EP 2

森の出会いと初めてのポイント


強烈な浮遊感の後、鈴木拓也の身体は硬い地面に叩きつけられた。


「いっ……てぇ……!」


土と草いきれの匂い。鬱蒼と茂る木々。見慣れぬ植物。どこかの森の中にいるらしい。さっきまでの真っ白な空間と女神の言葉が、夢ではなかったことを突きつけてくる。


右も左も分からぬまま、拓也は呆然と立ち尽くす。これからどうすればいいのか、皆見当もつかない。


その時、背後の茂みがガサガサと激しく揺れた。


「グルルルル……」


低い唸り声と共に現れたのは、涎を垂らした巨大な狼型の魔物だった。鋭い牙、血走った目、明らかに人間を獲物として認識している。


「ひっ……!?」


拓也は腰を抜かしそうになりながらも、本能的に駆け出した。どこへ向かうという当てもない。ただ、あの牙から逃れるために、もつれる足を必死に動かす。木の枝が顔を打ち、石につまずきそうになりながら、無我夢中で森を駆けた。


「はぁっ、はぁっ……くそ、なんだってんだよ、いきなり!」


背後からは、枝を踏みしだく音と荒い息遣いが迫ってくる。体力には自信のない、ごく普通の大学生だ。すぐに息が上がり、足が鉛のように重くなる。


(ここまでなのか……? 猫助けたら、異世界で狼の餌とか、割に合わなすぎるだろ……!)


諦めかけたその時、前方に微かな光と、人の声が聞こえた気がした。


「誰か……助け……!」


最後の力を振り絞って茂みを抜けると、そこは少し開けた場所で、数人の村人らしき人々が農具や粗末な剣を手に、何かと戦っていた。そして、拓也を追ってきた狼型の魔物も、その戦いに加勢するように吼え猛る。


「また一匹増えたぞ!」


「こっちにも手が回らん!」


村人たちは明らかに劣勢だった。その中に、杖を構え、懸命に仲間を援護しようとしている少女の姿が拓也の目に飛び込んできた。歳は拓也と同じくらいか、少し下だろうか。栗色の髪を揺らし、必死の形相で杖から小さな光弾を放っているが、魔物の勢いを止めるには至らない。


(あの子が……!)


拓也がそう思った瞬間、狼型の魔物の一匹が少女に狙いを定め、鋭い爪を振り上げた。


「危ないっ!」


拓也は、自分でも何を思ったのか、恐怖よりも先に身体が動いていた。足元に転がっていた手頃な石を拾い上げると、訳も分からず魔物に向かって投げつけ、そして近くにあった手頃な木の枝を掴むと、ヤケクソ気味に振り回した。


「うおおおおおっ! こっちに来るなあああ!」


ほとんどパニック状態だった。無我夢中で木の枝を振り回し、大声を張り上げる。そのあまりの気迫に押されたのか、あるいは他の村人の反撃が効いたのか、狼型の魔物は一瞬怯んだように動きを止め、そして一斉に森の奥へと姿を消していった。


「はぁ……はぁ……行った、か……?」


拓也はその場にへたり込んだ。全身の力が抜け、心臓が激しく脈打っている。


ふと見ると、先程の少女が腕を押さえて小さく呻いていた。駆け寄ると、彼女の袖が赤く染まっている。魔物の爪で切り裂かれたようだ。


「だ、大丈夫か!? 血が……!」


「うぅ……なんとか……。あなたは?」


少女は痛みに顔を歪めながらも、拓也を見上げた。大きな瞳が不安げに揺れている。


「俺は……とにかく、手当てしないと!」


拓也はリュックも何もないことに気づき、咄嗟に自分の着ていたTシャツの裾を力任せに引き裂いた。異世界の治療法など知る由もない。だが、傷口を清潔にし、圧迫して止血するのは応急手当の基本のはずだ。


「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してくれ!」


近くにあった湧き水で裂いた布を濡らし、少女の傷口の汚れを慎重に拭う。そして、乾いた方の布で傷口をしっかりと押さえた。幸い、傷はそれほど深くないようだ。


「あ、ありがとう……ございます……。あの、お名前は……?」


少女は拓也の意外なほど手際の良い処置に少し驚いたような顔をしながらも、小さな声で礼を言った。


「俺は鈴木拓也。君は?」


「私はルルア……。この村で僧侶の見習いをしています」


ルルアと名乗った少女は、はにかむように微笑んだ。その時、拓也の脳内に、あの女神の声とは違う、機械的な音声が響いた。


《善行を確認。ポイントが10P加算されました》


「え?」


目の前に、半透明のウィンドウボードのようなものが一瞬だけ表示され、すぐに消える。「ポイント:10P」という文字が確かに見えた。


(これが……女神が言ってたポイント? 善行って、もしかしてルルアさんの手当てのことか……?)


初めての異世界での出来事、初めての戦闘(?)、そして初めてのポイント獲得。


混乱と疲労の中にありながらも、拓也はルルアの笑顔と、微かに感じたスキルへの手応えに、ほんの少しだけ、この世界で生きていく希望を見出した気がした。


「拓也さん、本当に助かりました。あなたがいなかったら、私……」


「いや、俺も無我夢中で……。それより、村は大丈夫なのか?」


ルルアの言葉に、拓也は慌てて首を振る。まだ危険が去ったわけではない。


「はい、なんとか……。さ、村へ戻りましょう。あなたも怪我をしているかもしれませんし、村長にも報告しないと」


ルルアはまだ痛む腕を押さえながらも、気丈に立ち上がった。


拓也は差し出された小さな手を借りて立ち上がり、モンスターが消えた森の奥を警戒しながら、ルルアと共に村へと向かうのだった。


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