモーターを見ながら思案する。


「無視しやがって。さっきバラした奴の仕返しか?」


「まあ……音声認識の方は上手くいってたみたいだね」

冬華が意味もなく手の汚れを払うジェスチャーをして、タブレットでシミュレーション画面を開く。

「まだまだ歩行のバランス制御が甘いみたいだけど」


「ああ、重心移動のアルゴリズムはこの間より修正できてるはずなんだけど」

和季が疲れた目をこする。

「なんか、全体的に応答が遅い。まるでCPUリソースを何か別のことに取られてるみたいだ」


「あの、ちょっといいかな」

千春が吹き抜けになっている上の階から顔を覗かせる。普段の落ち着いた雰囲気とは一変して、少々深刻そうな様子だ。

「応接室のテレビ、見た方がいいかも」





#####





廊下を進む夏希。

「もう、和季ったら人使いが荒いわよね」

壁に並ぶ古い掛け軸の下を通り過ぎる。


「あ、これこれ」

夏希はスマートフォンのライトを点け、さらに地下への階段を降りていく。


「よいしょっと」


と、その時。

頭の中で何かが共鳴するような違和感。


「……え?」


反響音が聞こえる。

名前が呼ばれたような……。





#####





応接室の中央、最新型の大画面モニターでは緊急のニュース速報が流れていた。

険しい表情のキャスターが刻一刻と更新される被害状況を伝えている。

画面の右側には世界地図が映し出されており、一部地域が赤とオレンジで彩られている。


「これ、このままだと指数関数的に悪化していくぞ」

スマホでも被害状況を調べていた秋一が怪訝な表情で呟く。


『世界各地で発生している通信障害について、アメリカ国土安全保障省は「パンドラ」と呼ばれる未知のウイルスによるものだと発表。現在、Google、Amazon、Microsoftなど主要クラウド事業者のサービスが次々とダウンしており……』


「夏希ちゃんは?」


「さっきサーバー室に行ったけど...」

冬華が答える。

「電圧の変動が気になって、確認してもらってる」


和季の視線がテレビに釘付けになる。

『各地の交通インフラにも異常が報告され、中でも鉄道管制システムへの影響は深刻な様子です。JRを含む鉄道各社は「復旧の目処が立ち次第運行を再開する見通し」としてほぼ全ての路線で運休を発表しています。また、主要な経路探索アプリが使えないことにより、首都周辺の下道では大渋滞が発生しています』


四人が食い入るようにニュースを見ていたその時、玄関のドアを叩く音と同時に室内に入る複数人の足音が聞こえた。


「失礼いたします」

スーツ姿の中年男性が数人、部屋に入ってくる。


四人は困惑して部屋の隅に固まった。

「な、何ですかあなた方は……?」


先頭の男性が手早く身分証を提示する。


「内閣情報調査室の風間と申します。こちらはJPCERT/CCの佐藤代表、そしてデジタル庁の伊万里大臣です」

伊万里総一郎が後方から遅れて部屋に入ってくる。

厳しい顔をしたまま一瞬こちらを見て再び目を伏せる。


和季と冬華が顔を見合わせる。

「千春のお父さん……!」


千春が少し気まずそうに上目遣いで挨拶する。

「お父さん、お疲れさま」


総一郎が娘に軽く頷いてから、職務的な表情に戻る。

「千春、申し訳ないが今日は仕事で来ている」


秋一が改まって会釈する。

「あ、いつもお世話になっております。この施設を使わせていただいたり……」


風間が状況を整理するように割って入る。

「申し訳ありませんが、緊急事態です。この施設から『パンドラウイルス』と同一の通信プロトコルが検出されました」



「え……?」



四人は一瞬何を言われたのか理解できず、同じような素っ頓狂な顔で互いに見つめ合った。

「パンドラウイルスって、テレビで言ってる……」


「そうです」

佐藤が深刻な表情で資料を取り出す。

「現在世界中で猛威を振るっている未知のウイルス。そして先ほど、国内で最初に感染源として検出された場所がここです」


説明を聞いて理解した上で、まだ事態を呑み込めないが、どうやら不味い巻き込まれ方をしているようだ。


千春が父親を見つめる。

「お父さん……私たち、本当に何も知らないの」


「ああ、分かっている。ここのサーバルームは形式的には私の所有物だ。おそらくは私の扱う職務上の機密データが狙って、バックドアを作るための足がかりに利用されたものだと思われる」


「であれば間違いなく私の責任だ」

「すまないが、しばらく調査のために地下室を使わせてもらいたい」


職員たちが地下室に向かっていく。

風間からの説明を聞きながら、和季は頭の中で今までの情報を結びつけていた。

電圧異常、CPUリソースの謎の消費、そして今の政府関係者の言葉……全てが一つの線で繋がっていく。


「まさか……あいつのもパンドラのせいじゃ……?」


その言葉が宙に消えた瞬間。

地下室の方から、なにか重いものが倒れる音が響いた。


「夏希……?」

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